後ろに立つ者
というところから思い返していた。
◇
確かに大人しい女の子は元から好きだったが、それがいつの頃からだったのだろうと思い返してみると、その思いは小学三年生の頃まで遡った。
小学三年生というと、もちろん、まだ異性として女の子を意識する頃ではない。ただ、学校で一人大人しい子と気が付けばいつも一緒にいたのだ。
彼女も、
「どうしてなのかしら?」
と、気心が知れてから話していたが、お互いに理由は分からなかった。だが、そばにいるのだから、仲良くなれる可能性は結構高い。元々お互いに意識していなかったのだから、そばにいても違和感はないというものだ。それを意識するようになっても、違和感がないことに変わりはない。男女交際ではないが、いつの間にか仲良くなっていて、お互いの家を行き来したりすることで、家族ぐるみの仲になって行ったのである。
彼女の名前は、直子と言った。
直子はおかっぱが良く似合う女の子で、
「本当は好きじゃないんだけどね」
と言っていたが、小学三年生の子供が親の意向に逆らえるわけもない。そんな彼女の気持ちも知らずに、
「おかっぱ似合うじゃない」
などと言ってしまっては、きっと彼女は傷つくだろう。あまりまわりに気を遣うことがなかった信義も直子にだけは、気を遣っていた。それは自然と出てきたもので、本人の意識の外のことだった。
そんな気持ちが直子に通じたのだろう。直子とは結構長く一緒にいた。二年くらいは毎日一緒だっただろう。
直子は信義に対しても、表情をあまり変えることはなかった。よほど人には気持ちを見せてはいけないという意識が強いのか、それを意識させるだけの何かが幼少時代にあったのではないかと今となっては感じていた。
直子と一緒にいると、自然と気持ちが落ち着いてきた。それ以外の時間は、何か不安が募ってしまって、一人でいても、他の人といてもそれは変わらなかった。逆に誰かといる方が余計に不安が募る。きっと相手のことと自分を比較してしまうからであろう。
――まわりの人は自分よりも優れているんだ――
という劣等感を常に抱いていた。ある意味劣等感の塊だった。
劣等感という言葉を知らなかった時は、自分だけではなく、誰もが同じことを思っていると感じていた。
――自分だけではないんだ――
と思えば、普通は安心するものだが、それは自分でいろいろ納得できる力がついてきてからのことである。まだ小学三年生だった信義にそこまで分かるはずもない。信義は、言葉は知らなくても、感じることは結構あった。だが、理屈が分からないために、感受性だけが強くなり、納得できない子供だった。それが、次第に性格の屈折を生むようになってしまったのだ。
子供の頃から、
――自分で納得できないことは、信じられない――
という思いが強く、他の人は理解できていることでも、自分が理解できないということで、余計に劣等感が募ってくる。
そこに、堂々巡りが繰り返され、抜けられなくなってしまったのだが、そのこともさすがに理解できないでいた。
そんな時にそばにいたのが、直子だった。
直子は信義のことを分かってくれているようだったが、そのことで信義に安心感が宿ることはなかった。ただ、不安感が募ってくることがなくなったことで、
――不安の進行――
は抑えることができたのだ。
信義にとって直子の存在はそれ以上でもそれ以下でもなかったが、直子がどのように思っていたのか、想像することは難しかった。
普段から喋らない直子は、従順だった。自分にだけ従順な女の子というのは、まるで王様にでもなったようで嬉しかった。別に命令するわけではないが、直子になら何かを指示しても、嫌がらずにするだろう。なぜ命令じみたことをしなかったのか分からないが、嫌われるのではないかと心の底では思っていたのかも知れない。
ただ、そんな中で直子が時々悲しそうな顔をすることがあった。いつも同じ表情なので、直子の表情は、文字通り喜怒哀楽と無表情の五種類しかないのではないかと思ったこともあった。
とはいえ、怒ったところは見たことがないので四種類だ。それもほとんどが無表情なので、感情から出る直子の表情が、まさしくレアであった。
直子が自分のそばにいないという想像をしたことがない。ずっと直子が自分のそばにいることが当然で、次第に意識をすることもなくなっていった。
――まるで空気のような存在――
後から思えば、そう感じられたのだが、直子がそばにいることが当然だと思うようになってから、直子に対して感情がなくなってきた。
それから少しして直子が自分のそばから消えた。直子の立ち位置が決まっていて、そこから少しでもずれれば、信義にとって直子は、
――存在しない相手――
になってしまっていた。
お互いに感情をぶつけることはない。それだけにそばにいなくなっても、寂しいという思いも、辛いという思いもなかった。ただ、
――風通しがよくなった――
という程度で、違和感はあったが、感情に出るほどではなかった。その頃の信義は、直子だけではなく、他のことに対しても無関心だった。勉強も嫌いだったし、友達と遊ぶと言っても、目立たないように端の方にいるだけだ。何事にも無関心でいることは「物ぐさ」なことであり、しばらくの間、
――自分は物ぐさなんだ――
という意識を持っていた。
それが悪いことだという意識はなかった。
確かに物ぐさであれば、楽である。しかも悪いことだという意識がないのだから、人に憚ることはないと思っていた。
まわりは、そんな信義を変わり者だと思っていた。信義にはそれでよかった。何しろまわりに憚ることがないので、楽だからである。
だが、いつの間にか、楽な方に進まなくなっていた。物ぐさな頃は楽ではあったが、頭の中では絶えず何かを考えていた。何を考えていたかは、その時々で違ったであろうが、しょせん子供の考えること、身体と同じで限界も狭い。それだけに、いつも同じようなことを考えていたに違いない。
直子とは付き合っていたわけではないので、別れたという表現は当てはまらない。しかも、ハッキリと別れを告げたわけではないので、ある意味、自然消滅だった。最初から深く気にしていなかった直子なので、そばにいることがなくなっても、存在感は今までと変わりない。
だが、それが急に直子のことが頭から離れなくなったのが、中学に入ってからだった。どうしてなのか分からない。中学に入っても相変わらずの二人だったが、急に気になり出したのだ。
ただ、それは中学生の直子ではない。自分のそばにいた頃の直子だった。
ちょうどその頃から、無性に身体がムズムズする感覚に襲われていた。今から思えば、期待と不安が入り混じっていたのだ。精神的な不安定をもたらしていたのは、肉体的に成長期を迎えたことで、
――精神が肉体に追いついていないんだ――
と思っていた。