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短編集24(過去作品)

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 計算どおりに行かないことが多いので、却って考えたとおりにできる数式の計算は好きだった。国語などのように答えが決まってないものはどうも苦手で、算数のようにハッキリと決まった答えを求めていたのだ。
 しかも、数式というのは一定間隔のものの集まりであるため、答えは一つでも解き方というのは幾通りもあるものだ。一つの答えを導きだすために幾通りも考える。それが算数の醍醐味であった。計算高い私は、一つの答えを導きだすために、幾通りも考える。それがいつしか先読みできる性格になったようで、それがひょっとすると自分の一番いい性格ではないかと思っている。
 だが、他人から見るとどうなのだろう?
 計算高い男というのは冷淡で人情味にかける男のように見られがちである。それだけに相手に自分を曝け出すことで、安心感を与えようという気持ちが働くことはいいことなのだろう。
 私の性格は、ハッキリと「明」と「暗」に別れているのだ。相手に分かってもらいたいと思う「明」の部分、そして計算高い「暗」の部分、これがいつも共存している。それがうまく協和して、私という一人の性格を形成しているのだ。
 だがいつもうまく協和しているとは限らない。時々、気持ちがどちらかに寄ってしまうこともあるようで、それが躁鬱として出てくるのだ。時々と書いたが、最近ではそれが周期的に起こっていることではないかと感じることもあるくらい、頻繁である。
 躁状態の時は本当に何をしていても楽しく、まわりがすべて私のことを分かってくれそうな気がして、しかも私自身もまわりのことをすべて把握しているような錯覚に陥るくらいだ。まるで何かが覚醒しているがごとく、すべてを把握している状況である。後から考えれば怖いのだが、却ってその状態が鬱状態を引き起こす引き金になっているのかも知れない。
 鬱状態への入り口が分かる時がある。それまで仲良く話ができていた友達や、その時に付き合っている彼女でさえ、話をすることや顔を見ることすら嫌になる。要するに自分のことを相手に悟られるのを極端に嫌うのだ。最初こそいろいろなことを考える余裕があるのだが、そのうちに考えること自体が怖くなる。それこそが本当の鬱状態というのだろう。
 鬱状態の入り口ではいろいろ計算高いことを考えている。一番頭が働くのが、その時かも知れない。しかし私は思う、
――その時が本当の自分が出ている時ではないだろうか――
 計算高く、いろいろ考えられる時が一番気持ちに余裕があり、その時に躁状態のことを思い出すと怖くなるのだろう。「明」と「暗」の挟間、そこに計算高い性格である私がいるのだ。
 結婚前からそのことが分かっていた美和だった。
「俺ってこんな性格だけど、よく結婚してくれたよ。本当に感謝しているんだ」
 自分が気付いた時に美和に話したことがあった。きっとその時は普通の自分で、ある意味計算高い自分だったはずだ。
――美和には隠しておけない――
 と考えたが、そこに将来への不安と、分かってもらうことの期待があったに違いない。躁状態の時に相手に分かってもらいたいと思う気持ちが、分かってもらうことへの期待の裏返しのようなものだと思えるようになってきたのも、美和に話したことがきっかけだった。
「あら、そんなの最初から分かっているわよ」
 一大決心の元に話したのだが、あまりにも簡単に答えるので拍子抜けしてしまった。
「どうしたの? そんな顔して。あなたのことはすべて分かっているつもりで結婚したのよ」
「僕は躁鬱の気もあるんだよ」
「それも分かっているわ。時々、話しかけづらい時もあるものね。でもそんな時は私からも話しかけないの。実は私にも同じようなところがあるから分かるのよ」
 そういえば美和にもたまに話しかけづらい時があったような気がする。それでもそれが自分の躁状態の時なので、それほど億劫には感じずに済んでいた。きっとバイオリズムがうまく働いているのだろう。お互いに鬱状態同士の時はたまらないに違いない。
 私が美和との結婚を決意したのは、私が躁状態の時であっても美和の一部分が見えない時があったからだ。見えているつもりなのだが、それを理解することができない。きっと自分の悪い部分に類似しているところで、その気持ちになって理解しようとするからであろう。それが理解できないということは、私にとってはプラスになる部分に違いない。計算高い自分はそう感じたのだ。
 もちろんそれだけがきっかけというわけではない。他にいろいろあるのだが、そこに美和の神秘性を感じ、間違いなく私に結婚を決意させた瞬間だった。
 几帳面な美和の性格が、そうさせるのだ。私に文句を言わないが、自分から行動をすることで、麻痺している悪い感覚を覚醒させてくれる。乱れていることに慣れきっている私に、それではダメだと思わせてくれる行動、それが彼女にはあるのだ。果たしてそれが功を奏するか分からないが、今まで考えたこともないことを思い出させてくれるに違いなかった。
 そんな時に思い出すのが結婚前によく行ったホテルで見た白い影であった、今でも暗いところや目を瞑った時に目の前に浮かんでくる時がある。シーツに白さだとずっと思って来たのだが、本当にそうだろうか?
 明るいところで目を瞑ると、瞼の裏に残っているのは、まるでクモの巣が張ったような放射状のようなもので、これは私だけが見るのだと思っている。
 目を瞑っていても、色が分かる時があるようだ。それが明るい時に瞑った目で、瞼の裏に写る放射線状のクモの巣のようなものである。カラフルとまでいかないまでも、目に鮮やかで却って気持ち悪い。反射的に目を開けようとするのだが、それができないのは、目に焼き付いてしまっているからだろう。
 最初は平面にしか見えないのだ。それが次第に立体感を帯びてくる。そのため、気持ち悪さが倍増するのだが、きっとずっと見ていると自分の気が変になるのではないかと感じてくる。
 目を開ける瞬間であろう。それが白いものに変わってしまうのを感じたことがある。最初はそれがなぜか分からなかったが。それを理解できたのは大学の時だった。
 あれは物理の講義だったと思う。夏休み恒例の宿題というのがあるのだが、円盤を作れというものだった。中央からまわりに、向って放射状に当分に数十という線を引き、そこに色を塗るのだ。見るからにカラフルな色である。そして円盤の中心に針で数ミリ間隔で、二つの穴を開ける。そこに糸を通し、その両側の先端を持って回せるようにするというものだった。
「それを作って回してみてごらん。面白いものが見れるはずだよ」
 演台から教授はそういってニコニコ笑っていた。果たしてそれを聞いていた学生の中で実際にその時に出来上がったものにどのような変化があるかということを知っていた人が何人いるだろう。もちろん私は知らなかった。実際に作ってみて目の前で実践して、初めてその神秘さに驚かされたのだった。
 私たちは理数系の学生ではないので、それほど物理の講義を一生懸命に受けていたわけではなかった。卒業に必要な単位さえ頂ければそれでよかったのである。しかし、この宿題における実験だけはそれからも深く頭に残っていた。実にセンセーショナルな発見だったのだ。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次