自我納得の人生
誠は予知能力が自分にあるかも知れないと感じたことがあった。
何度か、「予知夢」のようなものを見たことがあったからだ。
それがいつのことだったのか、ハッキリと覚えているわけではない。予知夢というものを見たというのは、デジャブという言葉を聞く前だったように思う。そうなると、小学生の頃のことくらいのように思える。
デジャブという言葉を意識してから、予知夢を見なくなった。それは、見なくなったわけではなく、見ていたのかも知れないが、デジャブという言葉で片づけてしまって、夢ではなく、現実で感じたことと交錯しているのかも知れない。
逆も真なりで、子供の頃に見たと思われる予知夢も、本当はデジャブのことであり、夢で感じたことではなかったのかも知れない。
もちろん、小学生の頃に予知夢などという言葉を知っていたわけではないので、本当に夢の中だったのだとも言えるだろう。そうであれば、デジャブも、、現実に感じたことではなく、夢だったのかも知れない。それならば納得できなかったところも納得がいく。
洞窟の中で見た顔も、予知夢の一種だとすると、その後に洞窟の中で見た女性の見えなかった顔を、後になって見たという思いが記憶の中に存在しているのではないだろうか。それは記憶の中だけに収めておくことで、表に出すべきことではないことだと自分の中で納得していることなのだろう。
誠にとって、最近思い出したくないことは結構あるかも知れない。
そのほとんどが仕事のことであるが、仕事のことで、ここまで深い思いを感じることはないだろう。きっと自分の中で忘れてしまいたいことが存在している。だが、そんなに簡単に忘れてしまうものなのだろうか? 不思議で仕方がなかった。
――自分の中で意識はしていないけど、これって記憶喪失なのかも知れない――
とも思った。
ある部分だけ記憶が欠落している。その部分を意識することなく記憶は形成されていて、頭の中で辻褄は合っているのだが、欠落している部分があるために、繋がらないところが存在する。そこにデジャブであったり、想像、妄想が関わってきて、不安や寂しさが訳も分からずに襲ってくる。
記憶が欠落しているという感覚を覚えた時、誠はなぜか断崖絶壁に行く途中にあった吊り橋のことを思い出した。
前に進むのも、後ろに戻ることもできない。足元は谷底で、落ちれば一溜りもない。そんな状況に取り残されたことで、
――どうして渡ってしまったんだろう?
という後悔の念に駆られたはずなのに、その時は恐怖で、打ち消されたのであろう。そんな感覚を覚えた記憶はなかった。
今までは洞窟の女性が気になっていたが、今度は吊り橋が気になってきた。あの時の記憶は、少なくとも今の誠の中で、疑念を考えていくうちに繋がってくることだった。
――結局、不安や恐怖に関わることは、あの時のことに凝縮されたかのように繋がって行くんだ――
と思うようになっていた。
――思い出したくないこと――
として意識しているから、あの時のことに凝縮されるのかも知れないと感じるようになった。
思い出したくないことというのは誰にでもあるものなのだろうが、それを敢えて意識するというのは、他の人にはないことなのかも知れない。誰に相談することもできずに一人で考えるしかないことだ。特に思い出したくないことを思い出そうとすること自体、他人に言わせれば、
「愚の骨頂だ」
というかも知れない。それはまるで、
――ヘビが自分の尻尾から、自分を飲み込んでいくようなものだ――
という考えに結びつきそうで、何とも言えない気持ち悪さを覚えるのだった。
◇
――見えないものは、本当に見たくないものだけなのだろうか?
洞窟の中で、顔はハッキリ分からないが、相手は女性だと思った時、
――見えないということは、見たくないという思いがあるから見えないようになっているんだ――
と、感じた。
見たくないものはたくさんある。自分の心の中にも見たくないものはいっぱいあることだろう。
人に見られるのが嫌なもの。それは自分が見るのも嫌なはずだ。そこには、羞恥の心だったり、人への嫉妬、恨み、自分が他人にされると怒りを覚えるものもたくさんある。
「臭いものには蓋をする」
という言葉もあるが、見たくないものを見ないで済むのであれば、それに越したことはない。
一番いいのは、嫌なものに近づかないことだ。では、嫌なものというのがどういうものか、見えていない時に、すぐに分かるものだろうか。そう思うと、
――人と関わらなければそれでいい――
という思いも湧いてくる。
誠は人と関わらないことを選んだ。兄のようにモテるわけではないし、人気もない。誠は、自分から関わらなければ、寂しさも湧いてこないと思っていた。
兄の方はどうだったのだろう?
実は、兄も同じようなことを考えていた。
見たくないものを見ないようにするにはどうするかというところで、弟と発想が重なっていた。もちろん、お互いにそんなことを考えているなど、想像もしないだろう。兄の場合は弟ほど、割り切ることができないでいた。
それはなまじっか人気があり、女性にモテるからだった。
――まわりの期待を裏切ってはいけない――
という思いがある反面、
――どうして、俺がそこまでまわりに気を遣わなければいけないんだ――
と、自分の運命を呪っているかのような感情を抱いていた。
そこまで思うのだったら、もう少し開き直ってもよさそうなのだが、簡単に開き直れないところが、外見から滲み出るものと被って見えるようだ。
それだけに、兄の人気が落ちることがないのだろう。最初から開き直った人間は、まわりから見ていればすぐに分かる。そして、まわりにいるほとんどの人が、開き直った人の相手になろうとはしないものだった。
兄と、誠の違いはそこにあった。
コンプレックスを感じる弟、コンプレックスではなく、まわりからの重圧を感じる兄、どちらもお互いに牽制し合っているのだろうが、どちらの思いが強いかと言えば、兄の方が強いかも知れない。
コンプレックスは、ある意味で、仕方がないと感じることもできる。だが、兄が感じている重圧に関しては、仕方がないという言葉で片づけられないもののようだ。
まわりに知られたくないという意味でも兄の方が強い。まわりの期待を背負っていると思うからだ。開き直ることもできない。もし開き直ってしまったら、
「あいつは、まわりから信頼されているし、モテているのに、何開き直ってるんだ」
と言われて、それまで築き上げてきたものが、壊れてしまう気がして仕方がなかった。
兄が今日あるのは、兄が築き上げたものではないのかも知れないが、築き上げたと思っているのは、自分の忍耐から来ている発想ではないだろうか。忍耐強く我慢することが、兄の築き上げた信用であったり、女性から慕われる気持ちであったりする。
――俺の気も知らないで――
と、兄はまわりに言いたいに違いない。
弟は、そんな兄の気持ちを本当は分かっていたのかも知れない。
――兄のことを一番理解しているのは、僕だ――