短編集25（過去作品）
正直な気持ちだろう。面と向かって愛していると言えないのは、普段から沖田という男が正直者だということを示している。智美は沖田のそんなところが好きなのだ。だが、それが本当に愛しているということに繋がるかは自分でも分からなかった。
今までに智美は男性を本気で愛したことがあるのだろうか？ 自分で思う分にはないように思う。いつも刺激を与えてくれるのが男性なのだが、男性のわがままを知っている智美には男性に感情移入が危険であることを悟っている。あまり気持ちを深入りしすぎて相手に引かれてしまっては置き去りにされた自分をどうすることもできないからだ。それだけに相手が適当である人の方が気が楽であり、二股を掛けても罪悪感を感じることもない。
奈々子と知り合って、そして沖田という男性を知るまでは、自分のまわりにはたくさん男がいた。自分を見つめる目が完全に男の目になっていて、そんな彼らの視線を浴びるのが快感だった。
――まるでシンデレラの気分――
しかし、それも午前零時までだということを意識していなかった。
いや、意識はしていたのかも知れない。しかしわざと考えないようにしていた。考えなくとも男はいくらでも現れる。自分が望む望まないに限らずである。
却って恐ろしかった。現れる男がどんな男かろくに考えることもなく男女の関係になっていった。最初こそ相手への警戒心があからさまであったが、今まで付き合ってきた男すべてが従順で危険なことのなかったことで、智美に恐怖心はなかった。
沖田という男、それにも増して従順である。奈々子と別れた理由が分からないでもない、これほど従順であれば飽きてくるというものだ。だが、それにしても奈々子が沖田に見切りをつけたのは早すぎる気がする。知り合ってすぐのあからさまな熱愛に始まったかと思えば、智美が狙いをつける前にはすでに奈々子の中で見切りをつけていた。奈々子という女性がこれほど淡白な女性だったのかと錯覚してしまいそうなほどだった。
だが、淡白というのは、まったくの誤解だった。それは自分が奈々子という女性を意識して見るようになってから分かってきた。見つめているだけで、雰囲気がある。実は奈々子という女性、分かりやすい性格の持ち主のようだ。
自ら捨てた沖田に智美が食指を伸ばしていたことを知ると、智美に会って沖田を返してほしいといいに来たのだ。智美にとってそれは思うつぼ、沖田を誘惑した気持ちの中には奈々子に対する嫉妬心を煽りたい気持ちもあったのだ。
――表からの刺激も楽しみたい――
一石二鳥の考えに智美は有頂天だった。しかもそれがまんまと策に嵌ったことに感動もしていた。
奈々子が智美に近づいてくるのも考えのうちだった。
ベッドの中での醜態を暴露することで、もし奈々子への態度と同じであれば、思い出させることができ、違えば、今まで知っている沖田との距離を果てしなく感じさせ、さらに沖田が大きな存在だったということを思い知らせてやることができる。
相手が女性だからできることだ。女性である自分だから分かるもの、それを今思い知っている。
案の定、沖田の話を始めれば、奈々子の顔色が変わってきた。初めは何とかお願いして沖田と別れるようにと考えていたようだが、元々口下手な奈々子は、智美の相手ではない。逆に気持ちを煽られて、この場で思い出したくない沖田の顔が嫌が上にも瞼の裏に浮かんできているようだった。
智美が沖田の話を始めると、すぐに奈々子の額が汗で光り始めた。少しおでこを出した髪形だが、垂れてきた数本の髪が、汗で光る額にくっついている姿が悩ましい。
――こんなに悩ましい顔になるんだ――
沖田が奈々子を好きになった理由が少し分かってきたように思えた。同性から好かれる人もいると聞くが、智美には信じられなかった。普段から男しか見えていないし、同性愛に対して激しい嫌悪を抱いているからである。
それでも怯むことなく沖田との戯れを話す。見る見る顔を赤くする奈々子は次第に表情が普段から信じられないような顔色に変わってくる。
苦痛に耐えている女性を見るのがこれほど自分の血を燃え上がらせるものだと思わなかった。悪女を演じているつもりが、本当の悪女になっていくことへの快感を覚えているのである。
自分の唇が怪しく歪んでいるのを想像していると、本当に悪女になったように思う。確かに男性に対してはいつも違う二人を愛していて、愛情が希薄になっていたが、女性に対してもそれほど感情をあらわにすることもなかった。かといって苛めてみたい衝動に駆られたことはなく、却ってそんな女性を激しく憎んでいた時期があったのだ。
女性が女性をやっかむ時はたいてい嫉妬が絡んでいる。智美に嫉妬などというのは存在しない。相手に嫉妬心を煽らせることはあっても、自分が焦ったり煽られたりすることなどあってはならないのだ。
目は虚空を見つめ、放心状態になりかかってくるにしたがって、これほど女性の顔につやがあるものかと感じるようになっていた。確かにアルコールも入っているので、スポット的に当たる明かりから見れば、光沢がハッキリしてくるのも当然だ。
沖田という男に感じない危険で刺激的な香りを、女性の奈々子に感じたのだ。
その日はさすがに一気に酔いが奈々子に回ってしまったので、それ以上の感情を湧かせることはなかった。
しかも奈々子はその日のことを後になって覚えていなかった。それが智美には不思議でならなかったが、沖田に言わせるとまんざら嘘でもないようだ。
「奈々子という女性は酔い潰れると本当に記憶をなくしてしまうことがあるから、僕も恐い時があるんだ」
と言っていた。
もっとも、その日に奈々子を呼び出して沖田の話をするのには、そのことを確かめてみたいという好奇心もあった。奈々子に対しては、沖田の前の彼女とは別に女性の友達としての顔も持っていた。
「女性同士で親友なんて信じられないわ」
と常々豪語している智美だが、そんな中で一番親友に近いと言えば奈々子である。
智美と奈々子の付き合いは短くもなく長いとも言えないだろう。短大時代からの付き合いなので、四年ほどであろうか。しかし短くないと感じるのは、その間に智美も奈々子も変わってしまったからである。智美は男性と従順な付き合いだけを夢見る女性だったのに、まさか男性を手玉に取るような女性になるなど、その頃の智美を知っている人は誰にも想像つかなかったに違いない。
奈々子にしてもそうだ。元々気が強い奈々子は結構男性にモテるのに、言い寄る男を片っ端から足蹴にしてきたようである。それは気の強さからというよりもプライドのようなものがあり、男性に対して決して妥協を許そうとしなかった。うまく付き合っていける相手ではないと最初から相手にしなかったのである。
智美が奈々子と一緒にいて、どうしても理解できないのがその点だった。言い寄る男たちを簡単に足蹴にできる心境、知り合った頃の智美には却って眩しく見えた。
「毅然とした態度を取らないと、男たちってしつこいから」
そう言って笑っていた奈々子が眩しく見える。
「私なんかよりもよっぽど大人なのね」
「そんなことないわよ。きっと性格的なものかしらね」
作品名：短編集25（過去作品） 作家名：森本晃次