短編集26(過去作品)
それは、どちらが早いかというわけではない。もちろん、行って帰るのが振り子の運動なのだから、どこが始まりでどこが終わりか分からないのである。きっとブランコにしてもそう思って見ていたはずなのだが、ブランコの揺れ方だけは、不思議に感じながら見つめていた。
最初は大きな揺れだった。それがあっという間に小さな揺れに変わっていて、そこまでは早かったにもかかわらず、小さくなった揺れを見ているうちに、それがいつ終わるか分からないほどいつまでも小さく揺れていた。私の視線が釘付けになったのは、意識がハッキリしないまでもその不思議な運動を無意識に感じていたからだろう。
小刻みに震えていた身体。熱くて汗が滲んでいたのが分かっていたので、寒気を感じていた。病院の点滴が効いてきたのだろうか、汗を掻いて熱を追い出そうとしているようだ。しかし、少しの風でも身に沁みるものがあった。指先が乾燥していて、カサカサになっている。そして何よりも耳鳴りがしているようで、周囲の音をまるで感じなくなっていた。
小刻みな揺れがブランコの揺れに反応しているように思える。かなしばりにあったかのように視線を離せなくなっていたが、しばらくして視線を離せるようになってくると、寒気もなくなっていた。指先の感覚が戻ってきて、手の平に掻いていた汗もいつの間にか乾いている。
あたりを見回して見たが、横にある大きな木の枝に当たる風が、サラサラと心地よい音を立てている。
――熱が下がってきたようだ――
額に手を当て、そのまま手で庇を作るポーズを取った。夕日を浴びている木の枝を見たいがためである。その時に見た枝が、今までに見たよりもさらに遠く感じられたことが、その時一番の印象として残っていた。
私は異人館の中で、
――オランダ将校は一体どんな思いでこの木を見つめていたのだろう――
と感じていた。別に将校が木の枝を見つめていたという確証はどこにもない。私が、ただ見つめていて感じたことだけなのだ。だが、ここにいるとなぜか木の枝に魅せられるような気がして、それだけ地面までの遠さが気に掛かってしまう。
――オランダ人なんだから、私よりもきっと背が高かっただろう――
私も身長は決して低い方ではない。男性の中でも大きい方だ。窓からじっと下を見つめていると、思わず身を乗り出して落ちてしまうのではないかという錯覚に陥ってしまっていた。オランダ将校にはそんなことがなかったのだろうか? 手すりが少し低めに感じられる。
――実に恐ろしいな――
考えれば考えるほど気持ち悪くなってくるのに、なぜかそこから立ち去る気にはならない。不思議な感覚だ。
「何か見えますか?」
私の横に一人の女性がやってきていた。誰かが近くにいるのは分かっていたが、すっかり下に視線を移していた私に、他を気にする余裕などありはしなかった。
「あ、下を見ていると、だんだん遠くなる気がしてきましてね」
そういって振り返ると、そこには少し背が高めのスリムな女性が立っていて、何よりも吹いてくる風に靡いているストレートな綺麗な髪が気になってしまった。西日が当たってところどころまだらになっているかのようで、木の枝に釘付けだった視線は、たちまち彼女の髪の毛へと移動していた。
西日が当たってハッキリと見えるその顔は、私の知っている範囲の中でも一番綺麗に感じられる女性だった。光が当たってひときわ華やかに、しかし贅沢な感じを漂わせない質素な雰囲気も醸し出していた。そのアンバランスなバランスが私の視線を釘付けにして離さないのだ。
「そうですか、私も、さっきからここの扉の桟に手を掛けていると、ついつい下を見てしまうんですよね」
「何が見えますか?」
「大きな池があって、そこに飛び込みたくなるような衝動に駆られてしまっているのかも知れませんね」
「大きな池ですか……」
池といえば、うちの近くにもあった。沼ともいえるようなところで、子供の遊び場としては危険区域に指定されたようなところである。
「あそこに立ち入ってはダメよ」
と、よく親から言われたっけ。私は親から言われたことに逆らえないタイプの大人しい少年だった。というよりも、自分でも危険だということは分かっていたので、近づかなかった。頭の中で納得したことは、絶対にしなかったのだ。
しかし友達の中には、そんなことを言われれば冒険してみたくなるやつが、必ずいたものだ。その時の友達にもいて、やはり彼は沼に時々行っていたようだ。私にはそこまでの冒険心はなく、それだけ現実的だった。
見つかったら文句を言われるだけだと思った友達は、沼に近づく時、誰にも告げることはなかった。それだけに、彼が行方不明になった時も、すぐには沼を探してみる人は誰もいなかった。何となくだが、
――彼が沼にいるのでは――
と思っていたが、大人に進言することをしなかった。
「あそこは立ち入り禁止よ。何バカなことを言っているの」
と言われるのがオチだと思ったからだ。
だが結果的には彼は沼に行っていて、そして溺れて亡くなった……。
――あの時に私が進言していれば……
と何度思ったことだろう。それがトラウマとなって私の中に残ってしまった。忘れようとしても時々夢となって現われた。
私は大人になっているのに、まわりは子供の頃のままなのだ。今では埋め立てられてしまった沼も、夢の中では現存し、友達も皆小学生、小学生の友達の輪の中で、私だけが大人なのだ。
――沼に行ってはいけない――
頭の中にそのことがへばりついている。
「沼に行こうぜ」
そう言ってしつこく誘うのは、沼で亡くなった友達だ。
――彼は死んだはずだ――
頭の中では分かっている。しかし、それでも生きている彼を認めてしまうのも、夢という不思議な世界だからだろう。
「危ないじゃないか。だから僕は行かない」
「俺は行くぜ。面白そうだからな」
本当は、
「やめろよ」
という言葉を言いたいのだが、喉につっかえていえない。
「行くと死んでしまうぞ」
と言ってしまいそうで怖いのだ。友達を失いたくはない。しかし、彼は死ぬ運命にある人間だということは大人の私には分かっている。いくら夢だといっても、その運命を狂わせることをしたくない。だから、沼に行くという彼を、私は止めることができないのだ。
ジレンマが私を襲う。このまま行かせてしまうことが、私の中でトラウマとして残ってしまうのだ。彼が死んでしまうとしても、ここで止めようとさえすれば、私も長年のトラウマから解放される気がする。
しかし、夢の中で彼を止めようとしてもできない。なぜなら、止めようとすると、そのまま目が覚めてしまうからだ。私にはどうしても彼を止めることができないらしい。トラウマが見せる夢なので、トラウマを解消することなどできないのだろう。
「死」という言葉、私にとって特別な感慨がある。今までに人の死に目に出会ったことはなかったはずなのだが、一瞬襲ってくる後悔、すぐに忘れてしまうので、どこから来るものなのか分からない。怖いと思った瞬間、その次に浮かんでくる言葉が「死」なのだ。
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次