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自我納得の人生

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 しかし、一旦立ち止まってしまったのだ。そこから急いで渡る勇気を持つことはできなくなっていた。誠は、綱でできた不安定な手すりをしっかり握りしめ、命綱がそれだけであることを自覚しながら、進んだのだった。
 進むにつれて、揺れが激しくなる。
 後ろから誰かがついてきていて、揺らしているのではないかと思うほどの揺れに、思わず、後ろを振り向いた。
 もちろん誰もいるはずもなく、後ろがかなり遠く感じられた。
――やっぱり――
 遠くに感じられたことと、後ろを振り向いたことで、目がくらんでしまったことの確認とで、思ったことだった。
 ただ、そんな呑気なことは言っていられない。一旦振り向いてしまったことで、前を振り向くために、今度はさらなる勇気が必要だ。
――断崖絶壁よりも怖いかも知れない――
 本当に地獄の一丁目である。
 目の前を通り過ぎる風が、さらに揺れを誘い、足元がいつ崩れても不思議がないように思われた。渡ってしまったことを完全に後悔している。
――僕はなんてことをしてしまったんだ――
 と感じながら、急いでこの場から立ち去ることを考えていた。開き直るしか手はないことに気付くまで、しばらく時間が掛かったのだ。
 とりあえず、荷物は身体に結び付けていたのは正解だった。下手に宙ぶらりんの状態にしていれば、荷物に気が散ってしまい、立ち往生してしまうと、どうしようもなくなってしまう。何とか渡ることだけに集中していれば、何とかなりそうな気がした。
 ゆっくりと足を前に進ませた。最初は恐ろしさから、背筋が凍る思いだったが、次第に慣れてきた。
――これなら渡れそうな気がするな――
 と感じたかと思うと、さっきまで遠く見えていた橋の終点が目の前に見えてくるようであった。
 急いで渡りきった。呼吸は完全に乱れたまま、渡りきった途端、腰が抜けたのも当たり前のことだろう。とりあえず、しばらく身体を休めておかないと、凍えそうな冷たい空気に、硬直してしまった身体が動かなくなってしまう。
 それは時間を掛ければ掛けるほど、歩けなくなってしまうことを意味していた。急いで渡ったのは正解で、そのおかげで、このまま先に進むことができそうだ。
――確か、断崖絶壁まで行けば、帰りは、橋を渡らなくてもいい道があると言っていたっけ――
 それは潮の関係だった。
 自分が渡ろうとした時は、ちょうど、潮が満ちていて、渡れない時間だった。それが三十分もすれば、少し潮が引いてきて、陸地になって渡れるというのだから、不思議なものだ。
「このあたりの地形は不思議なものでね」
 と、ここに来た時に、出会った一人の老人が話していた。
 その老人は、どこからともなく現れた。まるで、誠が来るのを最初から待っていたかのようだった。杖をついていて、白髪の、まるで仙人のような老人だった。
「ありがとうございました」
 話を聞かせてくれたので、お礼を言って立ち去ろうと踵を返し、少し歩いたところで振り返ると、老人はすでに消えていた。
――何とも言えない妖気が漂う場所のようだ――
 と、いきなりのセンセーショナルなインパクトを感じさせられた。
 吊り橋の上で、パニックになっている時、必死で助かりたいという思いを頭の中に抱いていたが、その時に浮かんできたのが、その時の老人だった。ただ、雰囲気は浮かんでいたのだが、顔が思い出せなかった。頭がパニックになっていたから、思い出せなかったのかも知れないとも思ったが、それだけではない。帽子をかぶっているわけでもないのに、顔に影が掛かっている。しかも、その表情は、薄気味悪い笑みが浮かんでいた。そのことを思い出すと、またしても、背筋がゾッとしてきたのだ。
――まさか、後ろから見ていると思ったのは、さっきの老人ではないだろうか?
 そう思うと、渡りきったことで、老人がこちら側にくることはないだろうと思い、逆にホッとしたくらいだ。
 気を取り直した頃には、少し風が止んできたように思えた。気のせいかも知れないが、風が止んできたのを感じると、今度は、失っていた勇気が回復できたように思えたのだ。
 立ち上がって歩き始めると、断崖までは、さほど遠くないように思えた。ただ、実際に上がっていく階段がかなり向こう側にあり、行ってみると、らせんのようになっていた。歩く距離はかなりの長さのようである。
 かなり遠くに見えていた階段だったが、近づくにつれて、あっという間についてしまうように思えた。それなのに、なかなかたどり着かない。それは目の錯覚だけではなく、身体のだるさが影響しているようにも思えたのだ。
 遠くに見えていた山が迫ってくるように見え、断崖絶壁が手に取るように見えてくる。見えている分だけ、ゆっくりと視線が上向いてしまっていて、その分、なかなかたどり着かない感覚になっているのではないだろうか。
 断崖を上っていくと、階段はいかにも簡易で作られているのが分かる。途中で急な坂になってみたり、緩やかになってみたり、平地であれば、でこぼこ道だったに違いない。
 手すりは金属の手すりに巻き付くように綱の手すりも一緒に引かれていて、まるで命綱のように見えた。
 そういえば、以前登山した時に、同じようなものを見たことがあったのを思い出した。登山の経験がないわけではないので、それを思えば、断崖まで上るくらい訳もないように思えてきたのだ。
 ゆっくりと歩いていくと、その向こうに見える景色を想像している自分がいた。てっぺんには一本の木だけが生えていて、先ほど想像した通りだった。一本の木は、風に揺れていた。
――かなり遠いとは言え、曲がりなりにも一本の木。それなのに、風で揺れて見えるなんて、目の錯覚なのかな?
 と感じた。
 柳のような木ではない。一本の幹がスッと伸びているのだ。そんなところに吹いてきた風があったからと言って、揺れて感じるのは、おかしなことだ。高いところにあるものを見上げていることで、錯覚を起こしてしまったのではないかと思えていた。
 階段を上って上までやってくると、最初に見えてきたのが、さっき気になっていた一本の木だった。
――あれ? おかしいな――
 さっきまで見えていたのは、しっかりとした幹だったはずだ。それなのに、上に上がってきてみると、見えているのは、まるで柳の枝のように、風に揺れている木だったのだ。
 それも、不規則にではない。何か規則性を持っているかのように思えた。音楽のリズムに合わせてダンスでもしているかのように見えるのは、気のせいであろうか?
 上がってくると、さっきまで見えていた山の上が、思ったよりも狭いのが気になっていた。
――あれだけ遠くに見えていたんだから、もっと広い場所だと思っていたのに――
 と感じた。
 実際には、人が数人いるだけで、危なっかしい感じに見えるほどの場所で、先に行くほど狭まってくるのは、まるで船頭に似ているようだった。
 先に行くほど、少しずつ位置が高くなってくる。それこそ船の先を見ているようで、その先に打ち付ける波を感じることができそうで、それ以上、先に行くのが怖くなっていた。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次