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自我納得の人生

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 といくら言い聞かせても、平行線が離れていかないように、自分の視界から消えてくれようとはしない。それを思うと、絶縁するしかないと思った。荒治療であるが、兄が視界に入らないところで生きていくしかないと感じていたところで、兄が就職で、家から通うことのできないところに赴任したことで、こっちから絶縁することもなかったのだ。
 どうやら、兄もホッとした様子だった。
 兄の顔を見ると、
「お互いに諸刃の剣のようだな」
 と言っているのが分かった気がした。
 本当なら、分かり合えたはずなのに、どこかでボタンの掛け違いがあったことから、分かり合える機会を永遠に失った。それを思うと、残念でならなかったが、これも運命、仕方がないことだった。
 兄の彼女は、本当に控えめな女性だったが、よく見ていると、ただ控えめだったというだけではなさそうだった。
――どこかに、何か企みがあるようだ――
 と感じたが、それなら、兄も彼女も、どっちもどっちである。
 しかし、誠はそれでも兄を許すことができない。納得できているのに許せないのは、やはり、
――僕も同じ立場になれば、同じことをするかも知れない――
 と感じたからだ。
 兄の彼女は、誠にも、時々話しかけていた。別に特別なことを話すわけではないが、話しかけてくれること自体が、大きなことだった。
――彼女は、僕に同じモノを感じるのかな?
 と思ったが、それであれば、誠自身も同じ穴のムジナだということになる。外見の違いから兄を選んだのだろうが、一歩間違うと、自分と付き合うことになっていたかも知れないと思った誠は、ゾッとするものを感じた。
「誠さんは、彼女作らないの?」
 彼女は誠の精神的な核心部分に触れてきた。
「作らないわけではなく、できないのさ」
 というと、ニヤリと彼女が笑った。
「私のこと、嫌い?」
 完全に誘いを掛けている雰囲気だが、ここまで露骨にされると、誠は冷めてしまった。だが、相手がどう出るかを想像しながら、相手のペースに乗ってみることにした。
「嫌いじゃないけど、どうしたんだい?」
「ううん、誠さんって、可愛いと思って」
 兄の彼女は、兄とは同い年、兄の前や、まわりの人にはあれだけ無口で大人しいのに、誠にだけ、いや、その時の誠にだけは別人のようだった。
「そんなこと言わないでください」
 照れて見せると、彼女はさらに増長したようだった。
「そんな誠さんに、私たち女性は、ドキドキするのよ」
 と。身体を寄せてくる。
――私たち――
 という言葉を、彼女は意識せずに言葉に出したのかも知れないが、誠はその言葉に反応した。
――どうして、私だけって言えないんだ?
 と思うと、気持ちが冷めたというよりも、何か企みがあるのではないかと勘繰ってしまうくらいだった。
 そこまで考えると、さっきまでの、話に乗ってみようという思いは失せてしまった。誠の表情が明らかに冷めた顔に変わったのだろう。彼女の顔も驚きに変わり、次の瞬間、態度が豹変した。
「なんてね。誠さんを誘惑しても仕方ないわね」
 と、突き放すように言った。それは、あくまでも自分が、
――大人の女――
 だということを言いたげだったのだ。
 それから、彼女が誠を誘惑することはなくなった。誠も彼女の本性を垣間見たような気がしたが、逆に彼女にも自分を見透かされたような気がして、あまり気持ちのいいものではなかったのだ。
 だが、妄想だけは残ってしまった。
 兄貴の彼女は、自分を誘惑寸前で止めてしまった。それはまるで、子供に対して悪戯をする小悪魔のような雰囲気で、バカにされたような気になった誠は、気持ち的には許せなかった。
――そんなに僕を弄んで嬉しいのか?
 という思いは日増しに強くなってくる。
 そうなると、残るのは妄想だけである。相手は自分の兄貴の彼女、恨みは兄に対しても及ぶ。元々兄に対して感じていたコンプレックス。彼女がその思いを分かっていて、巧みに弄んだのかも知れないと思うと、余計に腹が立ってくる。
――僕には、何か呪縛のようなものが憑りついているのかも知れない――
 兄の彼女に謂れのない悪戯をされるのも、相手から見て、誠が弄びたくなるような男の子に見えたとすれば、そこに見えない呪縛が働いていると思うのも無理のないことだ。
 誠は、すぐには思い出せなかった。
 しかし、一旦思い出してくると、さらに前の記憶が繋がってくるのを感じた。洞窟の中で、女の人を飛び越えた瞬間、海に向かって落ちていく感覚を思い出して、ゾッとしたものを感じた。
――どうして、今そんなことを思い出すのだろう?
 と思ったのだが、兄貴の彼女の表情を見ていると、洞窟の中の女の視線を思い出した。女の顔は見えなかったが、表情だけは想像できた。顔が見えないのに表情を想像できるというのもおかしなもので、それを思うと、兄貴の彼女が誠を弄んだのも分からなくもなかった。
――兄貴があんな彼女を見つけてくるからいけないんだ――
 と、すべての責任を兄貴に押し付けてしまうことが、この場の状況に対して一番納得の行く答えのような気がして仕方がない。本当は、そんな答えを出すことは応急的な手当てをしただけで、根本的な解決になど、なるわけもないのである。
 兄貴に対しての恨みだけで済んでいればよかったのに、彼女に対して許せない気持ちもあったのは、誘惑を途中で止められたからであろうか。その時はヘビの生殺しのような思いをさせられたが、すぐに、
――手を出さなくてよかった――
 と、ホッとした気分になった。
 そして、恨みの矛先を兄貴に向けることで、誠の中の気持ちに整理がついたはずなのに、また彼女に対しての恨みが沸々と湧き上がってくる。堂々巡りを繰り返しているわけではないのだが、納得がいったはずのものが、再度よみがえってくるのを感じると、やはりどこか煮え切らない思いがそのまま欲望という形で湧き上がってくる。
 欲望は留まるところを知らない。
 欲望が、妄想に変わり、妄想はその時の感情を素直に表すために頭の中で想像するものだ。そのために、シチュエーションはいくらでも変えられる。
 時系列などもでたらめであっても問題はない。場面がまったく違ったところに飛んだとしても、
――これは妄想なんだ――
 と思うことで、納得がいくのだ。
 そういえば、この間、ホテルで目が覚めた時も、社会人になってからの最初の夏休みに出かけた温泉地での思い出が、いつのまにか断崖絶壁という妄想に変わっていた。あの時に断崖絶壁に出かけて、洞窟も見たのは間違いのないことだ。しかし、そこで蹲っている女に出会ったり、断崖から落ちるような感覚を感じたわけではない。もし感じていたのなら、今になって初めて思い出すようなことはないはずだからである。
 その時のことを思い出そうとすると、なぜか兄の彼女の顔が思い浮かんで、弄ばれた思いに、腹立たしさを覚え、よからぬ妄想をしてしまう。堂々巡りを繰り返してしまうのだ。
 妄想の根幹は、「緊迫」にある。
 相手を縄で縛って、相手が動けなくなったところをじっと見ている。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次