後ろに立つ者
だが、それだけではないことはすぐに分かった。それは異性を気にするようになったからだ。肉体の成長は精神的な面での異性への目覚めと綿密に結びついている。その頃はそこまでハッキリと分からなかったが、顔にできたニキビを見ていると、身体から知らず知らずに吹き出してくるものがあることを意識させられた。
その時、再度直子に声を掛けるようなことはしなかった。信義が直子を意識したと言っても、中学生の直子ではない。小学生の時の直子だからだ。
どうしてそんな気持ちになるのか分からなかったが、異性が気になり始めて、好きになる人を考えてみると、次第に分かってきたのだ。
――俺にとっての女性の好みは、小学生時代の直子なんだ――
そう思うと、初めて小学生の頃に自然消滅したことを後悔した。
――子供心に冷めていたのかな?
と思ったが、少なくとも成長期に迎えた精神的な不安定さと比べると、小学生時代の方が、まだ冷静だった。
中学時代の信義は冷静でなかったわけではないのだろうが、何かあれば、それがいいことであれ、悪いことであれ、すべてを吸収するようになっていた。納得できないことを受け入れなかった小学生時代とは明らかに違う。元々納得できないことを受け入れないタイプの信義にとって、納得できないことまでも吸収してしまう中学時代が嫌だった。
信義にとっての女性の好みの原点が、自分でも意識できるようになると、好きになる相手は自ずと決まってくる。きっと、一目惚れをすることがなかったのは、自分の子のみおw具体的に映像として頭の中に浮かべることができたからだろう。一般的に面食いだと言われる人たちも、信義と同じように、目を瞑れば自分の理想の女性が映像となって現れているのかも知れない。
信義にとって直子は、
――初恋の相手――
として頭の中に残った。しかし、異性に興味を持つ前だったので、恋愛感情という甘い感覚があったわけではない。だからこそ、自分の好きなタイプとして頭の中に残ったのだ。
自分の好きなタイプに対して、感情が籠っていたわけではない。好きになる人が自然と小学生の頃の直子のようなタイプの女の子であれば、それは無意識であって、自分から惚れたという気分にならないのだろう。
――本当は一目惚れなのかも知れないのに、それを意識できないんだ――
と、信義は感じていた。
そんな信義が、
――初めてかも知れない――
と思える一目惚れをした。それが和代だったのである。
和代に一目惚れしたことによって、それまでおぼろげにしか思い出せなかった小学生の頃が頭によみがえってきた。
ただ、いろいろ考えていると、一目惚れが初めてではないと思えたことは、少しショックでもあった。元々異性に興味を持つようになったのも、まわりに彼女がいる人が増えてきて、その楽しそうで、上から目線の表情に嫉妬していたからだ。
出遅れた感覚は、相手の上から目線を羨ましいと思うようになる。
相手に上から見られて悔しいというよりも、自分に彼女がいないことで上から目線を浴びせられるということが悔しかったのだ。純粋に彼女がほしいと思ったわけではなく、上から目線を今まで自分にした相手に対し、仕返ししてやりたかったからだった。
浅はかな考えであったが、他の人も言わないだけで、同じように考えていた人もいるのではないかと思えた。中学時代は、誰もがまわりの目を気にしていて、決して自分の考えを悟られないようにしようとする意志をあからさまに感じたのだ。
和代に対しては、まったく違った感情だった。
きっと和代に一目惚れをした一番の理由が、自分でもすぐに分かったからなのかも知れない。
――和代には、他の女性にはない何か憂いを感じる――
というものだった。
それが、小学生時代の直子のイメージに合致したというのは偶然ではないだろう。直子に対しても、異性として意識はしていなかったが。
――他の女の子とは違う――
という感覚が第一印象だったからだ。
もっとも、小学生の頃は、女の子を違った目で見ていたわけではない。まわりが女の子として、男の子と違った目で見るから、
――女の子は俺とは違うんだ――
という意識を持っていただけだった。
和代の返事がハッキリしないまま、二人は付き合い続けた。ただ、和代を抱くことで、言葉ではなく、身体で答えを返してもらったような気がした。
――告白してきた相手に身体を許すのだから、当然答えはOKだよね――
と、信義は考えた。
ただ、和代の態度を見ていると、次第に信義を誰かと比較しているように見えてきた。特に身体を重ねている時など、その最たるもので、
「上手になった……」
と、快感に身を委ねながら、口にしていた。
誰かと比較されたり、上から目線で見られたりすることは、信義にとって屈辱的なことで、おおよそ耐えられるものではなかった。
――それなのに、どうして和代にだけは、屈辱を感じないのだろう?
と考えていたが、本当は屈辱を感じていなかったわけではなく、屈辱がそのまま快感の渦に巻き込まれている状態が、耐えられないことに結びつかなかったのだ。
和代が付き合っていた相手と別れたのは、信義が転勤になる少し前だったようだ。信義とは入れ替わりで他の支店に転勤になり、その代わりに補充されたのが、信義だったのだ。
これは、ある意味屈辱でもあった。
前の人とどのような付き合いだったのか分からないが。別れたすぐ後に自分と付き合うというのは、まるで残り物をいただくような気分だった。
――おさがりじゃないんだぞ――
と自分に言い聞かせ、自分の中にある劣等感を擽った。今までであれば気分がすぐに萎えていたかも知れないが、その時の信義は、すでに和代から離れられなくなっていた。
最初に感じた和代に対する衝撃は、失恋による寂しさを隠そうとしている雰囲気だったのかも知れない。屈辱感の代わりに、最初にそう感じてしまったことが、和代を忘れられない存在にしてしまったのだ。
和代が以前付き合っていた男性、その人は、かなり年上だったという。
「確か、三十五歳は過ぎていたんじゃないかしら?」
年上に憧れる女性は確かにいる。さらに、もう一つ、
「彼は離婚経験のあるバツイチのようですよ」
と言っていたが、和代の方にも理由があった。
「私、お父さんがいないから、母子家庭なの」
と言っていた。
男性と付き合う時についつい相手に父親を見てしまうという。その気持ちは分からなくはない。そういう意味では、お互いに悪い気はしていなかったとは言え、年下の信義の方から、
「付き合ってほしい」
と言われた時は、ビックリしたことだろう。今から思い出しても、目をカッと見開いて、驚愕の表情は、和代にとって意外だったことを物語っている。
「付き合うってどういうこと?」
と、和代から言われた時、
「どういうことって?」
と、聞いた本人も戸惑ってしまった。
「付き合ってほしいという言葉に、どういうことも何もないよ」
と、信義は続けた。
信義はストレートに言葉通りの答えを期待したつもりだったが、和代にはそれ以外に考えがあったようだ。確かに恋愛には先があるので、
「結婚を前提に付き合ってほしい」