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短編集26(過去作品)

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 あっという間に長崎に着いたような気がした。飛行機で福岡まで行き、福岡から特急電車で約二時間と少し、決してあっという間ではなかったはずだ。だが、朝までいた土地と午後に目の前に広がっている土地の違いを感じると、あっという間だったような気がして仕方がない。
 これが旅の醍醐味でもある。
 昨日の同じ時間に何を考えていたかなど思い浮かべると面白いもので、決して田舎ではないと思っている長崎市内が、昨日までを思い出すことで田舎に思えるのだから不思議なものだ。
 腹ごしらえに長崎皿うどんを食べて、商店街を歩いていると、いかにも異国情緒を感じさせられた。
「ペッコンペッコン」
 ビードロ細工を吹いている音が聞こえる。その音が耳の奥に残っていた。
 夜になり飲み屋を探しながら二人で歩いていたが、
「ここに行ってみましょうよ」
 鈴子が声を掛けてきた。普段はあまり自分から店を選んだりすることのない鈴子だが、旅に出ると積極的になるのだろう。何しろ知り合った時に声を掛けてきたくらいなので、今さら驚くことではないが、表情まで変わって見えることが不思議だった。
 店の中は赤が基調の中華風のお店だった。女の子の店員が来ている赤のチャイナドレスが眩しく感じられ、とても可愛らしく見える。皆中国人ではないかと思えるほど、似合っていたのだ。
 女性は全員顔色が綺麗に見えた。彫りを感じさせない顔色は、きっと照明の明るさと、基調となっている店内の赤い色が見せるコントラストによるものなのだろう。照明度からすると、決して明るいと言えるものではないが、コントラストの素晴らしさだけでこれほどのものとは今まで感じたことがなかった。
 車に乗っていてトンネルに入ると、黄色いランプのせいで顔色がまわりに同化してしまって気持ち悪く見える時がある。あの時も彫りの深さを感じさせないが、動いているはずなのに、まったく動いている気配を感じないのだ。この店の店内も同じ雰囲気があるのだが、動きを鮮やかに感じられるところが一番の違いなのだろう。
 また、他の店との違いを音で感じることができる。まわりには客がいっぱいで満席に近いのだが、ここまでくればザワザワとした騒がしさで喧騒とした雰囲気のはずだ。だが、まるで気圧の低い高山に登った時のように音が篭って聞こえるのだ。目の前に広がる光景は鮮やかなのに、耳に残る音は何かに吸収されているかのようだ。
 指先に痺れを感じている。お腹が空いていて、ムズムズした感覚を感じるのだが、暑くもない店内で、なぜか溢れてくる汗が。肌にへばりついている。どこからか吹きぬける風を感じることで、かろうじて意識を保っているかのようだ。
「どうしたの?」
 誠司の様子の変化に気付いたのか、鈴子が見上げて聞いてくる。その顔は何の屈託もなく、自分の表情が険しくなっているのではないかと感じている誠司には、その表情の真意がよく分からなかった。
「どうもしないけど、でも、何か変な気分なんだよね」
「私は普通だけど?」
 涼しい顔で答えているので、その言葉に嘘はないだろう。誠司を見つめるその視線はいつもと同じである。だが、本当に同じと言えるだろうか? 明らかに赤を基調としたコントラストに惑わされてしまっている誠司に、その答えを断言できるだけの自信がない。
 だが、視線だけはいつもと同じに思えて仕方がない。潤んだ目は赤が基調であっても、他の色が基調であっても同じなのだ。
――見つめる視線のその先に誠司がいる――
 瞳の上に写っているその姿は、誠司以外の何者でもないのだ。
「ペッコンペッコン」
 どこからか響いてくる。昼間聞いたビードロ細工の音ではないか。
 その音を聞いた瞬間、先ほどまであれだけ篭って聞こえていたまわりの音が、一気に開放されたかのように耳を刺激し始めた。
 思わず我に返ってしまった誠司だが、
「どうしたの?」
 どこかで聞いたようなセリフである。
「どうもしないんだけど……」
 また同じセリフが出てきそうである。だが、喧騒とした雰囲気がそれを打ち消した。
 タバコの煙が店内に篭っていて、吸わない誠司にとっては嫌悪感を感じるばかりだ。すぐ隣で吸っているタバコの煙が思ったより広い天井へと伸びていく。もちろん、白くたなびいている煙は天井に行き着くまでには消えてしまい、空気に幻想的な白を着色している。
 白という色がこれほど睡魔を誘うものだとは思わなかった。先ほどの篭ったような音がさらに耳に響いてきたかと思うと、まるで銭湯の中で聞こえるような音に思えてくる。きっとタバコの幻想的な煙が思わせるに違いない。
 こんな雰囲気は初めてではない。もちろん鈴子とは初めて味わうのだが、あの時も女性と一緒だったような気がする。
――冴子と一緒に来たんだ――
 もちろん、この店ではないが、同じような雰囲気を持った店に来たのを思い出している。確か、まだ付き合い始める前ではなかったか。告白しようと思って、心臓の鼓動が最高潮に達していたように思う。
 襲ってくる睡魔は心臓の鼓動を少しでも落ち着かせたいという、せめてもの抵抗感であろうか。虚空を見つめている誠司を見つめる鈴子を見ていると、冴子を思い出してしまう。
 変な気分に陥っていたのは夢の中だったからかも知れない。起きて見る夢というのを感じることがあるなんて、きっとここの雰囲気がそうさせるのだろう。起きて見るから夢と言えるかどうか分からないが、知らなかった世界を見ているようだ。
 あの日初めて冴子の気持ちを聞いた。誠司に対しての気持ちだった。その時のセリフがよみがえってくるが、まるで再現するかのように鈴子が同じことを語っている。
「あなたも前に言っていたけど、私も最近、あなたとずっと前から知り合いだったようなきがするの」
 このセリフは相手が自分のことを恋人だと意識してくれた証拠だと思っている誠司だけに、嬉しさがこみ上げてくる。冴子の時は感無量で、他に何も考えられなかったが、今回は一年前の再現を見ているようで、天井に篭っている白さばかりが気になっていた。
 前から知っていたような錯覚に陥るのは、それだけ相手が自然に感じられるからだ。一緒にいても違和感のない、頭の中ではずっと一緒にいることを一番自然と考える相手、それが自然に口から出てくれば、もう疑う余地もない。
「あなたはどうして私を前から知っていたような気がするの?」
 鈴子に聞かれたが、どうしてなのか、それは自分でも分からない。
「自然にそう感じただけさ、感じたことを口に出さないと、嘘のような気がすることがあるだろう? きっと自分の中で確かめたかったんだね」
 言葉を選びながら話をしたつもりだが、結局は思っていることが口から出てくるだけだった。
「今の私もそうかも知れないわ。でも、相手に確かめたいというよりも、自分に「確かめたいのね」
「だから言わずにはいられないだろう?」
「そうね。あなたの言うとおりだわ」
 会話が繋がっているのだが、どうも噛み合っていないような気がするのは気のせいだろうか? 誠司の中で見ている相手が本当に鈴子なのか、疑問に思っているからである。
――鈴子の後ろに冴子が見える――
 そんな気持ちになっているのかも知れない。
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次