短編集24(過去作品)
だった。壁の向こうからは、ザワザワという音、湿気を必要以上に感じ、焦りに変わっていく。喉がカラカラなのが分かったが、それでも声はしっかり出ていたつもりでいた。
しかし終わってからの審査結果は信じられないものであった。先生が批評するが、
「声がほとんど出ていない」
というだけで、それ以外の評価はなし、ショックだった。後で放送部の連中に聞かせてもらったテープを聴くまでは信じられなかったのだ。
その時に私は初めて感じた。自分で感じていた声よりもテープで聞く声の方が、少し高い声だということを、そして、人の声をテープで聞くのと、生で聞くのが同じに聞こえることから、私の声も他の人がテープで流れたのと同じ声のトーンで聞いていることを認識したのだ。
またしても、短い間にいろいろなことを考えてしまった。ママが呟いてからあっと言う間のことだったにもかかわらず、部屋の中の空気が固まってしまったような気がするのは気のせいだろうか。一瞬だったが、明るいはずの店内が少し暗く感じたのは気のせいではあるまい。まるで供給量の少ない電圧の中で、目いっぱいに電気を使ったかのようだ。
ここまで来るまでの月明かりを思い出していた。実に綺麗な月明かりは、私の影を最大に浮き上がらせていたかのように見えた。壁に向って伸びている自分の影を見つめていると、壁から抜け出してきても不思議のないほどの立体感があり、影にさらに影がついているのではないかと思えるほどだった。
鏡は自分のすべてを正反対に映し出す世界だが、影はまったく同じ自分を映し出すものである。立体感がなく、真っ黒なので、表情などまったく分からないが、鏡の中の自分に対して自分を感じるなら、影に感じても不思議はない。
少し肌寒さを感じていた。月が明るければ明るいほど、寒さを感じたように思う。雲の流れも早く、風があるのは分かっていたが、実際に風を感じていたかどうか暖かい店内に入ってから思い出すには無理がある。覚えていない分、寒さだけが印象に残っているのだろう。
――もし、月の出ていない夜だったら――
今の時期、月が出ていることが当たり前だと思っていた。仲秋の名月の時期は、意識しなくとも、空を見上げていることが多い。夏の猛烈な湿気から爽やかに乾いた空気が気持ちよく、いつのまにか肌寒さを運んできているのに気付くのだ。
初めて店に来た時も肌寒かったのを思い出していた。あの時は同じ寒さでも、冬の寒さがまだ残る中の寒さで、厚着をしていても、感じる寒さは今とはまったく違うものだ。コンクリートを見ているだけで、冷たさを無意識に感じていたように思えてくる。
この道をこの時期に歩いてくるのは初めてではなかった。そういえばちょうど一年前も同じように月明かりの中、この道を歩いたように思う。理由はハッキリ覚えていないが、月明かりを見ながら歩いていた記憶だけはあるのだ。
もちろん、その頃にスナック「トマト」はなかった。花見の時期と月明かりの綺麗なこの時期にここを歩いていたのだ。
その時も私のまわりには誰もおらず、私は自分を追いかけてくる影だけを意識しながら歩いていた。
――これって本当に自分の影なのだろうか――
その時期は少し鬱状態に入り込んでいる時期だったように記憶している。まわりが違う色に見えたりした時期だった。月明かりがそのまま照らしている自分の影であるにもかかわらず、
――これが自分の顔の輪郭なのだろうか――
と、鏡で見て認識している自分と少し違っているのを感じたのだ。
しかも、影というのは真っ黒なはずなのに、灰色掛かっているように見えたのは、なぜだろうか?
最近、自分の存在を薄く感じている時期でもあった。鏡を見ても目は虚ろで、どこを見ているのか分からない。焦点が合っていないのだ。
鬱状態の時の私は、きっといつもに比べても、数倍いろいろなことを考えているのだろう。鬱状態から戻って、その時の心境を思い出そうとしてもできるものではないので、想像の域を出ないが、いろいろ考えながらも、結局、また元のところに考えが戻ってきてしまう。袋小路に迷い込むことは普段でもあるのだが、絶対に抜けることができないと感じることが、鬱状態を自分に意識させる。
――何もかもが嘘で固められたように思う――
鏡を見ながら感じていた。鬱状態の時に、普段はあまり気にしない鏡をよく見るのだ。鏡がすべてを正反対に写し出すものだということを意識しながらも、見つめていると、鏡の中の自分が正反対ではないように思えてくるから不思議だった、かといって鏡の中の自分が本当の自分だとも思えない。中途半端な自分の存在を思い知らされるのだ。
散髪に行って、自分の顔が目の前の鏡に写っているのを感じることがあるが、あまり意識したことはない。鏡を見つめていて意識するのは、やはり鬱状態に陥った時などのように、普段と精神状態の違う時が多い。普段、意識していれば、本当の自分を意識することができると思うのだが、不思議と鏡の前に出ると見つめていることを意識できない。
月明かりの時はその逆である。
影を見つめることで、まるでそこに自分が埋まってしまっているように思えてきて、真っ暗な中の自分の表情を想像してしまっている。怯えていると思うのだが、意識は無表情だとしか思えない。きっと鏡を見ている自分しか知らないからだろう。
私はいつも暗闇を意識している。
暗闇では自分の前にあるものは何も見えない。もちろん自分すら見えない暗闇の中、夢の中でだって、そこまでの暗闇を感じることは、そう、ないだろう。暗闇を感じる夢の中、それは鬱状態の時に見ることが多い。何も見えないはずなのに、動くのが怖いはずなのに、暗闇を意識してしまう。意識しなければ見ることなどできないはずだ。
目が覚めてもしばらくは放心状態にある。足を一歩踏み出したような気がするのだが、落ちていく感覚を味わったようにも思う。
しかし、暗闇とは別にもう一つ見る気持ち悪い夢は、鏡張りの部屋である。子供の頃、お祭りであったミラーハウスを思い出す。見世物小屋の近くにあり、怖いイメージがあったが、一度、父親について入ったことがあった。私自身はあまり興味がなかったが、父親が面白がって連れて入ったのだ。私はきっとダシに使われたのだろう。
入ってずぐ、たくさんの父親の姿が目に入ってきた。そして父親と同じ数だけいる少年、それがまさしく自分だと気付いたのは、かなり経ってからだった。
「こ、これが僕なのか?」
「ああ、自分をこういう形で見ることなんか、なかなかないからな」
そういいながら、父親も鏡の中の神秘な世界に魅了されているようだ。
いろいろな角度からの表情は、本当にどれも同じなのだろうか? 角度が違うだけで、これほど表情が違うとは思いもしなかった。喜怒哀楽が溢れているようにも見え、正面からの表情が一番無表情に感じる。
頭のてっぺんを写しているのもあり、実に多方面からの自分を表現している。
――今の自分の気持ちを顔で表わすと、きっと正面からの顔なんだろうな――
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次