自我納得の人生
自分でも不思議だった。しかも、兄を意識しなくなると、今度は見たこともない姉の姿が思い浮かんでくる。
優しい姉を想像したいはずなのに、出てくる姉は厳格なところのある姉だった。いかにもしっかりしていて、ちょっとでも中途半端なことをすると、すぐに叱られそうになる。
「誠、しっかりしなさい」
ただ、言葉では叱責しながらも、表情は優しい。
「しょうがないわね」
と、なだめるような表情だ。
誠もそんな姉に対して、苦笑で返す。姉も同じように微笑むだけだった。
――これが、自分が欲する姉へのイメージなんだ――
と感じると、この感覚が初めてではないように思えてならなかった。
兄が、そんな顔をするはずもない。それに今まで付き合った女性の中にも、こんな雰囲気の人はいなかった。それなのに、懐かしさすら感じるというのは、どうしてなのか、考えてみた。
すると、後考えられるのは、母親に感じた思いだけだった。
だが、叱責が苦笑に変わるような母ではなかった。誠に対して、どこか遠慮があるように感じるが、苦笑を浮かべることはない。それは後ろめたさを感じる人にはありえない思いという感覚であった。
母が誠に後ろめたさを感じているのではないかというのを感じたことは何度かあった。だが、母親には誠に対してどんな後ろめたさがあるのか、分からなかった。一つ考えられることとしては、母が遠慮深いのは誠に対してだけではない。必要以上にそのことを感じるのは、誠自身が、母親に対して、逆に遠慮のようなものを感じているからではないかと思うことだった。
誠は相手が遠慮深い態度に出ると、自分も同じように遠慮深く感じてしまい、どこかぎこちない付き合いになってしまう。それはまるで油の切れた工作機械のように、ところどころからミシミシという音が聞こえ、まわりに不安感を与えてしまうのと、非常によく似ていた。
ただ、誠は母親にだけではなく、相手の性格に合わせてしまうところがある。
それが誠の、
――人に染まりやすい性格――
というところに結びついてくるのだ。
ただ、それは意識してしまうと、逆に離れてしまうようだ。それは兄との関係について考えているとおのずと分かってくることだった。
子供の頃に、兄とまるで双子のように似ていると、まわりから言われていた。しかも、その頃の誠は兄の後ろをついて歩くような男の子だった。
――染まりやすい性格だということを、自分で無意識に納得していたのかも知れないな――
誠は納得のいかなことはあまり信用する方ではない。無意識のこととなれば、自分で受け付けないと思うほどだった。それなのに、ここまで似ているということは、自分が兄に染まっていたということを無意識に分かっていて、しかも納得していたということだ。
しかし、それが中学に入ると、染まっていたということを意識し始めたのか、それとも自分の中でどこか納得がいかなくなったのか、兄とは同じでは嫌だという気持ちが働いたのか、兄と正反対の雰囲気に変わっていった。
コンプレックスを感じるほどの変わり方なのに、それでも、兄と同じであることよりもいいと納得しているからなのかも知れない。そう思うと、誠は自分の中にあるコンプレックスというものが、ジレンマであることに気付くようになってきた。その頃から、誠は兄に対して、不思議な遠慮を感じるようになってきた。
――人に気を遣うことが嫌いなくせに、一体どうしたことなのだ?
と感じるようになったのだ。
誠は、自分が家族に対して納得の行かない不思議な感覚を抱いていることに気が付いていた。だからといって、どうすればいいかなど分かるはずもない。家族全体を見る目を持つことなどできず、それぞれ相手を絞って見つめていくしかないと思うようになったのだった。
兄に対しては、子供の頃のイメージがどうしても拭いきれない。兄と一緒にいて、背中ばかりを見ていて、子供の頃は違和感がなかった。似ていると言われることも当たり前のこととして、受け止めていた。
しかし、中学になって似ていないようになると、子供の頃を思い出して逆に、
――本当に似ていたんだろうか?
と思うようになった。
それは、兄弟だからということで、まわりから見る目が似ているという意識の強さから似ているように思い込んでいただけなのかも知れない。
さらにまわりからの声は、信じるようにしていた。疑うことを知らないというよりも、まわりは皆、自分よりも優れているという感覚が強いこともあって、そのために、
――人を疑ってはいけない――
という気持ちになっていた。
その気持ちが、人に染まりやすいという性格に結びついていたのか、染まりやすい性格だからこそ、余計に人を疑ってはいけないと思いこむようになったのかの、どちらかではないだろうか。
誠にとって、小学生の頃と、中学生以降では、かなり違った。
中学に入ってから、自分の外見が「醜い姿」のように感じてくると、コンプレックスによって、まわりの目を憎むようになっていた。そこには、自分よりも優れているという気持ちは打ち消されるほどの思いがあり、そのくせ、人を疑ってはいけないという思いの強さからのジレンマも発生してきた。
奇しくも、兄にもジレンマを感じていたが、そのジレンマの種類は、兄に感じたものとまったく違うものだった。
ただ、どこかまでは同じものなのかも知れないと思うのだが、途中から枝分かれのようになってしまったのは、基本的に、
――人と同じでは嫌だ――
という思いが嵩じてしまったのが、外見に影響しているのではないかと思うことであった。
父親に対しては、もっと露骨だった。
小学生の頃から、兄は父親に対して敵対的なものを持っていた。
兄の場合は、見る人が見なければ、その雰囲気は相手に繋がらなかった。誠には、兄の思いが分かった気がしていたので、
――見る人が見た目――
だったのである。
しかし、誠は兄のように、見る人が見ないと分からないほど、器用な見方ができなかった。
――嫌なものは嫌だ――
という視線を父親に向けていた。
ただ、父親は兄の視線も、誠の視線も分かっていたようだ。母だけは、父に対して嫌がっている視線を向けていないが、その視線には怯えが感じられ、遠慮がちであった。母の視線が遠慮がちなのは昔からなのか、それとも父と一緒にいるとで、何事も遠慮がちに見えるように変わっていったのか分からない。夫婦としては、いかがなものなのであろうかと子供心に感じたものだ。
母の視線を父は、一番痛く感じていたようだ。兄と誠の視線は、適当にいなしていたが、母の視線を逸らすことは、父にはできなかった。
目を逸らすしかできなかった。それでも痛いほどの視線を浴びせられ、いつしか家にいるのが辛くなったのか、なかなか家に寄り付かなくなった。毎日日にちが変わって帰ってくるが、仕事で遅くなっているわけではなく、どこにいたのか、誰にも分からなかっただろう。お酒を呑んでくることもあっただろうし、女性と一緒にいたこともあっただろう。母には分かっていたように思う。