後ろに立つ者
だが、あまりにも急激な短さであれば、一気に飛び越してきた時間に、何かを置き忘れてしまったのではないかという危惧を抱くこともある。
性格的にはあまり几帳面ではないくせに、心配性なところがある信義は、自分のいい加減な性格が余計心配性を増長させていることに気付くと、
――因果な性格だな――
と感じるようになっていた。
几帳面ではないから、心配性になったのか。それとも心配性なところがあるから、自然と気を抜くことを覚えてしまい、本当は几帳面なくせに、几帳面なところまで忘れてしまうほど、性格を変えようという意識が勝手に働いてしまうのか、背中合わせの性格を意識すると、どちらが強い影響をもたらすのかを考えてしまうのだ。
普段であれば、両極端な性格が表に出てくることはない。どちらかが表に出ている時は、もう一つはじっと意識の中に潜んでいる。そして、本人の意識によることなく、勝手に入れ替わってしまっている。人はそれを見ると、
「あの人は二重人格だ」
と、思うことだろう。
背中合わせの正反対の性格というのは、誰もが持っているのではないかと、最近思うようになった。最初に表に出た性格がそのまま死ぬまで生きていて、もう一つの性格が表に出ることはない。そんな人がほとんどなのではないだろうか。
持って生まれたものに、まわりの環境が影響してその人の性格を形成するのであれば、最初に表に現れた性格が、その人の土台として形成される。成長していく中でいくつかの分岐点があり、それに気付く人はなかなかいないかも知れないが、分岐点で選択が要求された時、どちらを選ぶかでその人の性格が入れ替わることもある。それが失恋であったり、学校や就職の選択であったりするのかも知れない。
――直子に会ってみたいな――
と感じたことが何度かあったが、今なら、ハッキリ直子のどこが好きだったのか言える自分になっている信義は、直子には子供の頃から、まったく変わっていない性格であったほしいと思っている。大学生になってアルバイトで少し見かけたことがあったが、その時にまったく変わっていなかったことに安心してしまい、話しかけることができなかった。それは自分が変わってしまったという意識があるからで、
――変わる前の直子に会いたかった――
と思ったからである。
和代と初めて出会った時、和代の後ろに誰かがいるような気がしていたが、それは里山だと思っていたが、本当は直子だったのかも知れないと思っている。
信義が、運命的な出会いをしたと感じている時、必ずその人の後ろに誰かの存在を感じるのだったが、最初にそれを感じたのが、和代の後ろに誰かを感じた時だったのだ。
信義は、和代と一緒にいる時、絶えず他の男性の存在を意識していた。それをずっと里山だと思っていたが、それも実は違っていたのである。それを感じたのは、佐藤から、
「俺と和代さんは、幼馴染なんだ」
と聞かされた時だった。
普通に聞いただけなら、さほど意識をすることもなかったのだが、その時の佐藤の表情に違和感があったからだ。
それが何か分からなかったのは、あまりにも普段の佐藤からかけ離れた表情だったからである。
ニヤッと笑ったかと思うと、勝ち誇ったような上から目線を浴びせたのである。一瞬だったので、
――そんなバカなことはないよな――
とすぐに思ったほどだったが、ゾッとして背筋に汗を掻いたのを覚えている。
――この男、こんな表情ができるんだ――
と思ったが、すぐにいつもの表情に戻ったので、
――やっぱり思い過ごしだ――
と感じたのだ。
一瞬のうちに、普段とは正反対の表情になり、次の瞬間には元に戻っている。瞬きをする間の目の錯覚だと言われてしまえば、否定できないほどのことだった。そちらの方が説得力はあり、目を瞑っても、その時に感じた佐藤の表情が浮かんでこないほど、残像が残っていない。
そう感じると、一瞬だけでも感じたことが、勘違いだったのだと、すぐに自分を納得させることができた。それが普段の佐藤から醸し出される、気持ちよさとさりげなさであった。
今、信義は康子と正対していて、康子の後ろにも誰かを感じていた。最初は、それを和代だと思っていたが、和代だけではなく、他の人も感じるのだった。最初に和代を感じたのは、最初の一回だけで、しかも一瞬だった。もう一人は一瞬ではあったが、一度だけではなく、何度か感じたのだ。
シルエットで見えないが、相手は男性のように思えた。どこかで見たことのある人だと思ったが、すぐには思い出せなかった。それが、このバーで何度か会っていた老人に雰囲気が似ていることから、その時の老人だと感じ、信じて疑うことができなくなった。
――どうして、あの時の老人なんだ?
と思ったが、
――康子はこの老人に守られているんだ――
と、思えてくるのだった。
康子は、信義が自分の後ろに誰かがいることに気が付いたのを分かったようだ。最初は訝しげな表情だった康子だったが、穏やかな表情に変わった時、
――この娘は自分の後ろに誰かがいるのを分かっているんだ――
と感じた。そして、ゆっくりと話し始めた。
「私、最近男性と別れたの」
と言って、フッと溜息をついた。さっきの話に戻ってきたのだが、意識が一度他に飛んでしまったからなのか、同じ位置に戻ってきたと思ったが、どうも少し違っていると感じたのは、気のせいだろうか。
◇
今の康子のその表情は悲しそうでも辛い表情でもない。ホッとした表情で、開放感のようなものが感じられた。
康子は続ける。
「その人は、以前からお友達だった人なんだけど、ある日突然にお付き合いしてほしいって言ってきたのね。私も嫌いではなかったので承知して付き合うようになったの」
どこにでもあるような話だが、信義にはそこから康子が他の人とは違う展開を聞いてほしいという表情になっていることに気が付いた。
「その人のその時の表情が真剣そのもので、思わず吹き出したくなったくらいだったわ。あまりにも真剣だったからですね。その気持ちに押されるような感じで、お付き合いするようになったの」
自分が和代に告白した時と頭の中でかぶってしまった。相手の男性がもし信義と似た雰囲気であれば、康子がこの話をしたくなった気持ちも分からなくない気がしていた。
「でもね。その人は付き合い始めると変わってしまったの」
ここで、信義が初めて発言した。
「どのように変わったのかな? よく聞くこととしては、相手が急に横柄な態度を取るようになったりすることだけど」
――釣った魚に餌をやらない――
という言葉があるが、付き合い始めると、自分のオンナだという意識の強さからか、優しさが薄れてきて、親しき仲の礼儀が乱れてくる様子がイメージできる。もしその通りであれば、自分の想像通りだと言えるのだが、展開としては想定外である。もっと違った発想をしていたのに、当たり前のことでは拍子抜けするというものだ。