短編集25(過去作品)
いつも会うのは貝塚が仕事を終えてからの数時間だけ、そそくさとホテルで会って、ホテルで別れるような付き合いだった。
「これから出勤なの、ごめんなさいね」
そう言って、キスをしてくれる。何とも心地よい。麗華になら少しくらい虐められても構わないと思えるほどの魔力のようなものを持った女性でもあった。
――自分に太刀打ちできる相手ではないのかも知れない――
とも感じていたが、それでもその笑顔にウソはなさそうだ。ひょっとして役得ではないかと思う貝塚である。
「本当はあなたともう少しゆっくりお会いしたいのよ。二人だけでね」
ベッドでの主導権は間違いなく麗華が握っている。しかし、あくまでも従順な麗華は、普通に付き合っていればベッド以外の場所では貝塚を立てているであろう。そのことは貝塚も自覚していて、
――麗華を離したくない――
と思うようになっていた。
虚しさを感じる中で、何人かの女性とは付き合いをやめたが、麗華とはまだ付き合っていた。麗華も貝塚が他の女性とも付き合っていたことを知っていたはずである。海千山千の風俗で培った目はあなどれない。
貝塚は時々ボッとして、上の空の時がある。自分でも何を考えているのか分からないのだが、そんな時に何とも言えないような寂しい顔を麗華は浮かべていた。その表情にいつもの妖艶さはなく、哀れみを含んで潤んでいる目である。
そんな時の麗華を抱きしめていたいと思うのが、一番麗華を離したくない理由なのである。
「私ね、最近ネットに凝ってるの。仕事から帰ってきて一人の部屋に入るでしょ。そうすると最初にパソコンを立ち上げるのね。まだ寒さの残る部屋なんだけど、パソコンにメールが入っていたりすると嬉しくなっちゃって、そのドキドキ感がたまらないのよ」
メールなどしたことのない貝塚だったが、何となく気持ちが分かるような気がした。待ち人を待っている時というのは、本当にドキドキ感を味わうことができる。
貝塚は待ち合わせで遅れたことはない。集団での待ち合わせも二人だけで待ち合わせる時も、時間に余裕のない時は別だが、大抵は十五分前には到着するようにしている。時間に余裕のない時でも、最初から約束の時間に余裕を持たせているので、仕事でトラブルでもない限りは、あまり遅れることはない。
そんな貝塚なので、待ち人への気持ちもひとしおだ。それがたとえパソコンというバーチャルなものでも同じで、いやバーチャルだからこそ、相手の顔が見えないからこそ楽しいのかも知れない。
想像力が伴うからなのだろう。想像力は時には淫らで時には激しい。それは麗華を見ていると分かる。何といっても謎の多い女である。それでもいいと思っている貝塚は、
――それこそ男の性というものだ――
と思っている。
――好きだからこそ抱きたい、好きだからこそ抱かれたい――
朱美と付き合うまで思っていて、最近は忘れていたこのことを麗華が思い出させてくれた。男としての貝塚は、麗華をいつでも抱きたいと思っている。相手も同じではないだろうか、変なところでのプライドがないところも。麗華という女の魅力である。
「プライド? あるわよ。でも変なプライドはないわね。きっと自分に対するプライドなのかも知れないわね」
その言葉の裏に、麗華の強い信念のようなものを感じた。それは今まで複数の女性と付き合っていた自分が薄っぺらい存在であるということを再認識させられた瞬間だったのかも知れない。
そんな麗華としばらく会えない日々が続いた。麗華が身体を壊して入院してしまったのだ。心配でお見舞いには何度かいっていたが、他にも同じようにお見舞いに来ている人が数人いた。それまでは分かっていても、
――麗華は私だけのものだ――
と思っていた貝塚だけに、実際に目の当たりにした男たちを見て愕然となったのも無理のないことだった。
見れば見るほど自分に優越感を与えるような連中ばかりである。ひ弱そうな色白の男、神経質そうな「オタク」っぽい男、それだけに彼女を独占できないことへの憤りを強く感じるのだった。
――私はこんな連中と同じ扱いなのか……
と感じた時、貝塚の中で何かが音を立てて崩れるような気がしていた。バーチャルに走ってしまったとしてもそれは仕方がないことだと、今さらながらに感じている。
チャットをしていると、相手の顔が見えない。声も聞こえない。簡単なプロフィールだけで待機している男の部屋へ、女が入ってくるのだ。そこで軽い会話を重ね、相手を理解しながら仲良くなっていく。それがネットの世界である。
「ネットなんて所詮バーチャルで現実味がないものさ。そんなものは狭い限られた世界なんだ」
とそういう話をよく聞く。実際に新宮などはそう感じている一人で、いや、筆頭といってもいいだろう。それだけ現実の世界で満足していて、自分の世界を確立しているのだ。
確かにそうだろう。いつも現実の世界で女性たちを愛している人にとっては、ネットの世界は狭く、また信じがたい世界なのかも知れない。新宮がよく話していたことに、
「俺は実際に触ったり、食べたり、この目で見たものじゃないと信じないタイプなんだ。だから歴史なんてのも本当にあったことだか信じられないんだ」
と嘯いていた。そういう性格を否定するわけではないが、貝塚は少し違う考え方を持っている。
「今があるのも歴史があるからさ。今こうして話している一分前だってすでに過去なんだよ。いくら自分のことであっても君の言い分でいう触ることのできないものなんだ。君はそれをも否定しようというのか?」
と食ってかかったことがある。後から考えれば実に大人気ないことだった。そこまで興奮してしまった自分が恥ずかしくなったが、
「いやいや、それも考え方さ。それをいうなら自分という姿を鏡でしか見れないんだから自分すら否定することになるからね。俺が少し極論を言いすぎたかな?」
新宮は紳士だった。自分の論法を述べてそれに反論を唱えられても冷静に受け答えできている。熱くなってしまった貝塚もその言葉で冷静になった。
「人それぞれの考え方があるからね。すまなかった、僕は過去に対しての思い入れが強いので、つい反論をしてしまったんだよ」
「そうだったね。君は歴史に造詣が深かったんだね。確かに歴史というのは、そう考えると面白いね。教訓を与えてくれる。そして分かっていても筋書きがないので一番面白いドキュメンタリーだと思うよ。だけど、やっぱりネットでの人間関係には納得できないものがある。これも性格だから仕方ないと思ってほしいんだ」
きっとその言葉はしばらく貝塚の頭の中に残っていることだろう。そして一つ言えることは、新宮の前でネットでの人間関係の話はタブーだということだ。話をしてしまうと、今度こそ気まずくなってしまうに違いない。
作品名:短編集25(過去作品) 作家名:森本晃次