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自我納得の人生

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 女はもぞもぞしながら、こちらに恐怖の目を向けている。それはこれから何をされるのかという恐怖よりも、何もしないことへの恐怖ではないだろうか。
 縄で縛られると、
――何かをされて当然――
 という感覚が頭を過ぎるらしいのだが、縄で結ばれたのに、それ以上何もされないということは、女に対し、この間されたことへの逆の恨みに通じるものがある。
――俺だって、同じ思いをしたんだぞ――
 と言いたくなる。その時、心の中で初めて「俺」という言葉を使った。それまで「僕」としか言ったことのない誠は、その時、何かの思いが初めて弾けたように思えてしかたがなかったのだ。
 女の顔に恐怖が走った。
――これから何をされるのだろう?
 という表情で、声にはならないが何かを訴えるようにこちらを見ている。
「何するの? やめなさい」
 とでも言いたげなのだろうか? 表情は懇願と、諌めるような表情が半々だった。
 誠はその表情を見て、さらに自分の中にあるSの気持ちが高ぶった気がした。
――間違いではないんだ――
 さすがに相手を緊迫しての「おしおき」は、最初躊躇する気持ちがあった。相手に懇願の気持ちと羞恥があれば、許すつもりもあったに違いない。それが相手を諌めるような表情を少しでも見せたのだから、それは誠には想定外であったろう。
――これは妄想なんだ――
 という思いがあるだけに、まさか妄想の中に自分にとっての想定外の発想があるのは、信じがたいことだった。
 信じがたいことは、そのまま怒りに変わり、心の中にあった微妙ではあるが躊躇の気持ちと、
――間違っているのではないか?
 という理性のようなものがあったはずなのに、その気持ちが失せてしまったのだ。
 怒りだけに変わった誠の中に残ったのは、「おしおき」の気持ちと、
――自分はバカにされたままでは終わらない――
 という報復の気持ちとであった。
 女は、それでも懇願の表情を浮かべていたが、そのうちに諦めの表情に変わっていた。それは、誠の表情に、真剣さが浮かんだのを感じたからであろう。怒りに満ちている誠にはそこまで分かっていなかった。
 女も誠も、二人とも声を発することはない。ただ、二人を包む空気が必要以上に濃くなっていて、その原因は、二人の荒い息が交錯しているからだった。
 お互いに息が荒くなっているが、その原因は、まったく違ったものにあった。しかもふたりとも、荒くなった息の原因が一つではないということに、気付いているわけではないようだ。
 誠の場合は、躊躇する気持ちはないが、初めてのことでの戸惑いはあった。そのための域の荒さと、そして、何よりも欲望に忠実になっていることで、相手に対しての気持ちに優先したものが荒い息になっているのだ。
 女の場合は、
――これから何をされるのだろう?
 という恐怖の思いである。なるべくならやめてほしいという気持ちがある反面、
――相手の本性を見てみたい――
 好奇心というべきか、それとも最初から備わっていた女のM性が息を荒げているのだった。
 二人とも自分のことは分からなかった。相手のことばかりを考えていた。相手の一方の気持ちには気付いていたが、もう一方には気付かない。それがお互いに息を荒げている共通の原因でもあるのだ。
 誠は、女が懇願から息が荒くなっているとしか思っていない。
 女の方は、誠に欲望しか感じていなかった。
 要するに二人とも、相手の表面上の感情しか分かっていなかったのだ。それだけ気持ちに余裕がなかったとも言えるのだが、実際にことが進んでいけば、どこかで分かってくることだろう。
 だが、それも、最初にどっちが理解するかということではないだろうか。確かに妄想は誠だけのものだが、もし、相手が最初に、もう一つの域が荒くなった原因を見つけたところで妄想は終わってしまうのではないかと思うのだった。
――そういえば、夢だって、ちょうどのところで終わるよな――
 ハッキリと、どうしてそう感じたのか分からないが、夢の終わりは、自分が想像しているような納得のいくところで終わることも少なくはない。むしろ、ほとんどがそうなのかも知れない。
 誠はそんなことを考えながら、じっと女を見続ける。女も誠を見返しているが、そんな状況がどれほど続いたというのだろう? 誠の中で、
――主導権が自分の中にあるはずなのに、どこか金縛りに遭っているかのように感じる――
 という思いが張りつめた気持ちの中にあるようだった。
 妄想といえば、洞窟の中のことも妄想だった。あの時も自分の中で金縛りを感じた。金縛りは汗を噴き出させた。これ以上ないという感覚は、動けないことへの苛立ちだけのことだったのだろうか?
 金縛りは、しばらく続いた。その間、女に対しての怒りと、自分の中にある欲望が少しずつ萎えてきているのを感じていた。気持ちに余裕が生まれてきたわけではない。自分の中で消化できないものが気持ちの根底にあることは分かっていた。分かっていたが、気持ちが萎えてきていることだということに気付かなかったのだ。
 しかし、金縛りも次第に解けていく。解けてくると身体が軽くなってきて、いざ女に覆いかぶさろうとした時のことであるが、足に痺れを感じ、前に進めないことに初めて気が付いた。
 前に進めない感覚は最初から分かっていたような気がする。女に近づいているはずなのに、女の顔が次第に小さく感じられていたからだ。
――おかしいな――
 と思いながらも、その理由が分かるはずもなく、どこかに憤りを感じていたのも事実だったが、顔が小さく感じるのが、彼女が次第に遠ざかっていく感覚だとは、気が付かなかったのだ。
 本当なら、もっとすぐに気付くはずだ。それに気付かないのが、妄想を抱いているゆえんであろうか。妄想というものは、思い込みの激しさを誘発することで、自分の考えていることや感じていること以外を否定してしまうのかも知れない。
 そんなことを考えていると、誠は以前にも同じような妄想を抱いたのを思い出していた。妄想は、そんなに昔だったような気がしない。まるで昨日のことのように思うというが、本当にさっきまで抱いていたような気がするくらいだ。その正体を思うと、それが社会人になって夏休みに行った温泉での洞窟の中のことを思い出すのだった。
 洞窟の中で蠢いていた女が、どうしても頭の中に引っかかっている。あの時の女の顔を確認できなかったことが今も後悔として残っている。
――また、堂々巡りを繰り返してしまいそうだ――
 この思いはさっき感じた思いだったはずだ。堂々巡りを繰り返しているということは、同時に、その場所から逃れることができないということだ。女の顔が小さく感じたというのは、女の顔が遠ざかって行ったことを示している。それは自分から遠ざかったわけではなく、相手の女が後ずさりしたのだ。
 それなのに、自分から近づくことができなかった。それは金縛りが、足だけに残っていて、追いかけることができなかったからに他ならない。
――俺はどうしたらいいんだ?
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次