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自我納得の人生

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 小学生の頃の記憶は、素直に感じたことをそのまま記憶していたような気がする。それに比べると中学時代は、何かの作用が働いていた気がするのだが、それは自分が意識的に考えていたことを無意識のことだと思いたいという思いが、記憶を曖昧にしたり、ウソだと思わせたりしているのではないかと感じた。
「パインとは珍しいですね」
「このあたりはパインが摂れる場所があるんですよ。珍しいでしょう?」
「暖かいところだけだと思っていたけど、やっぱり温泉が近くにあると、地熱があるんですかね?」
「私も昔、他の温泉に行った時、パインが出てきたことがあって、懐かしいと思ったものです」
 宿主が話している温泉が同じところなのかどうか分からないが、イメージしていることはそれほど遠くはないだろう。
 パインを食べていると、なぜか睡魔に襲われた。パインに睡眠効果があるとは思えないが急に目の前にもやが掛かったようになったのを感じたからなのかも知れない。そのもやは、明らかに温泉が噴き出している蒸気であり、必死に前を見ようとしているうちに、目が疲れてきたようだ。
 だが、目が疲れてきたというより、頭の中にある記憶がよみがえってきたといった方がいい。前を見ていると、勝手に光景が想像できるからだ。
 岩がまわりを固めた岩風呂の向こうに網があり、その中にゆで卵が作られていた。その光景も初めて見たものではない。子供の頃に見た温泉での光景だった。
 途端に硫黄の臭いが感じられ、
――睡魔は硫黄の臭いから襲ってくるものなのかも知れないな――
 と感じた。
 悪臭を感じると、眠くなることが誠にはあった。硫黄が悪臭というわけではないのだろうが、温泉に行った時は、決まっていつもどこかで眠くなっていた。温泉から上がってすぐに眠くなることが多かったが、眠くなったその時に寝てしまわないと、却って目が冴えてしまうこともあり、そのままずっと起きていたこともあった。しかし、眠くなった時に寝てしまうのがどれほど気持ちのいいものかは分かっていたので、なるべくそのまま眠るようにしていた。
 誠は、その時、目の前に宿主がいたので、
――眠ってしまうわけにはいかないな――
 と思ったが、その様子を宿主も分かったのか、
「どうやら、眠たくなられたようですね。どうぞ、私に遠慮なくお眠りください」
 と、言って、宿主は部屋から出て行った。
 この時は眠りから覚める様子は自分の中になく、このままの状態に委ねるのが一番いいのは分かっていた。幸い布団は敷かれていたので、そのまま布団に入り、眠りに就いた。時間的にはまだ宵の口だっただろうか。誠はそのまま布団に入ると時計を見た。
――午後八時半――
 こんな時間から寝るなど、今までにそれほどあったことではない。
 まだまだ宵の口と思っていたこの時間だった。平日の仕事をしている日であれば、これくらいの時間まで仕事をしていることも少なくはなかった。仕事で疲れても、さほど眠くなるということはない。それだけ気を張っているので、緊張が切れることは家に帰りつくまではなかった。
 さすがに家に帰りつくと、そのままベッドに身を投げる形で、そのまま眠ってしまうこともしばしばあったが、そんな時でも真夜中に目を覚まし、帰りがけに買ったコンビニでの惣菜をレンジに掛け、温めて食べることもあった。一時期そんな毎日が続いたが、さすがに、
――情けない毎日だ――
 と感じたものだった。
 情けない毎日を過ごしながら、それでも慣れてくると、次第に仕事での時間に充実感が持てるようになっていた。
 最初に情けない毎日だという思いが次第に大きくなっていたら、充実感を感じるまではなかったかも知れない。だが、情けない毎日だという思いがいつの間にかマンネリ化してしまっていたようだ。
――マンネリ化も悪くないのかも知れないな――
 マンネリ化というのは、あまりいいことはないと思っていた。それは誰が考えてもそうだろう。いわゆる、
――世間一般――
 という言葉、嫌悪感を感じているこの言葉を思い浮かべると、
――僕には当てはまらない――
 と思えてくる。
 そのおかげで、マンネリ化すら、嫌ではなくなってしまったのかも知れない。
 仕事に充実した時間を感じると、誠は残業も気にならなくなってきた。最初の頃は、定時の午後六時を過ぎると、一気に虚脱感を感じ、その時に睡魔を感じていた。
――眠ってはいけない――
 という思いが睡魔との戦いに変わり、それが、頭痛となって襲ってくる。
 頭痛はそのまま虚脱感と一緒になり、まるで風邪を引いて、熱っぽい時のことを感じさせた。
――どうして僕がこんな思いをしなければいけないんだ――
 という思いに陥り、
 自分だけがこんな思いをさせられているという被害妄想に入ってくる。
 被害妄想に陥ってしまうと、そこから先は泥沼に落ち込むだけだった。
 時間はなかなか過ぎてくれない。やってもやっても終わらないという思いがストレスとなって頭痛をさらに追い詰める。
 そんな状態で、まともな仕事ができるはずもない。
 大きなトラブルこそなかったが、
――そのうちに、大変なことになったらどうしよう――
 という思いに駆られ、家に帰っても、仕事のことが頭から離れない。軽いノイローゼに陥ってしまったのだ。
――僕だけではないんだろうな――
 と、思うことが救いになると思っていた。
 世間一般という言葉が嫌いなくせに、こういう時だけ他の人との比較に活路を見出そうとしている自分も情けなくなってくる。
 それがいつ頃からだろうか。仕事にそこまで苦痛を感じなくなったことがあった。
 一種の開き直りのようなものなのかも知れない。
 開き直りがあれば、それまで感じていた悪循環が少しずつ晴れてくる。元々悪循環は、連鎖から来ているものなのだろうから、その中の一つが崩れれば、連鎖が瓦解してしまうということも十分にありうることだった。
 誠は、仕事の内容の面でも開き直りがあった。そのおかげで、要領が悪かったことに気付くと、それを少し改善しただけで、それまでの停滞ムードの仕事が一変した。
「最近、彼は仕事の面で脱皮したな」
 と、上司からも一目置かれるようになった。
 元々おだてに弱いタイプだと思っていた誠は、その話を伝え聞いた時、精神的にも完全に変わった。開き直りが自信に繋がったことを自覚したのだ。
 自信さえ取り戻せば何とかなるものだ。
 一度何とかなれば、後はそれまでのことがウソのように仕事が捌けてくる。やはり要領よくできることが一番なのだろうが、精神的なものも大きい。
――精神が肉体を凌駕する――
 まさにその通りだった。
 そのおかげで、毎日眠くなることもなく、仕事は捗り、時間もあっという間に過ぎてしまい、家に帰ってからも、少しテレビでも見ようという余裕も生まれてくる。
 それが夏休み前くらいのことだった。
――いわゆる、五月病みたいなものだったのかな?
――そういえば、入社式の時に、先輩社員が言っていた言葉があったな――
「三日持てば、三か月は持つ、三か月持てば、三年は持つ。そう思って少しずつ実績を積み重ねていけばいいんだ」
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次