短編集26(過去作品)
真っ暗な中を歩いていると、冷たさがさらに身に沁みる。急いで部屋へと向かうが、見えてきた自分の部屋から明かりが漏れているのを感じた。
――あれ? 電気を切り忘れていったのかな?
急いで部屋の前まで来て、鍵を開け中に入る。中からは普段と同じ冷たい空気が漏れてきて、そこに誰もいないことを証明している。ただ、明かりだけがついているのだ。
中に入って部屋を見渡す。
――明かりがついているのに、これほど冷たいとは――
いつもに比べると確実に暗い。どこからも風が漏れてくるわけでもないのに、冷たいのである。
暖かい時の方が風を感じるくらいだ。完全な密室で、気がつけば次第に空気が重たくなってくるのを感じる。帰ってきた時は空気がそれだけ軽かったのだ。
部屋の奥に置いてある電話が鳴った。
「誰だろう、今頃」
重たくなった空気の中、ただでさえ疲れて帰ってきているのに、身体を動かすことすら億劫な状態で座っていた身体を起こした。
次第に電話の呼び出し音が大きくなる。今までは自分が他の人にしていたことを思い出して、思わず苦笑いをしてしまう。
「もしもし」
掛かってきて先に返事をするのはくせになっていて、そこまで言うと相手を探った。相手は何も言わずに受話器を耳に当てているようだ。
日高もそれ以上は返事をしない。息遣いが聞こえてくる。相手にも日高の息遣いが聞こえていることだろう。
――ああ、きっと何かの言葉を聞くよりも息遣いを聞いている方が最高の興奮を感じているのだろう――
今さらながらに感じた。決してお互いに喋ろうとはしない。息遣いだけを感じながら黙っている。だが、相手が誰であるか分かる気がした。相手にも分かっていることだろう。掛けた時には。まさかここに繋がると思わなかったかも知れないが、繋がった瞬間、お互いに感じたのだろう。
かくいう日高はその相手と電話で対峙するのは初めてではない。エスカレートしてしまった行為は、ついに電話の声にまで、感じていたくなったのだ。相手も気づいていると思う。だから何も喋らない。どこからか、アルコールの臭いがしてくる。意識が朦朧としてくるのを感じている。
その時である。電話の向こうから声が聞こえた。
「もしもし」
それは先ほど日高が電話に向かって喋った言葉そのもので、間違いなく自分の声である……。
人間の想像が果てしないものであることを、知った瞬間であった。
真っ暗な部屋、誰もいない部屋。重たい空気が充満し、凍り付いてしまっているようである。
部屋の奥で、受話器が電話機からぶら下がった状態で、振り子のように揺れている。そこに日高の姿はなく、受話器からは、いつまでも同じ声が響いていた。
「もしもし」
と……。
( 完 )
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次