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自我納得の人生

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 矛盾というのは、精神的な辻褄が合わないということであり、一つの記憶としては成立しているのだが、ところどころに納得の行かないところがある。
 それは、
――僕なら、そんなことはしない――
 という思いが存在したり、人には到底理解できないようなことが感覚として残っているからだ。
 そもそも、兄の彼女を抱くということだけで、尋常なことではない。最初から異常なのは分かっていた。
 その中で、自分の感覚としては、
――自分から動いているわけではなく、何かに動かされているんだ――
 という感覚だった。
 だが、それは言い訳のようでいかにもウソっぽい。そう思えば少しは気が楽なのだろうが、それだけであの状況にいるというのは、耐えられないかも知れない。
 もちろん、感覚がマヒしていたという思いはあった。しかし、それも結局は言い訳にしかすぎない。どこまで行っても考えられることは、言い訳でしかないのだ。
 考え方が堂々巡りを繰り返しているのも大いに影響していた。
 堂々巡りを繰り返しているという感覚は以前からあったが、兄の彼女を抱いた時に、ハッキリと意識したのではないかと思う。
 後から思うと信じられないようだが、その時の誠には、次に起こることが想像できていた。
 彼女がどんなに妖艶に誠に接しようとも、誠には最初から分かっていたような錯覚だった。
 ただ、実際は、次の瞬間のことが想像できただけであって、
――まるで次の瞬間を、僕だけが先に行っていたような気がする――
 同じ時間を過ごしていたと思っていたが、それは錯覚だったのだろうか?
 いや、そんなはずはない。身体を重ねるということは、少なくとも、一緒に存在していなければ絶対に成立しない空間だ。もし、他のシチュエーションで人の一瞬前を歩いているとしたとしても、身体を重ねている時に、人の一瞬前を歩くことは不可能ではないかと思う。
――記憶が交錯している?
 と思ったが、逆にその時に交錯していたのが意識だとすると、他の時に感じた人の一瞬前を歩いているという感覚を、その時に初めて感じたことになる。
――精神と肉体が分離したのかな?
 身体が感じた快感で、精神が分離され、分離された精神が感じたのが、一瞬前を歩いている感覚だったのかも知れない。分離した精神は、それだけ自分に対して冷静に第三者の目で見ることができたのではないだろうか。
 兄の彼女を抱いていることじたいがタブーだとすれば、何かその時に記憶が欠落していたのかも知れない。
――欠落していると思うから、一歩前を見ることができたのだろうか?
 という考えも生まれてきた。
 欠落した記憶が誠にとって、先を読んでいるのだとすれば、先にいるのは、もう一人の自分であり、その自分が過去を消していっているというところまで考えてくると、それはすでに想像ではなく、妄想であると考え始めた。
 確かに潜在している意識が考えることなので、考えられないことではないのだろうが、どこまでは信憑性のあるものなのか、自分を納得させられるものなのかが分からなくなってきた。
 それも順序立てて考えているつもりなので、考えている時は理解している。しかし、うふと我に返ると、それまで考えていたことが一気に消えてしまうことも少なくない。それは記憶の欠落が招いたものであろう。
 誠は、タブーや記憶の欠落、そして一歩前を歩いている自分を想像から妄想に導きながら、一人の世界に入っていったのだ。

                   ◇

 タブーというものを考えていくと、洞窟の中での出来事をさらに思い出していた。
 あの時に、見た光景は、吊り橋の恐怖とは違った意味で、頭に残っている。
――ついさっき見たような気がする――
 という感覚は、洞窟での出来事を思い出した時に共通して感じることで、吊り橋を思い出す時とは少し違っていた。
 吊り橋の上を思い出すのは、想像や妄想の中で、
――ついで――
 として思い出すことが多いのだ。
 誠にとって、洞窟というのは、
――つり橋と、断崖絶壁の上で感じた恐怖をやっと逃れることができて、訪れた場所だ――
 という意識だった。
 それが、最後に夢から覚める前のクライマックスでもあるかのように、強い意識を残したまま、結局どうなったのか、分からないままである。
 妄想というのは、元々そういうものなのだろうが、それだけで納得できるものではないだろう。
 誠は、洞窟の中で最初に感じたのは、湿気だった。
 頭の上からピタッピタッと、水滴が落ちてくるのを感じながら、嵐のような強風から一点、風がなぜか通り抜けない洞窟に辿りついた時、生暖かい空気を感じていた。
 どこから、こんな生暖かさが溢れてくるのだろう?
 誠はそんなことを感じながら、背中に汗を掻いてくるのを感じた。
 その汗は冷や汗というわけではなかった。不安は相変わらずあったが、それによる発汗はなかった。それよりも、湿気がひどいことに、不快感を感じたほどで、
――このまま発熱するんじゃないかな?
 と感じるほどだった。
 それは、誠が海が嫌いなことから影響していたのだ。
 子供の頃、家族で何度か海水浴に出かけたが、元々あまり潮風が好きではなかった誠は、いつも海から帰ってきた次の日には熱を出して寝込んでしまった。
 それほど高熱というわけではないのだが、熱が出ると、身体が無性に痛くなっていた。自分一人で起きることもままならず、食欲は全然なく、食べればしばらくすると戻してしまっていた。
――身体が受け付けなくなっているんだ――
 という思いがあり、身体が何も受け付けないことがこれほど辛いことだとは知らなかった。
 潮風が嫌いになったのはその後だったかも知れないが、誠の中では、元々潮風が苦手だったという意識が残っていて、
――意識の交錯なのかも知れない――
 と思ったが、自分の中での信憑性は低かった。
 根拠など元々ない信憑性。誠は、それを時系列のせいだとは思わない。それだけ意識の中にインパクトを得たかということの方が大きいと思っている。
 海水浴と洞窟は違っているが、潮風が苦手だと思った一番の原因は、湿気だということは最初から分かっていたのだ。
 洞窟にいた女性の顔を確認できないのは、何か女性に対して思い出したくない思いがあるからなのかも知れない。
 それも、自分がしてはいけない何かタブーを破ったからなのではないかと思ったのは、吊り橋でタブーを感じてからであった。
 記憶の欠落の中には、洞窟での思いもあるのかも知れない。欠落した記憶が、見えるはずの顔を見せられないとすれば、その時蠢いていた顔の見えない相手は、顔が見えた時の相手と同じであると言えないだろう。
 もちろん、妄想の中の出来事なので、顔の見えない相手が男性なのか女性なのか、ハッキリしていなくても不思議ではない。それなのに女性だと最初に感じたのはなぜだろう?
 誠は子供の頃、
――女性だったらよかったのに――
 と思っていたことがあった。女の子が男の子に比べて得をしているという感覚ではない。男性にないものが女性にはあり、それが神秘的だったからだ。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次