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後ろに立つ者

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 しかし、本人たちに別れる意識がなかったのは事実だった。どちらかというと信義よりも和代の方が付き合いや結婚に固執していた。別れるなどというと、ヒステリックになって手が付けられないのではないかと思えたほどだったが、別れに際しては、あっけないくらい、淡白だったのだ。
「そうね、潮時かも知れないわね」
 信義から別れ話をさりげなく切り出した時、あっけらかんとしていた。それはまるで信義以外に他にいい人ができたのではないかと思うほどで、もしそうなら、和代をそんな男に取られることに対して我慢ができないはずなのに、その時、なぜか安心感があったのは否定できない。
 別れ話を持ち出したとしても、これだけ気持ちが切迫している二人なので、自然消滅も同じだと信義は思っている。
――安心感を見せてしまったから、和代は簡単に別れる気持ちになったのだろうか?
 安心感というのは、その時に見せた安心感ではなく、それ以前に、和代に対して持っていたものだった。
 元々、和代との間には、絶えず緊張感が存在していた。緊張感の上に成り立っている恋愛感情というのが存在することを、和代と別れてから感じたのだが、その間に安心感の存在が二人の関係に危機をもたらすなど、想像もつかなかった。
 確かに別れたあとに残っている感覚は緊張感しかなかった。客観的に付き合っていた頃の自分を思うと、安心感は致命的だったのかも知れないと思う。
 和代と別れてから、しばらく残ってしまったショックは、自分の中で何もする気を起こさせないほど、憔悴していたに違いなかった。
 それからすぐに信義は転勤になった。それは自分の気持ちに追い打ちを掛けるような出来事だったが、実際に転勤してみると、環境が変わったことがよかったのか、ショックは残ったが、まわりの人と話をしているだけで、安心感がこみ上げてくるのを感じた。
 その時の安心感は、和代と付き合っている時に途中で感じた安心感とは、まったく別のものだった。和代と付き合っている時に感じたことが、本当に安心感だったのかどうか疑いたくなるほど、後で感じた安心感には、暖かさがあった。
 ただ、その二つの安心感の共通点は、客観性があることだった。
 和代と付き合っている時の緊張感は、完全に自分が舞台の上で主役を演じていることへの証のようなもので、そこに客観性を帯びた安心感を感じることは、自分から舞台を降りてしまったことを意味していた。それは結婚を真剣に考えていた和代に対しての裏切り行為だったのかも知れない。
 それを和代が許したということは、和代の中にも、自分も舞台を降りたという意識があったのだろう、
 簡単に舞台を降りる気持ちにさせた原因は。里山にあるのかも知れない。
 彼は最後まで和代と二人の舞台を形成して、ズタズタになってしまった。和代も同じようにズタズタになったところに、信義が現れたのだ。
――この人は安心感を与えてくれるかも知れない――
 と感じたことだろう、
 だが、この時の安心感というのは、客観的に見ることのできる自分のことなのだろうか?
 信義はきっとそうだったのだろうと思った。だが、実際に客観的に見られると、気持ちが冷めてくる自分に焦りを感じながら、どうすることもできないで憤りを感じているところに信義の別れ話だった。
 一度ズタズタになってしまった和代は、今だ回復していない精神状態で、別れ話を聞いたので、本当の自分の中で整理できないまま、別れを受け入れたのかも知れない。そう思うと、和代がその後どのように感じたのかということを考えると、かなり幅を持った発想が思い浮かぶに違いない。
――あまり余計な想像しないようにしよう――
 それは、和代に対して、残ってしまった未練と、未練を残しながら、別れを決断しなければいけなかった自分が、このままでは後ろ向きにしか見えなくなり、抜けることのできない袋小路を自分の中に作ってしまうことに繋がると思ったからだ。
 和代の中にいる里山のことを意識していたこと、さらには、和代を見つめている佐藤の存在も信義には否定できない事実であった。
 佐藤は、信義と和代のことを見守ってくれているような話をしていたが、和代のことを密かに想っていたことは想像がついた。
 里山とうまく行かなくなって、
――次は自分だ――
 と思っていたかも知れない。
 しかし、二人の別れがあまりにも悲惨で、それぞれがズタズタに傷ついたのを見たことでの躊躇と、今だ傷の癒えない和代に対しての遠慮の気持ちとで、戸惑っていたところに信義が現れたのだ。
 信義のことを、
――火事場泥棒――
 のように感じたかも知れない。
 だが、佐藤が表舞台に登場することはなかった。
 和代にとっても、里山にとっても、相談できる相手は佐藤しかいなかった。
「俺は脇役でもいいんだ」
 と思っていた時点で、佐藤は舞台に上がるつもりなど皆無だったのだろう。そう、彼は客観的にしか見ていなかったのだ。
 そのことを一番感じていたのは、和代だったのかも知れない。里山も感じていただろうが、男同士のこと、別に意識する必要もない。
 しかし、女の和代には里山のようなさりげない意識はない。佐藤が客観的に見ている以上、佐藤は、今までもこれからも、恋愛対象ではありえないと思っているのだ。
――佐藤君は、私を決して正面から見てくれようとはしない人――
 という意識が働いていた。
 この佐藤の存在が、信義の中に安心感を宿らせた時、客観的に自分を見るようになった信義に対しても、次第に気持ちが冷めてきたことに気が付いたのだろう。
 付き合っている時にいつも喧嘩をしていたが、最初の頃の喧嘩と、後半の喧嘩では明らかに違っていた。信義は分かっていたが、何が原因なのか分からなかった。原因は信義にあるのだが、想定外のことだったのだ。
 前半の喧嘩は、信義と向き合っていることでぶつかったという分かりやすいことだった。そこに里山と比較してしまったことで、和代の苛立ちが募ったのだ。
 しかし、後半は、信義が客観的になってきたことに対しての焦りが苛立ちに変わったものだった。こちらの影響は里山の存在からではなく、佐藤の視線と信義の視線の共通点から分かったことだった。
 和代の中に、佐藤の存在が影響していた時期があったのだとすれば、信義にとって、直子への意識がなかったかどうか、今一度考えてみたことがあった。
 直子を意識していたのは、小学生の頃で、まだ異性を意識していない頃だった。そんな頃の意識が、二十歳過ぎてから影響してくるなど、最初は思ってもいなかった。ただ和代を見ていて、その後ろに直子の面影を見たというだけだった。
 最初こそ、
――どこか似たところのある二人だ――
 と感じた信義だったが、実際には、和代の中にヒステリックな部分を見たことで、直子の存在はその時点で消えてしまっていた。
 いや、見えていたのかも知れないが意識していなかっただけなのかも知れない。ただ、意識しないまでも見えていたということは、直子に見つめられていたことだけは、意識の底にあったのかも知れないとも感じた。
 信義は、自分が客観的に見る安心感を急に持つようになった原因が、直子にあるのではないかと思うようになった。
作品名:後ろに立つ者 作家名:森本晃次