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永遠の命

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。

                 不老不死

 人類の永遠のテーマとして、何を思い浮かべるであろうか?
 世界平和? それとも、タイムマシンのような過去と未来を行き来できたり、ロボット開発のような科学? どれにしても、いずれは達成できるようなものであるように思えるが、
――まず無理だろう――
 と思っている人は少なくない。
 そして、もっと単純に考えるとすると、「不老不死」という考え方に集約されてもいいのではないだろうか。
 世界平和になって、戦争がなくなると、人が無慈悲に殺されることもないだろう。タイムマシンにしても、開発されれば、未来に行って、現在不治の病として医者がさじを投げるような病気も、不治の病ではなくなっているかも知れない。その時代から薬を持ってくれば、あるいは、開発研究の資料を持ってくればすむことである。
 ロボット開発にしても、人間がやっていた危険なことはロボットにやらせればいいだけで、不老不死の研究に没頭できるというものだ。
 しかし、そうはうまくは行かない。
 世界平和と一口に言うが、そもそも、「平和」というのは何を持って平和というのであろうか?
 戦争がないこと?
 確かに、戦争がなくなれば平和になり、人がむやみに死ぬことはないだろうが、それは国家間の問題であり、もっと狭い意味ではいかがなものか。例えば企業においての出世競争、高校生や中学生の受験戦争。そこで起こる一人一人の葛藤は、世界が平和になったからと言って、消えるものではない。
 また、タイムマシンが開発されたとしても、その実用化には、
――超えなければいけない壁――
 というものが存在する。
 いわゆる「パラドックス」と言われるもので、直訳すると「逆説」ということになる。しかし、この場合のパラドックスは「矛盾」という意味である。タイムマシンというのは、過去、現在、未来を自由に行き来できるという発想のものだが、果たして可能なのだろうか?
 よく言われるのが、過去に行った場合のパラドックスである。
 自分が生まれる前の親の前に現われたとする。その時、
「結婚するはずの両親の前に現われて、自分の母親が自分に恋してしまったら?」
 などという場面がよく映画やドラマで描かれたりするが、要するに、
「過去に戻って、自分が歴史を変えてしまうと、どうなるか?」
 ということである。
 自分の親の結婚を邪魔して、親が結婚しなければ、自分が生まれてくることはない。ということは、過去に戻る自分がいないということになるので、両親は無事に結婚して、自分が生まれることになる。
 しかし、自分が生まれてしまうと、将来タイムマシンで過去に行って、両親の結婚の邪魔をすることになる……。つまりは、堂々巡りを繰り返してはいるが、辻褄が合っていないのだ。
 それを、「タイムパラドックス「という。
 また、ロボット開発についてはどうであろうか?
 ロボット工学に関しては、半世紀前からその論争はある。あるアメリカの作家が「ロボット工学三原則」というのを唱えた。それには、ロボットが守らなければいけない三原則が掲げられているのだが、その三原則には、明らかな優先順位が存在する。
 元々、この三原則の発想は、「フランケンシュタイン・コンプレックス」というものに由来している。
「フランケンシュタイン・コンプレックス」とはいくつかの考えがあるが、その中の一つに、
「ロボットが人間に代わって、この世を支配する」
 という発想である。
 つまりは、ロボットを開発しても、ロボットにどこまで意志を持たせるかということで、人間に対して危害を加えないようにするかが問題である。
 ロボット開発というのは、人間にできないことや人間でなくともできることをロボットにやらせるという発想で、ある意味、誰にでもできることをロボットがすることになるので、単純作業しかできない人は不要だということになりかねない。下手をすれば失業問題に関わってもくるのだ。
 だが、もっと問題なのは、人間が開発したロボットが知能を持ってしまうと、持った知能が人間のように、欲や嫉妬を持つようになると、自分の立場に疑問を持ち、そもそも人間よりも頑丈にできていて強いロボットなので、人間を支配することくらいは容易なことに思えてくる。
 そのため、ロボットに守らなければならない戒律を定め、人間に対して絶対服従であり、危害を絶対に与えることがないという確証がなければ、ロボットを開発する意味はない。そして、ロボットが身を守るのは、自分でしかないという発想を設けることで、三つの原則が完成する。それに優先順位をつけることで、さらに強固な戒律にしているのだが、その三原則にこそ、矛盾が潜んでいることを、三原則を提唱している作家は、自分の小説で描いているのだった。
 つまり、世界平和にしても、タイムマシンやロボットの開発にしても、人間の永遠のテーマと言われるのは、求めるだけではダメで、その裏に潜んでいるパラドックスをいかに解決するかということが一番のネックになっているのだろう。
 そういう意味では、不老不死も同じことである。
 現代のように科学万能と言われる時代であっても、不老不死には矛盾が潜んでいる。これは、今提唱した永遠のテーマよりも明らかに分かりやすい矛盾ではないだろうか。
 不老不死というものが実現すれば、確かに死という恐怖から逃れることができるだろう。もちろん、不老不死を手に入れるのが一人であれば、その人は永遠に死ぬこともなく、年を取ることもない。
 そうなると、自分に関わった人は皆年を取っていく。若くて綺麗な女性に恋をしたとしても、自分だけ若くて相手はどんどん年を取る。一緒に年齢を重ねていけば、同じ目線で相手を見ることができるだろうが、相手だけが年を取ってくると、果たして今までのように相手を愛することができるだろうか?
「できるに決まっているじゃないか」
 という人もいるだろう。
 しかし、その根拠がどこから来ているのか分からない。実際に二十歳くらいの男性が、五十歳になったまるで母親くらいの年齢の人を、愛し続けることができるとどうしていえるだろう?
 同じくらいの年齢の女性で、かつて愛した女性と同じ雰囲気の女性が目の前に現われれば、どんな気持ちになるか、ハッキリと分かるだろうか?
 きっと、自分の良心に訴えると、かつて愛した人を裏切りたくはないと思うだろう。しかし、実際に人間には性欲という欲望があるのだ。二十歳の健康な男性が、いくらかつて愛した女性だとはいえ、五十歳になった相手と、目の前に二十歳のピチピチした女性がいたとしたら、身体はどちらに反応するだろう?
 精神と肉体との間のギャップが、本人を苦しめる。不老不死であるがゆえに、このギャップからは逃れることはできない。
 精神が打ち勝って、好きだった人を愛し続けたとしても、その人は永遠の命はないのだ。寿命がくれば死が訪れる。それが人間として避けることのできない宿命なのだ。
作品名:永遠の命 作家名:森本晃次