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自我納得の人生

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 最初は言葉の意味が分からなかったが、今考えてみればよく分かる、確かに三日持ったから、三か月持ったのだ。次は三年ということになるのだろうか?
 夏休みの旅行は、そんな自分へのご褒美のような気がした。
――リフレッシュができてこそ、次の毎日の仕事がうまくいくんだ――
 と言ってもいいと思っていた。
 そういう意味でも、今回の旅行は、
――頑張らないことにしよう――
 と思っていた。
 眠くなったら寝る。お風呂に入りたくなったら、温泉に浸かる。カメラを向けたい時に向ける。そんな時間を想像しながらやってきたのだ。
 楽しい日々はあっという間だというが、誠が訪れた初日は、結構時間が長かったように感じた。
 眠たくなった時に眠ったのだから、起きていた時間はそれほど普段ほど長かったわけではないのに、おかしなものだと感じていた。
――時間の感覚なんて、結構曖昧なものなのかも知れないな――
 と誠はそんなことを感じながら一日目を終わったが、次の日の予定は頭の中にあった。
 最初はローカル線の写真を撮りに行き、その後、自殺の名所として知られている場所に行ってみようと思ったのだ。
 どうせ長居をするつもりはないので、すぐに帰ってくるつもりだったが、その場所にいかないというのは、気が引けるように思えた。
 子供の頃から、怖いものは苦手だったが、今はそれでも、怖いもの見たさという思いもなくはない。興味本位だと言ってもいいだろう。
 その日は、一旦睡魔に襲われて眠ってしまったが、やはり深夜の二時過ぎくらいに一度目が覚めた。
 少し頭痛があるのか、頭が重たかった。
 ただ、そのまま目が覚めるということはなく、気が付けばまた眠ってしまっていたようだ。
 二時過ぎに目が覚めたという記憶だけを残して、朝目が覚めた時、やはり軽い頭痛に見舞われた。だがその理由はハッキリとしていた。
――寝すぎたのかも知れない――
 寝すぎると頭が重たいような感覚に陥り、それが頭痛に繋がることがある。しかし、その日は少し違っていた。二時過ぎに目を覚まし、その時に感じた頭痛と同じような感じだったのだ。
 この宿は、前の日にお願いしておけば、お弁当も作ってくれる。どこかに出かけても、そこに小さな売店のようなものはあるかも知れないが、食堂のようなものはないという話を聞いていたこともあって、翌日はお弁当を作ってもらった。
 カメラを持っていたので、少しかさばってしまったが、それでも、お弁当を持たせてくれるというのはありがたい。
――こういうところが田舎のいいところなのかも知れないな――
 と思うと、この温泉を夏休みの休暇に選んでよかったと思った。
 宿を出たのは、十時過ぎだった。
 本当はもう少し早く出てもよかったのだが、頭痛が簡単に収まらなかったのと、自殺の名所にそれほど時間を掛けないつもりでいたので、時間が余ってしまうのではないかと思ったからだ。
 時間が余ったら、早めに帰ってくればいいのだろうが、今度は昨日のように、宿での実感が思ったよりも長く感じられたことを思い出した。
――今日も同じような思いをするようなら、あまりいい気分ではないな――
 マンネリ化はここでは避けたかった。
 なぜなら、滞在期間が限られているからである。あくまでもここでは休暇の時間、普段の毎日とは別格の時間だ。
 マンネリ化してしまうと、帰りたくないという思いに駆られてしまうかも知れない。それだけではなく、帰ってからの今までの毎日が、まるでカルチャーショックのように感じられ、普段であれば、すぐに元に戻るのであろうが、ここでマンネリ化を感じてしまうと、なかなか元に戻れない気がしていた。
 しかも、それを強引に元に戻そうとすると、どこかに無理が入ってしまって、精神的に壊れやすくなってしまうかも知れない。
――前のようになったらどうしよう?
 という気持ちも頭を擡げた。
――せっかく、開き直った気持ちになって、自信を取り戻し、気持ちに余裕を持ったところで、ここまで来たのではないか――
 そう思うと、マンネリ化は絶対に避けなければいけないと思った。
 一旦開き直った気持ちをまた元に戻ったからと言って、
「もう一度、同じように開き直ればいいじゃないか」
 と言われるかも知れない。
 だが、そう一等足にはいかないもので、最初に開き直れたのは、開き直りという意識がなかったからである。今度はその意識を持った上での開き直りということになると、どうしても意識してしまって、意識してしまうと、なかなかうまく行かないことが多いのと同様、二度目はうまく行かないことは想像できる。
 誠はなるべくここでは、
――自分の気持ちに正直に行こう――
 と思っているが、それでもタブーが多いことは分かっていた。
――してはいけないこと――
 それさえ守っていれば、至福の刻を最初から最後まで貫くことができて、最高の思い出ができるのだ。
 そう、ここにいるのは思い出づくり。実生活とは隔離したものだ。まるで夢のような時間なのだが、それも毎日の生活の糧になるものである。
 気持ちのリフレッシュが一番の目的だと思ってきたのだが、ここにいる間に、思い出づくりの様相を呈していて、そして、それが今後の毎日の生活の糧になるのだということを認識した。
 それは最初から分かっていたことで再認識なのかも知れないが、気持ちのリフレッシュとは少しニュアンスが違う。違っていることを認識しながらここに来たが、ここにいるうちにどんどん近づいてくる。ここはそういう魔力を感じさせる場所でもあるのだろう。
 自殺の名所なる、あまり気持ちのいい場所ではないところも、今までなら行こうなどと思わなかったかも知れないが、行ってみようと思った心境は、どこから来ているというのだろう? 自分でも不思議だった。

                   ◇

 ローカル線の写真は、思っていた程度のものだった。あまり期待もしていなかったので、可もなく不可もなくというところであるが、それよりも、まわりの景色が綺麗だったことが嬉しかった。
 時間的にはまだ午前中ではあったが、日差しは結構強かった。それなのに、それほど暑さを感じなかったのは、風が爽やかに吹いていたことと、まわりに広がる田園風景の壮大さに圧倒されたこともあったからなのかも知れない。
 爽やかな風というのは、強すぎてもダメなのだ。もちろん、身体に感じる程度の、ほとんど吹いていない状態は論外だが、吹きすぎると却って、涼しさが半減する。熱い風呂の中で、あまりかき混ぜると余計に熱く感じるのと似ているのだろうか? 体温よりも高いわけではないので、そんなことはないだろうが、それでも爽やかな風というのは外気の暑さと体温とが微妙に当たるところにすかさず吹いてくる風のことなのだろう。
 風がまったく吹いてこない時間というのはなかった。
 普段であれば、同じ場所にいれば、風が吹いていれば、
――爽やかだな――
 と、その時に感じることはあっても、ずっと風を気にしていることはない。それなのに、その日は、風のことがやけに気になったのだ。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次