短編集26(過去作品)
わだかまりがないわけではないが、前の男と自分が違う人間だということを意識さえしていれば、気にすることもない。
遊園地での冴子は、何とも言えずにはしゃいでいる。年上だなんて絶対に信じられないほどだ。遊園地でのデートなど、今までになかった誠司は少し戸惑っていた。だが冴子の笑顔はそんな戸惑いを払拭してくれるようで、まるで天使の微笑みのようだった。
遊び疲れて、途中にある芝生の上で、家族連れやカップルがお弁当を広げている。無意識に目が行ってしまい、横目で見ている格好になってしまった。すると冴子がそれに気付いたのか、
「お腹空きましたね。私お弁当作ってきたんですよ」
手を引っ張るようにして、芝生の上へと誠司を誘った。
「おいしそうだ」
少し崩れかかってはいたが、それが却って一生懸命に作ろうとしてくれたことを示していた。真心が伝わってくるお弁当というのは、目の前にあるような弁当だと思うと、それだけで、目が離せなくなるほど嬉しく感じる。
そのひと時が一番幸せだったのかも知れない。
その日からしばらく毎日のように仕事が終わって夕食を食べたりと、ひと時を楽しくすごしていたが、実際に冴子を抱いたのは、遊園地に行ってから半月は経っていたと思う。
半月が長いか短いかは、誠司には分からない。だが、誠司の中で焦ってはいけないという思いがあったのと、感情に任せて抱いた時、彼女の目が前の男を見ていると感じることがあればと思い、それが怖かった。
だが、気持ちの高ぶりを自然に任せることは、すべてをうまく運ばせるようだ。お互いに気持ちの高ぶりが最高潮に達し、身体を求める時期がよかったのだろう。
「私の求めていたものが見つかった気がするわ」
冴子が言った。その影に前の男を見ることはなく、思い過ごしだったことにホッとした誠司だったが、想像した以上に素晴らしい冴子の身体に戸惑っていたのも事実である。
それまでにオンナを知らない誠司ではなかった。だが、自分を本当に求めている女性と
めぐり合ってこなかったように思える。男なら誰でもよかったとまではいかないが、そんな相手なら、ある程度の時間が経てば、冷めていくばかりである。
実際に付き合ってまもなく別れた女性もいた。付き合っていたという人数に入れていいかどうか迷うくらいの短い期間であり、気持ち的にも中途半端な期間である。
そんな女性は抱いてしまってからというもの、気持ちが一気に冷めていった。誠司の方から冷めたこともあるが、相手が冷めることも多い。身体の相性と一口には言えないかも知れないが、最大の理由である。
冴子に対しても不安はあった。いや、冴子にだからこそ一番不安を感じた。
――失いたくない――
という気持ちが一番強かったからだ。
しかも、失恋してすぐの女性なので、誠司の出現に少なからず戸惑ったはずだ。男性から好きだと告白されて嬉しくない女性などいないだろうが、果たして時期が大丈夫かどうかが気になっていた。
失恋してすぐに他の男性を好きになることに抵抗のある女性もいるだろう。しかし明らかに冴子の目は誠司が気になる目だ。
「僕のどこを気に入ったんだい?」
しばらくして聞いてみた。
「可愛いところかしら。大人の仲間入りした男性に、可愛いっていうのは失礼かも知れないけどね」
という答えが返ってきた。
思い切って女性に告白したのはその時が最初ではない。学生時代には、ノリで告白したこともあったくらいで、それが自分の性格だと思っていた。告白してもいい時期が学生時代には見えていたような気がする。相手のリアクションは自分の想像したとおりだし、潤んだ目を見ていると、本当に告白してよかったと思う。
相手の気持ちが分からなくていつも悩んでいた。そんな自分が女性に告白するタイミングだけは逃さないのだ。実に不思議だった。告白する時だけなのである。
告白して相手も待ち望んでいたのだから長く続きそうなものである。しかし長く続いても半年、次第にぎこちなくなってくる自分たちにお互いが気付いてくる。
少なくなってくる会話が途切れると、もうだめだった。最初の頃は言葉に発する前から何となく言いたいことが分かっていたのだが、それが思い過ごしではなかったかと思えてくるほど気持ちが分からなくなってくる。
顔を見ていて表情の変化に敏感になるのだが、相手の気持ちがベールに包まれたように見えてこない。そうなってくると、最初に感じた相手への思いを忘れてしまいそうになり、感情が薄れてくる。
「君とはずっと以前から知り合いだったような気がするよ」
「まあ、お上手ね。それ殺し文句?」
と言われたが、
「いや、自然に出てくる言葉だよ」
これも自然に出てくる返事だった。それだけ自然でありたいと思うことが、相手の気持ちを思う一番の近道なのかも知れない。
冴子とはそれでも半年は続いただろうか。一番長かった。その間に何度喧嘩になったことだろう。引っかき傷などの生傷が絶えなかった。
一番のネックは彼女に結婚願望が強いことだった。事あるごとに、
「あなたは私のことをどう思っているの?」
と聞かれ、
「何度も答えているじゃないか、愛しているよ」
最初こそ自然な言葉だったが、ここまでしつこく聞かれると、答える言葉も色あせてくる。
――もうウンザリだ――
彼女の結婚願望の強さは分かっていたつもりだし、いずれは結婚も考えている。何をそんなに焦っているのか、男だから分からないだけなのだろうか。愛している気持ちに変わりはないが、気持ちが崩れれば、後は瓦礫がごとくとなることだろう。
嫌な予感は衝突という形で絶えず紙一重の状態の中にいた。喧嘩にはなるが、翌日になれば従順に戻っている。完全に戻るからこそ、喧嘩した時の気持ちの高ぶりを忘れてしまっている。結婚という二文字を一番意識したのもその時で、冴子の存在がなければ自分の存在感もないような気がしていた時期だった。
冴子への気持ちは永遠だった。次第に薄れ行く感情の中で、冴子は誠司から離れていく……。最後は必死に引き止めようとする誠司を振り払うような冴子は、もはや別人だった。別人に見えてしまったら最後、別れの道しか残っておらず、自分の気持ちに偽っていることが分かっていたが楽になりたいという一心から、冴子が去る道を与えてしまった。
それがよかったのか分からないが、激しい後悔が誠司を襲う。
――どうして別れちゃったんだ――
その時になって自分の中での冴子の存在の大きさに初めて気付いた。そして今でも出会った時に感じた冴子への気持ちが変わっていないと思う。いや、それ以上かも知れない……。
「失わないと、その大きさに気付かないのさ」
と言っていた友達に気付いたが、付き合っていた時に感じていた冴子の大きさよりもさらに大きな存在だったのかも知れない。
冴子の存在をずっと引きずっていくような気がしていたが、吹っ切りたいという思いを持って出かけた旅行、そこで出会った女性にも運命的なものを感じたのだ。
――いったい私は何人運命的な女性と出会うのだろう――
複雑な心境だった。ただ一つ言えることは、
――気持ちを吹っ切ることで、運命が開けるのだ――
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次