短編集26(過去作品)
と感じるのである。どこが違うのかは分からないが、身体の自由を奪うに足りるだけの臭いを漂わせていた。
気がついてしばらくは、朦朧とした意識の中で、意識を取り戻そうとする。いつもは頭が痛かったりする時は、睡眠時間が足りなかったり、あるいは、寝過ぎの時もあったりする。要するに睡眠とはデリケートなもので、一定の睡眠効果が現れなければ頭痛がしてきたりするものなのかも知れない。
それは一概に一定の時間というわけではない。同じ時間であっても、頭痛がしたりしなかったりするだろう。その時の精神状態にもよるはずで、たとえば翌日が休みであったりすると、少々寝ても寝たりないと思うはずだ。それだけ安心して眠りに就いているからで、眠り自体も深いことだろう。深い眠りから覚めるまでには時間も掛かるだろうし、それだけ長い眠りに就いているという自覚があるのだ。
それほど切羽詰った状態ではないので、眠りはいつも深いだろう。夢を見るのも眠りが深いからで、だが、起きてから思い出せる夢が深い夢の時かどうかというのは、定かではない。
夢というのは神出鬼没、何かの法則の下に見るものではないように思う。それだけ不確かなものだけに、潜在意識の範囲内になるのだろう。案外、現実とほぼ同じ世界が広がっているだけで、起きてから勝手な想像をするだけなのかも知れない。
四次元の世界を想像すると、そこはまったく違う世界である。だが、すぐそばにあるもので、この世界の裏側にそっくり広がっているというイメージを持っている。夢というのもニュアンスは違うが、自分が知っている世界が広がっているだけだと思えば、向こうにももう一人の自分がいるという考えも成り立つのではないだろうか、そして向こうでは自分が主人公、それこそ「夢に見る世界」というものである。
アルコールの臭いが鼻をつくのは、夢を見る寸前に起こることではないだろうか?
匂いに関して敏感な時と、そうでない時があるが、時々感じるのは、コーヒーの香りである。表で馴染みの喫茶店を数軒持っている日高は、些細ではあるがちょっとした自慢だった。学校の近くにある喫茶店は、濃いコーヒーが自慢の店で、表を歩いているだけで、コーヒーの香りに魅せられてフラッと入ってくる客もいるのではないだろうか。
かくいう日高も、その香りに誘われた口で、最初に入った時は冬だった。
冬ほどコーヒーの香りをありがたく感じるものがないことを初めて知ったのがその時だった。
高校時代まで飲めなかったコーヒー、香ばしい香りには興味があったが、何しろ苦い飲み物が苦手だったのだから仕方がないと思っていた。しかし大学に入り、先輩に連れて行ってもらって飲むようになると、
――リラックスした気分になれる――
ということを発見したのだ。先輩と二人で話しているとどうしても緊張するが、コーヒーの香ばしさがその緊張を適度にやわらげてくれる。それが嬉しかった。
木枯らしが吹くような寒い日に、表から見た喫茶店の中は、とても暖かい雰囲気だ。バンガローのように、木材を重ねた造りになっているその店は、今でも学生の憩いの場となっている。就職してからも、仕事が速く終わった時など時々遊びにいっては、コーヒーを飲みながら読書をしている。
――やっぱりここが落ち着くな――
家でもいいのだが、ちょうど会社からの帰り道にあたる。日が暮れて夜の帳が下りてき始める頃に通りかかるので、身体が冷え切ってしまう前のちょうどいい時間帯に店の前を通る。
――一番いいところにある店だ――
ほのかな香りを楽しむように扉を開けると、そこに広がるオアシスは一気に冷たさを開放してくれる。
店の中に入ると、店内が静かなせいか、耳鳴りが聞こえてくるように思える。湿気を帯びて空気が濃密なのに、耳鳴りが襲ってくるというのもおかしな気がするが、座って本を開くと、いつの間にか耳鳴りが消えている。
本の世界に入り込む瞬間が日高は一番好きだ。完全に俗世間とは違う世界に入り込んでくるようで、独自の世界を形成できる。本の内容にもよるのだろうが、恋愛小説の中でもドロドロしたのは嫌なので、あまり恋愛小説を読むことはない。
たまにミステリーを読む。ミステリーは読みやすく、一気に読むことができるが、自分の世界に置き換えて読むには少し展開が速すぎて、テンポに自分のペースが乗り切れないでいる。だから、時たま読むことで、能に対する狂言のような役割を果たしているのかも知れない。
最近は、奇妙な物語を読むことが多い。ショートストーリーで読みやすく、それでいて、描かれている世界に入り込みやすい。きっといつも頭で考えていたり、夢に出てきやすいような内容の回答が用意されているように思うからだろう。
奇妙な話の本で、共感できる内容に出会うことも珍しくない。それだけ自分が奇妙な発想をしているのか、それとも、誰にでも身近なところで奇妙な世界に入り込むスポットを持っているのか分からないが、どちらかなのだろう。
奇妙な話の内容としては、あくまでも陥るのはどこにでもいるような普通の人で、決して変わった人ではない。それでなければ共感を受けることもなく、SFに近い発想になってしまう。
――そうそう、こんなことを考えたこともあるな――
と読者が感じるような内容であればこそ、ストーリーに深潜できるのだ。
この間読んだ本の中で、
――これはまさしく私のことだ――
と思った内容の本があった。今の自分が書くなら、結末こそ違え、同じ内容になりかねないと感じたもので、日頃から考えていることをことごとく文章に著している内容だ。
音をモチーフにした内容で、きっかけは壁から聞こえてくる声であった。声の内容は男女の営みのような艶かしいものではなく、何かの相談なのだが、相手の息遣いや声の抑揚などを必死に聞き取ろうとする主人公の気持ちには共感できた。話の内容は恐ろしいもので、殺害計画だったり、他の犯罪だったりする。夢だったという結末なのだが、結末というよりも、それまでの過程で想像したことの大きさが内容のすべてだったように思う。
――作者は自分と同じような経験を持っているのかも?
と感じるのも、勘ぐりすぎではないかも知れない。隣の部屋から聞こえてくる声が、何かの犯罪計画というよりも、艶かしい声という方がはるかに自然で、そこに興奮を覚えるのは、男なら当然ではないだろうか。だが、その作者は女性である。それもごく身近な雰囲気を感じるのは、里絵を思い出すからだろう。
――ひょっとして里絵が聞いているのを知っていて、わざと聞かせていたのではないか。それが小説を書くパワーに変わったのではないか。――
と思えるのだ。
最後に作者があとがきで書いていたことだが、
「私は、この小説を書くまで、自分が音に対して敏感だという意識がなかった。確かに音をモチーフにした作品を書きたいと常々思ってきたが、実際に書いてみると、そこにいたのは自分だったのだ……」
そんな内容だった。作者が里絵なら、このコメントに納得がいく。実に自然に……。
本を読み終え、喫茶店を出る頃には、完全に夜の帳が下りていた。
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次