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自我納得の人生

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 落ち着いた状態では、判断するだけの力がまだハッキリと備わっていないが、冷静になることで、判断する力が漲ってくる。その違いは、
――心の中に冷めたものを持てるかどうか――
 に掛かっている。落ち着いた状態だけでは、まだ頭の中に熱さが残っているので、判断する時に、自分には判断できると思ってみても、どこか自分に都合よく考えてしまうことで、判断を誤ることがある。誰もが、自分が可愛いからだ。
 自分をいかに客観的に見ることができるかといえば、そこには、
――冷めた気持ちが存在しなければ、判断することは務まらない――
 自分でもそう思うことが大切だ。
 判断力に長けている人は、普段は意識していないが、冷めた気持ちの存在を分かっているはずである。判断する時には、ちゃんと冷めた気持ちの存在を意識していることで、間違いがないと自分に言い聞かせることができるのだ。
 裏を返せば、自分に対して、
――間違いない――
 と、問いただすことができなければ、それは正しい判断ではないと言える。判断が間違っていなかったとしても、それは偶然に過ぎないだけではないだろうか。
 どれか一つが弾き出されるのだが、それがどれになるかは、その時々で違うのか、それとも一番最初のものが、まるでところてんのように弾き出されてしまうのか、そこまでは分からない。あくまでも想像でしかないので、根拠はないが、少なくとも自分を納得させることはできそうだ。
 ただ、弾き出された記憶を、不意に思い出したように感じるのだから、デジャブという現象もこのように考えれば納得がいくのかも知れない。
 前に経験したと思っていないことなのに、何かの拍子に、
――以前に行ったことがある。見た景色だ――
 という思いを抱くのがデジャブである。
 デジャブについての解釈を、
「何かの辻褄を合わせるために、精神が錯覚に対して正常に戻そうとする作用のことである」
 という話を聞いたことがあった。
 何かの辻褄とは、今、研究中であるという話だったが、ハッキリとしない。そんな状況も、
――自分を納得させるため――
 と思っている自分と同じ感覚なのかも知れない。実際に見たことを思い出したくないという発想に至らず、誰もそのことに疑問を感じないのは、何かの力が働いていて、
――タブーを決して表に出さないことが暗黙の了解になっている――
 という考えも成り立つのではあるまいか。
 もし、弾き出された記憶が一番古いものであれば、よほどのことがないと、一度経験したことだという発想に行きつかない。
――記憶の中になかったはずのものとして思い出した――
 という発想になってしまうのだろう。
 デジャブが、自分を納得させるための発想に結びついているなど、考えたこともなかった誠がそのことに気付いたのは、飛び降りたはずの場所から、ラブホテルのベッドの中にいたことからだった。
 誠は、兄の彼女と何もなかったわけではないが、場所はラブホテルではなかった。彼女の誘惑に負ける形で一度だけ、過ちを犯してしまったが、その場所は、彼女の部屋だったのだ。
 誠はラブホテルに行ったことはなかったはずだ。それなのに、リアルにイメージできてしまったことを、すぐに、
――これってデジャブ?
 と、すぐに気が付いた。
 ただ、あまりにもリアルなので、却って夢だということを最初から分かっていたように思う。
 ただし、違う考え方もできる。
 ラブホテルのイメージが鮮明だったのは、夢を見た時の記憶ではなく、後になって思い出した時に、ラブホテルのイメージがキチンと出来上がったという発想である。思い出した時には、ラブホテルを利用したことがあったのだろう。ただ、その夢を思い出した時と、ラブホテルに最初に入った時の発想が、若干頭の中で交錯しているように思えていたのだった。
 ラブホテルを最初に利用した時の記憶は曖昧だった。ただ、その時、相手と何もなかったような気がする。誠ができなかったのだ。最初は意欲満々だったはずなのに、実際に中に入ってしまうと、雰囲気に威圧されたかのように、できなくなっていた。相手の女の子にはシラケられてしまうし、いいところがないまま、その日は、消化不良で終わってしまった。
 そのあまりありがたくない思い出が、兄の彼女との欲望に満ちた時間と、交錯したのかも知れない。どちらも思い出したくない思い出として、封印されていた場所から、本当は一つしか飛び出してはいけないところから、二つ一緒に飛び出したとすれば、記憶が交錯したとしても不思議ではない。
――デジャブというのも、同じようなものなのかも知れない――
 記憶の交錯が何かの辻褄であるとしたら、それを納得させるためにデジャブという言葉が存在し、ただ、その正体は知られることなく、人の記憶に対して作用する。
――そういう意味では、デジャブの正体を知るということは、タブーなのではないだろうか――
 と、感じるのであった。
 いろいろな発想を思い浮かべていると、自分を納得させることというのは、まわりに関係なく、自分だけが納得すればいいという発想である。ただ、実際の誠は、人に対して気を遣ってしまうくせに、人に気を遣うということを嫌っている矛盾した考えを持っていた。そのために、あまり人と関わりたくないという思いが募ってくるのも必至で、兄に対してのコンプレックスがまた、復活してくるのだった。
 そこに二重人格的な性格と、裏表の自分を思い起してみてしまう自分がいる。たまに自分の中にもう一人いるような気がしていたが、本当にもう一人の自分なのだろうかと思ってしまう。まったく違った人ではないかということを考えたりもする。納得できさえすれば、誠の中では、それもありなのではないだろうか?
――洞窟で見つけた女性、あれは誰だったのだろうか?
 妄想の中でのことであれば、知っている人に思えてならない。想像もできないなどという言葉があるが、あれは物の喩えで、本当は想像できないことなどありえないと思っていた。
 誠は洞窟で見かけた女性をいろいろとイメージしてみた。
 あれが夢だったのか、妄想だったのかは別にして、どちらにしても自分が知っている相手でなければいけないはずだ。
 すぐに思い浮かぶのは兄の彼女である。
 兄の彼女と関係を持ったのは一度きりだったが、あの時の心境がどういうものだったのか、今からではハッキリと思い出すこともできないが、お互いに精神的に不安定な時期だったのかも知れない。
 思い出せないということは、自分から口説いたわけでも、彼女の方から誘惑したわけでもないということだ。お互いに寂しさを抱えていて、それを埋める相手として目の前にいた相手を選んだということで、共有できた時間だったのではないだろうか。
――傷の舐め合い――
 というのとは少し違うかも知れない。だが、表面上はそう思われても仕方がない。精神面よりも肉体を貪り合った時間の方が記憶には鮮明に残っている。寂しさというのが、それだけ漠然としたものだったのだろう。
 誠は彼女を抱きながら、
――いとおしい――
 と感じた。
 兄の彼女であるという背徳感も手伝っていたのかも知れないが、
――どうなってもいい――
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次