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短編集26(過去作品)

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 いざという場面を見切るのも、客観的に表から見ている自分がいると考えれば説明がつきそうな気がする、そうでなければ、自分の存在自体、夢の中で主人公かどうか分からないではないか。確かに夢から覚めないと夢を見ていたという自覚がないかも知れない。しかし、そうであれば、夢を見ていたということすら起きてしまえばまったく覚えていないに違いない。それを覚えているということは、潜在意識として客観的に夢を見ている自分の存在を認めないわけにはいかないだろう。
 重低音が響き、弾丸が回転しながら空中を飛んでいる。ハッキリ見えること自体が夢なのだが、次第に弾丸が大きくなっていくように見えるのは錯覚だろうか?
 よくよくまわりを見ると、そこにいるのは、自分だけなのだ。狙われている自分だけが歩いていて、まわりには誰もいない。いつの間にかピストルを撃った人間の姿も消えている。弾丸を発射した後の粉塵が残っているだけだ。
 なぜ自分が狙われなければならないのかなど分からない。夢というのが潜在意識の見せるものだということであれば、誰かに狙われるという被害妄想が強かったからだろう。しかし死にたくないという思いから、ゆっくりとしたスピードで考える余裕を持ちたいと思ったための夢かも知れない。
「早く避けるんだ」
 と客観的に見ている自分が叫ぶ。しかし、主人公の自分が気づかない。一体何をしているというのだろう。
――ああ、何ということだ――
 壁に耳を押し当てていて、まわりが何も見えていない。いや、聞こえていないのだ。きっとピストルの音も耳に入っていないだろう。微動だにせずに、全神経を壁の向こうに集中させている自分、じれったくなってくる。
 やっとピストルに気づいた時は、すでにかなり手前まで弾丸が迫っていた。
――万事休す――
 と思ったのもつかの間、勢いよく主人公である自分は弾丸を避けることができた。
 するといきなりあたりが明るくなり、ものすごい音を立てて、いや夢の中で音が響いたかどうか分からないが、状況から考えて響いたように感じ、弾丸は奥深く壁にめり込んでいた。
 壁からはピストルを放った時のような粉塵が吹き出していた。主人公である自分はその様子をまるで他人事のように見つめている。自分が狙われたこと以前に、今起こった状況をまったく理解できていないようだ。
 そこで夢は終わった。
――どういった夢なんだろう?
 起きてからも夢の内容の断片はハッキリと覚えている。これ以上のことがあって忘れてしまっているのかも知れないが、記憶を結びつけると少なくとも時系列としては繋がっているのだ。
――そういえば、あの日寝る前のテレビで、サスペンスをやっていたっけ――
 銀行強盗が出てくる物語で、ただ漠然とつけていたテレビが放映していただけだった。真剣に見ていたわけではない。真剣になったのは、深夜布団に入ってからいつものように気配を消して隣室の様子を探ろうとした時だけである。
 そんな毎日が完全な日課になってしまった。いい悪いなど、もう判断できない。本能のままにいつも耳を壁に当てている。
 仕事から帰って来る時は、すっかり夜の帳が下りている。
――あれから一体何年経ったのだろう?
 部屋は何回か変わった。隣に誰もいない部屋を選んだわけではないが、引っ越すたび、隣の部屋はいつも誰もいない。だが、そのうちに引っ越してくる。決まって若い女の子だ。彼氏がいる人もいればいない人もいただろう。
――こんな人はきっと一人だ――
 と思える人もいて、そんな人への妄想も湧いてくることがあった。
 部屋を真っ暗にして声を潜めて耳を壁に当てる。雨戸もカーテンも締め切り、完全な密室だ。湿気た重たい空気が部屋全体に充満している。ちょっと動いただけでも息が切れそうな雰囲気に身体を預けている感じだ。
 隣からは何も聞こえない。誰もいないわけはない。先ほど隣の部屋に帰ってくる女性の姿を見たばかりだ。
 カーテンの向こうに見える雨戸の閉まっている窓から明かりが漏れてくる気がする。目が慣れてくると、さっきまでの残像が残っているのか、カーテンの向こうから木漏れ日が見えてくる。
 そのうちにカーテンが揺れているのを感じると、どこかからか風が入ってくるように思えて仕方がない。そんなはずがあろうはずもないのに、どうしたことだろう。だが、そんな思いはその時に始まったものではない。夜の楽しみを味わうようになってからというもの、どこかからか、違う空気が部屋に侵入してくるのを感じるのだ。
 ツンとした臭いが鼻をつく。まるで化学実験室の臭いが漂ってきて、アルコールが染み付いた部屋と化してしまっている。以前に怪我をして入院したことがあったが、その時のことを思い出した。その他大勢の大部屋だったのだが、夜になると午後九時が消灯である。
 若い身体がそんなに早く眠れるはずがない。ましてや病人というわけではなく、怪我をした場所以外は元気なのだ。
 夜がこれほど不気味だとは思わなかった。ジュースを買いに通路を歩くが、非常灯しかついていない状況は、怖いというよりも気持ち悪い。黄色いランプだったり、赤いランプだったり、まるで手術室のようだ。それからである、暗い部屋を必要以上に感じると、アルコールの臭いを思い出すようになっていったのは……。
 確かにアルコールは気持ち悪い。臭いも嫌だし、悪くなくとも、どこかがおかしいような気持ちになってしまう。
 だが、以前に何度も感じた臭いだった。
――どこで感じたものなのだろう?
 思い出そうとするが、なかなか思い出せない。ただハッキリとしていることは、そこが暗い部屋だったということだ。まわりに何があったかなど思い出せない。そこには確かに誰かがいて人の気配があった。その人は金縛りにあったようになって横たわっている日高を覗き込んでいる。顔は分からない。男か女かも分からない。だが、分からない顔なのに表情は不気味な笑顔を浮かべているように思うのはなぜだろう。
 気がつくと、汗をぐっしょりと掻いていた。
――夢だったんだ――
 分かってはいた。だが、いつものような確信はなかった。夢だということには結構いつも敏感に感じる方だが、その日は完全に夢と現実の狭間から抜けるまでにかなりの時間が掛かった。
――きっと今も夢の中なんだ――
 と思えば、それ以上のことは感じない。感じなければ何となく物足りなさを感じ、
――もっと見ていたい――
 と思うようになっていった。
 こんな不思議な気持ちは久しぶりだった。壁に押し当てている耳は汗でベットリ濡れている。
 アルコールの臭いは身体を金縛りに追い込んでしまう。麻酔薬の臭いに似ているではないか。実際に麻酔薬を嗅いだことはないが、アルコールの臭いを嗅いで逃げ出したくなるのは、きっとアルコールが身体の自由を奪ってしまうものだということを分かっているからである。
――まるで解剖されてしまうようだ――
 小学生の時の理科の授業で解剖があった。初めてではないはずのアルコールの臭い、実際に、
――前にも嗅いだことがあったな――
 と思いもしたが、やがて、
――いや、以前に嗅いだものとは微妙に違う――
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次