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自我納得の人生

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 その人が兄ではないかと説明すると、
――なるほど――
 と言わんばかりに頷いたので、どれほど似ているのかという意味で聞いてみた。
「いいえ、同じ人だという感じはしませんでした。あくまでも似た人が来たという印象しかありませんでしたね。世の中にはソックリな人間が三人はいるというではないですか。その類だと思ったんですよ」
 確かに、世の中には似た人が三人いるという話を聞いたことがあったが、それは兄妹にも言えることだろうか。兄弟でも似ていない人もいるし、実際、誠も自分たち兄弟は似ていないと思っていた。
 体型はまったく違ってしまっていたが、雰囲気は見る人が見ると、似ているのかも知れない。特にあまり知らない人の方が、漠然として見るので、そう見えるのかも知れない。全体的に見る目は、体型に惑わされることなく、先入観がない分、雰囲気を見ることができるのだろう。
 誠は、兄のことを思い出すと、宿主の言葉が頭を過ぎり、宿主と話をした時のイメージが、まるで今のことのように、感じてしまう。
 今までにも、何度か兄貴の彼女とベッドを共にしている夢を見て、目が覚めると、自己嫌悪でその日一日、憂鬱な気分に陥ってしまうことも少なくなかった。
 それは、ベッドを共にしたことで、兄に対してのわだかまりが深まってしまったという意識、夢の中であっても、兄への遠慮を感じてしまう。
 ただ、遠慮という一言で片づけられるものではないような気がする。遠慮というのは、自分が望んでいることに対して、相手が先にしていることだから、譲るというイメージが近い。
 誠は兄も彼女に対して、彼女になってほしいなどという思いを抱いたことはない。異性という意味で見ることはあったが、それよりも先に、
――兄の彼女――
 という思いが、すべてを打ち消している。
 打ち消しているだけで、本当は望んでいるのかも知れないとも感じたことがある。それなら、言葉通りの遠慮に違いないが、自分の好みのタイプではないし、付き合ってからのことを想像すると、まずうまく行かないことは目に見えていた。
 どんな時でも一緒にいることを望み、甘えん坊なところのある彼女は、見た目は可愛らしいが、彼女が自分を見る目は、完全に、
――見下した目――
 であった。
 年下でもあるし、恋人の弟ということで、年下としての扱いは仕方がないとしても、見下した目を浴びせられると、誠には耐えられないものがあった。
――その思いが嵩じて、あんな夢を見るのだろうか?
 誠はそんな風に考えた。
 兄に対してのコンプレックスは、そのまま彼女に対しても向けられていた。その気持ちが彼女に分かるから、見下した目になるのではないかと思う。
 誠から見る目が、
――見上げている目――
 だとすれば、見下した目を浴びせられても仕方がない。
 だが、見下ろすわけではなく、見下した目なのだ。
 何が違うのかということを考えてみた。
 見下ろす目は、視線だけではなく、顔も下を向いていて、視線は、そのまま正面を見ている。正対しているので、相手と気持ちが分かり合えるのではないかと思うのだが、見下す目は、顔はあくまでも正面を見ていて、目だけが下を向いている。その視線には、ギロリとしたものがあり、見つめるというよりも、目線で人を刺すような感じだ。臆してしまうのも仕方のないことであった。
 中にはそういう視線に妖艶さを感じ、快感に思う人もいるかも知れないが、誠はそうではない。不気味さに不安が募り、恐怖を感じさせる目線であった。
 そんな恐ろしい視線なのに、どうして何度も夢に見るのだろう?
 夢だから、見てしまうという考え方もある。
 夢は潜在意識が見せるものだという考えがあるが、潜在意識は自分の中にあるもので、普段は表に出すことのない感情を抑えることができなくなり、夢に見ると思っていた。恐怖も、夢だから許されるとでも思っているのだろうか?
 恐怖にもいろいろな種類がある。
 夢に見る恐怖と、夢でさえも見たくない恐怖である。
 恐怖という言葉を聞いて、最初に思い浮かぶのは、オカルトのような超常現象だった。
 自分が想定していることから外れたことほど怖いものはない。想定していることであれば、まだ対策を考えることもできるが、想定外のことは、そうはいかない。
 それを考えていると、断崖絶壁を思い浮かべてしまう。あの時に渡った吊り橋の恐怖、もし、あの時に霧でもかかっていたらと思うと、恐ろしくて仕方がない。
 吊り橋は、行く時は何とか渡りきることができたが、帰りにもう一度あの恐怖を味わうことはできなかった。
「行きはよいよい、帰りは怖い」
 という歌もあるが、帰りには来る時に感じた恐怖が残っている分、足が竦んでどうすることもできない。
――じゃあ、どうして来る時に、あそこを渡ったんだろう?
 渡らないという選択肢もあったはずなのに、渡ってしまった。
 最初に見た時は、そこまで恐ろしいという感覚はなかった。渡っているうちに戻ることができなくなってしまったのだ。
 少しだけしか進んでいないと思ったのに、気が付けば半分まで来ていた。
――ここまで来れば、行くも戻るも同じだった――
 しかし、戻るためには踵を返さなければいけない。あれだけの強風で揺れている吊り橋の上で踵を返すなど、不可能だった。前に進むしかなかったのである。
 だが、どうして半分進んだと思ったのだろう?
 確かに後ろを振り返った時は、遠くに感じた。それは、首だけを必死に後ろに回してやっと見えた光景だ。首を回すのには限界がある。完全に回したつもりであっても、途中までしか回っていなくて、片方の目線でしか見えていなかった。だから遠くに感じたのではないだろうか?
 そこまで考えてくると、
――顔は別の方を向いていて、目線だけをそちらに向けようとすると、遠くに見えてしまうんだ――
 と感じた。
 すると思い出したのは、彼女が誠に示した、
――見下した視線――
 であった。
 見下しているのだから、目線は顔と違う方向になっているはずだ。きっとかなり遠くに誠の視線を感じたに違いない。
――僕が感じていたよりも、あの女は遠くに見えていたんだ――
 と思うと、小さく見えていたことが理解できた。
 見下した目をしているだけで、最初はそこまで思っていなくても、次第に感情まで見下してしまうことになるというのも、ここまで考えてくると分かった気がした。
 誠にも似たような経験があった。
 あれはいつ頃のことだっただろうか、まだ小学生の頃だったように思う。
 いつも誠のそばに寄って来て、
「そばに来るなよ」
 というと、泣きそうな顔になって、少しの間、歩みを止めるが、気が付けば、また後ろにピッタリとついている。もう一度文句を言ってやろうと思っていると、二コリと笑顔になった。その表情を見ると何も言えなくなり、
「仕方がないな」
 と言いながら、また正面を向いて歩き始める。
 その時に見せた彼女の顔には、勝ち誇ったような感じがあったが、誠はまんざらでもない気分になっていた。嬉しさが滲み出ていたことを分かったような気がする。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次