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自我納得の人生

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――断崖絶壁にて、自殺をしなかった人は、どれくらいいるんだろう?
 そのほとんどは、恐怖で足が竦み、自殺を断念した人であろうが、そんな人が、来た道を戻るということは考えにくい。当然、来た道に通った吊り橋を、もう一度渡らなければいけないからだ。
 最初は死を覚悟しながらでも、恐ろしさに足を竦ませながら渡ったはずだ。
 しかし、今度は死を断念して帰って行こうとするのだ。恐怖は最初の比ではないはずだ。そう思うと、そのまま来た道を帰る人はいないと思う。そういう意味では、ここは、
――死への一方通行――
 と言えるだろう。
 だが、誠は死ぬこともなく、そのまま谷を降りて、洞窟に差し掛かった。
 洞窟ではそこに蠢いている人を見つけ、それが女性であると察することができた。
 その時に、母を想像したわけではなかったが、自分にとって、なまじ関係のない人だとは思わなかった。
――誰なんだろう?
 と思ったが、今から思えば、その人も、死を覚悟してここにやってきて、死に切れずに洞窟に辿り着いたのだろう。
――どうして、一気に抜けようとしないんだ?
 蠢いてはいるが、苦しんでいるようには見えない。ただ、その場から動くことができないのだろうという想像はついた。
 その人は、一言も口にしなかったが、どれくらいの時間が経ったのか、目が慣れてくると、やはり母の面影を感じさせる人であるように感じられた。
「誠?」
 その人はなぜか誠の名前を口にした。
「どうして僕の名前を?」
「あなたは、私の弟の誠なのよ」
「どういうことなんだい?」
 誠は恐怖で声も出ないはずだと思っていながら、ここまで冷静な口調で話をしている自分が信じられなかった。
――これは自分じゃない――
 と思い、目の前の相手と話をするには、口で話をするのではなく、気持ちで話をするしかないと感じた。
――今話をしているのは、自分ではなく、自分の中の気持ちが口を開いているのかも知れないな――
 と感じた。
「確かにお姉さんがいたって聞いたことがあったけど、死んだって聞かされたよ」
「そうね、死んだことになっていたとしても仕方がないわね。私はあなたのお母さんの本当の子供、あなたがお兄さんだと思っている人と、病院で取り違えられた本当の姉なのよ」
 母の妄想だと思っていたことをここで聞くなんて……。
 これが自分の妄想なのか、それとも本当に母が妄想していることを、息子の自分も同じように想像ができるからなのか、いろいろ頭を考えが巡っていた。
 母の妄想は、自分の妄想でもあると誠は思った。ただ、吊り橋から続くこの洞窟までが、本当に実在の出来事の中なのかということへの信憑性が、次第に低くなってきたのも事実である。
 母の妄想の中の世界だとすると、誠は今自分がいくつで、どこからこの妄想を感じているのかと考えていた。
 夢であっても、妄想であっても、それは自分だけのものなので、ここで出てきた姉というのは、自分が作り出した妄想の産物でしかないはずなのに、
――同じ思いを母が以前にもしたような気がする――
 と感じていた。
 自分一人だけの妄想で、ここまで辿り着けるわけはない。夢にしても妄想にしても、すべては、
――潜在意識の成せる業――
 だと思っているからである。
 では、潜在意識が他の人と共有できるということなのだろうか?
 親子だからといって、そこまでの絆はありえないように思っている。もし存在したとすれば、それは、
――タブーに守られていること――
 として、またしても、タブーが介在していることを、誠は感じるのだった。
――やっぱり、母も同じ妄想を抱いていたんだ――
 と、信じてしまうと疑う余地はなくなってきた。
「病院で取り違えられた私は、すくすくと裕福な家庭で、何不自由もなく育った。そして、勉強や教養も身に着けて、幸せな生活を送っていたんだけど、ある日、父から私の素性を聞かされた。父や母だと思っていた人が実は違ったのよ。でも、私は最初は驚いたけど、すぐに冷静さを取り戻した。別に、自分が誰だっていいって思ってね。今の生活が幸せならば、それでいいでしょう?」
 姉と名乗る人は、冷静に話した。そして、
――自分ではない――
 と思っている自分が話を聞いていると、姉の言うことは、もっともなことだと思っていた。
「でも、姉さんは、どうしてここにいるんですか?」
「本当の私は、今、ぬくぬくとしたお部屋で、父でもない母でもない人を本当の両親だと思って生活しているわ。父が私に話してくれたのは、本当の私じゃないと思ったから話してくれたのかも知れないわね。そのおかげで、私は今ここにいることになっているんだけどね」
「ということは、一つの身体に二人の性格が宿っているってことなの?」
「そういうことよ。あなたも今思い知っているんじゃないかしら?」
 確かにそうだ。本当の自分と違う自分が表に出てきている。
「もっとも、今身体の中にいる自分が本当の自分かどうか分からないんだけどね。でも、分からないだけに、その区別は、身体の中にいる人が本当の自分だって思うしかないんじゃないかしら?」
 姉の話していることは、前から分かっていたことのように思う。確証がなかっただけで、自分にもその思いが燻っていた。ここに来て、その思いが確証に変わるのではないかと思えた。
 なぜ知っていたかというと、この洞窟に来るのが初めてではないように思えたからだ。それはデジャブではなく、一度ならず二度も三度もあったことのように思えた。その思いの元にあるのは、
――自分の中に二人いるのだ――
 という考えがあることで、もう一人の自分の意識が表に出てきた時に感じるのだと思えば、その理屈も信憑性を帯びてくる。
 姉の中に二人、自分の中に二人、それぞれを思い浮かべてみると、姉の裏側に、兄の面影を見ることができてきた。
――姉がここに現れたということは、何かの縁なのかも知れない――
 しかも、この時期に現れるということは、時期にも何か意味があるように思えるのだ。
 兄が死んでから二年が経った。自殺だったという。
 自分も今、兄が死んだ年齢になっている。兄が何を思って自殺などを試みたのか分からないが、兄は一度では死に切れず、二度死んだのだ。
 普通であれば、
「二度も死のうなんて思えるものではない」
 らしいのだが、兄は二度目で死んだ。
 ただ、その時のことは、
「事故だったのではないか?」
 とも言われている。
 車に飛び込んだことになっているが、その時の兄は情緒不安定だった。それは、自分たちがまだ子供の頃に見た母の情緒不安定に似ていた。ずっと怒りっぽいわけではなかったが、急に怒り出したりするのが母だった。それだけに手に負えない状態になっていたのだが、兄もそんな状態だったようだ。
「急に何をするか分からないところがありましたから」
 と、まるで急に思い立って自殺をしたかのようにまわりは考えていた。だが、誠はそんなことは考えていなかった。根拠があるわけではなかったが、兄が自分から命を断つことが信じられなかったのだ。
――何かに誘導されるかのように、道路に飛び出したのかな?
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次