短編集26(過去作品)
「夢ってきっと何かの願望があって見ているんだろうね」
と言われてもピンと来ない。見ている本人が、夢を見ているんだという意識にならなければ、何が願望か分からないだろう。
――今夢を見ているんだ――
と自覚できる時がある。夢だと分かっているから何でもできるだろうと思うのだが、どっこいそうはいかない。夢だと思うことで却ってできなくなってしまう。
それが潜在意識だということになるのだろう。
――夢とは言っても、できないものはできない――
そう感じると、気がつけば目覚めている。
そんな時、身体にはベットリと汗を掻いている。決して気持ちのいい目覚めではない。頭痛がすることもあるくらいで、なかなか収まらないのは、瞼が石のように重たいからである。
その日の目覚めに夢を伴っていなかった。目覚め自体が夢ではないかと感じるほどであった。
時計を見れば中途半端な睡眠時間である。却ってこれくらいの方が、寝すぎるよりもいいと思うこともあるが、それが目覚めを心地よいものにしたのだろう。
睡眠が短いことを身体が覚えている。だからこそゆっくりと目覚めようという意識が働き、決して無理をさせようとしないのだ。
無理に目を覚まそうとすれば胸の鼓動が激しくなり、息遣いが荒くなる。部屋の中の空気が淀んできて、本当に湿気で重たくなった室内を感じてしまう。
真っ暗な部屋は特に湿気で重たく感じる。ちょっとした息遣いが部屋にこだましている。いつも自分の息遣いだと思っているから、その日の気配も自分の息遣いだと、最初は感じた。だが、何かが違う。いつもと目覚めが違う。それだけでも大きなことだ。少し低めの息遣いだと思ったので自分だと感じたが、よくよく聞いてみると女性の声なのだ。
壁に耳を押し当ててみる。絞り出すような切ない声が聞こえてくる。こっちの部屋などよりもさらに重たく湿気に満ちた空気がさらに淀んで充満しているようだ。部屋を開けただけで、そこで繰り広げられていることを瞬時に感じることができるのだ。
壁から離れていればあれだけ声が篭って聞こえたのに、壁に耳を押し当てただけでリアルに聞こえる。最初は、必死で壁に耳を押し当てたものだ。
湿気に満ちた声は、里絵の淫らな姿を思い起こさせようとする。薄暗い部屋の中で、繰り広げられている男女の営み、相手の男が誰なのかなどサッパリ分からないが、蠢いている姿が影絵のように照らされている。カーテンが引かれた真っ暗な部屋の窓から、かすかに光を感じるのは、しばらく状況に慣れようと、ゆっくりとした時間を自分で感じていたからに違いない。
壁の向こうから感じる声ほど淫靡なものはない。実際に目の前で繰り広げられていた光景だとしても、壁の向こうの想像に比べればその値ではない。
――僕って変なんだろうか?
自分に自信がないからだと感じることもある。後ろ向きの考え方をしていると、どうしても自分に自信がなくなってしまって、考えが横道に逸れてしまうことが往々にしてあるというものだ。
それを友達に話すと、
「お前だけじゃないさ。皆感じていることじゃないか?」
そう言って、苦虫を噛み潰したような表情になる。
――聞いてはいけないタブーだったのかな?
と感じ、それからは人に相談しなくなった。
もちろん、隣の部屋の秘め事をそのまま相談したわけではない。たとえ話の中にうまく織り交ぜたつもりだが、相手は分かってくれただろうか?
自分に自信がなくなるのは、今に始まったことではない。親からいろいろ言われるたびに自分に自信をなくしていた子供時代、そのためなるべく親から言われないようにしようとしていたが、何かというと難癖をつけてくる。
――子供の粗ばかり探してどうするんだ――
という感情が、親と一線を引くようになった最初の要因だった。
人と同じことをするのが嫌いな性格である日高は、それも親の影響だと思っていた。親のいうことにはことごとく逆らいたかったというのも事実なのだが、それだけで説明のつくものではない。性格的な面が多分に影響している。
それからの日高は自分が異常性格ではないかと思うようになっていた。ちょっとしたことでも敏感になり、人から言われることすべてが、自分に対しての非難に聞こえてしまう。――被害妄想――
と言ってしまえばそれまでなのだが、被害妄想というのもすべて自分中心に考えるからそう思うのだ。
かといって自分中心の考えを変えようとは思わない。人と同じ考えであったり、同じ行動を理解もせずにとることが自分にとってナンセンスだと感じているからである。
「人と同じことをしていたって、人より目立つことはないさ。結局、そこまででしかないんだからな」
と友達と話したことがあった。
普段からあまり学校の授業をまともに聞く方ではなかったが、似たようなことを話していた先生の言葉だけがやたら耳に残ったのだ。
先生はそれほど深い意味で話したのではないかも知れない。しかし日高にとってその話は自分の性格を考える上で、非常に重要だったのだ。話を聞いていて共感でき、きっと目も輝いていたに違いない。なぜその時だけ一生懸命に先生の話を聞いたのか分からないが、真面目に思える話を雑談っぽく話そうとした先生の話に必死だったのかも知れない。
日高にはそういうところがあった。あまのじゃくと言われればそれまでだが、人から言われたことをあまり真面目に聞きたくないくせに、さらっと流そうとしたことを必死になって理解しようとしたりするところがある。そんな中にこそ自分にとって大切なことが潜んでいるのではないかと感じるようになったのは、人と同じ行動をしても、目立たないという話を聞いてからである。
時々自分の性格が損なんじゃないかと感じるが、それが自分の性格なんだから仕方がない。意外とまわりにも同じようなタイプの人が集まるようで、話を聞いてみると、
「おお、お前も同じような考え方なんだな」
と共感が生まれたりする。
一人、友達の中で大学の一番近くに住んでいる友達の部屋へよく泊まりに行った。人が泊まりに来ることを歓迎するやつで、一緒にビールを飲みながら夜を徹して話したこともあった、お互いに自分の性格や相手の性格を分析して指摘しあったりするのが好きな友達だったのだ。日高にとっては願ったり叶ったり、大きな声で話さなければ他の住人にも迷惑をかけることもなく、話ができる。その環境が嬉しかった。
自分の部屋に呼んだこともあるが、泊まっていった人は誰もいない。日高自身、あまり人を泊めたくなかった。一人でいる時の楽しみを人といることによって奪われたくなかったからで、自分が部屋にいない分にはいいのだが、部屋にいて楽しみをみすみす見逃すことは耐えられなかった。
日高は自分がわがままだと思う。自分中心であるからで、大学生なのだからそれが許されると考えていた。
――自分中心でもまわりに影響がなければそれでいいじゃないか――
それが基本的な考えとして頭の中にあった。
作品名:短編集26(過去作品) 作家名:森本晃次