後ろに立つ者
そんな時に現れたのが、この店であり、常連客の老人であった。
そういう意味で考えると、康子の前に自分が現れたのも偶然ではないのではないかと思えてきた。しかも、彼女であれば、この店に連れてくる気持ちにならないと思っているのに、康子であれば連れてきたというのは、まるで娘のように思えるからだけではないと思っていたではないか。
「ここでは、自分が感じているよりも、時間が短く感じられるんだよ。まだ、君は気付いていないようだけどね」
「それはどういう意味ですか?」
「時間の感覚というのは人それぞれなので、一概には言えないとは思うんだけど、わしはこの店の常連になって、かなりになるから結構分かっている。ここにはいろいろな客がやってくるが、ほとんどの人が二度目はないんだよ」
「?」
「二度目に来た時は、その人は自分の世界を作っていて、最初に出会った人、二度と会うことはないというべきかな?」
「でも、僕はあなたと出会えましたよ」
「それは君がわしと会いたいと思ったからなんだよ。他の店だと、漠然と店に来ても、同じ時間にぶつかれば、会いたくないと思っている人でも、来ていることがあるでしょう? でもここはそれがない。あくまでも重要なのは、その人の時間なんだよ」
まるで狐につままれたような話だった。
その日は、老人と話をして、自分で納得のいかないことを納得させたいと思い、もう一度老人と会って、話をすることしかないという考えの元、この店にやってきたのではなかったか。これでは、昨日の話を納得するどころか、さらに納得できないことが深まってしまったではないか。
「君にとっては、今の話は当てが外れたと思っているかも知れないが、話というのは繋がってくると、原点に戻るものなんだよ。ほら、君が考えている堂々巡りだって、ただの限界を感じるだけだと思っているかも知れないけど、話の辻褄を合わせるという意味では、とても大切なことではないかと思わないかい?」
どうやら、考えていることを見透かされているようだ。それを分かった上で話をしてくれている。きっと、奇抜な意見であっても、的を得ている話をしているに違いない。老人の話を聞いていると、いずれどこかで話が繋がってくるような気がして仕方がない。そのためにも、突飛で奇抜な話であっても、理解していこうと思う気持ちが大切なのだと思うのだった。
「たとえて言うなら、ヘビが自分の尻尾から自分の身体を飲み込んでいくのを想像してごらん。最初は大きな輪になっていても、次第に狭まってくるだろう? 最後にはどうなるか、想像がつかないと思うが」
「なるほど、どんどん輪が小さくなっていくのを感じますね」
「小さくなっていく輪が時間だと思えばいいんだよ。ここで、時間の感覚が短くなっていくということは、自分を自分で吸収しようとする意識があれば、ヘビが自分の尻尾から飲み込んでいくのを想像するごとく、完全に自分の世界しか見ていない。ここにやってくる人は大なり小なり、孤独な人がやってくるのさ。孤独を背負っている人には、この店の存在があからさまに感じられる。入ってこなければ気が済まなくなるようなんだよ」
「それで時間が短く感じられるんですね?」
「そうだね。それをここに来た客は、店を出てから初めて感じるようになる。その理由が分からない人は、二度とこの店に来ることはない。よほど、もう一度この店に来てみたいという思いを抱いた人でなければ、ここに来ることはできないのさ」
マスターの方を振り向くと、無言で洗い物をしているが、老人の話を当然のごとく利いているのだろうか?
「まあ、わしの話を信じる信じないは、君次第だけどね。わしも理解できない人に、無理やり理解させようとして話しているわけではない。とりあえず、わしの話に興味を持ってくれる人を見つけて、話をしているというところかな?」
そう言って笑っていたが、完全には納得できない。だが、昨日納得できないと思っていた気持ちとはまた違った感覚だった。
昨日の話と微妙に繋がっている。完全な納得ではないが、昨日よりも、少し気が楽になっていた。
昨日の疑問が解けたわけではないのに、さらに新しい疑問を積み重ねることになったのだが、不思議なことに、昨日感じた疑問ほど重たくは感じないのだ。
それは、話が頭の中である程度繋がったからなのかも知れない。そう思うと、今度は逆に、
――すべてを納得する必要などないのではないか――
と思うようになっていた。
それは、納得することだけがすべてだと思っていた自分の考えを覆すものであり、それを老人が教えてくれたということに他ならない。この店の雰囲気も手伝っているのかも知れないが、信義にとって、不思議な世界への入り口に感じられたというのも否定できない気がしていた。
◇
康子がこの店に過去に来たようなことを話していたが、マスターは覚えがないという。他の客にも同じことを感じるというのだが、マスターは本当に覚えていないのだろうか?
これはマスターの性格によるものなのかも知れない。ただ、もう一つ気になるのは、老人が話していたことだった。
「自分と会いたいと思った人でないと、会うことができない」
突飛な発想であるが、本当にそんなことがあるのだろうか?
マスターは、いつでも黙々と仕事をしている。客と話をするという雰囲気ではない。少なくとも自分から話しかけることは絶対にないだろう。それを思うと、
――マスターが本当は一番孤独なのではないだろうか?
と感じる。
しかし、マスターの孤独は、自分が望んだもので、決して寂しさや鬱状態を感じさせるものではない。だから、この店のマスターができるのではないかと思うのだ。
老人を見ていても、同じように感じる。
決して寂しさや鬱状態を感じさせるものではないが、絶対的な孤独を感じるのだ。
しかも老人の場合は、
――他人を寄せ付けない雰囲気――
というものを感じる。
マスターの場合は、立場上他人を寄せ付けない雰囲気というわけには行かないだろうが、限りなく老人に近いものを感じる。しかし、それ以上でもなくそれ以下でもない距離があることを感じ、
――決して交わることのない平行線――
が見えているようだ。
しかもその距離が果てしなく遠く見えることも、手を伸ばせば届くくらいの距離に感じることもあるのではないかとお互いに感じているように思えてならない。信義自身も、それを感じていたのだ。
気さくで、人懐っこいマスターや常連客のいる店にも興味があるが、ここのように、
――基本的には、他人に干渉しない――
というイメージを作り出している店にいるのは、苦痛ではないかと以前は感じていた。だが、そうではないと感じるのは、自分に孤独が存在し、それが寂しさや鬱状態に移行してしまうことを懸念しているからだと思うようになった。
それを教えてくれたのは、老人であったが、もし老人がいなかったとしても、店にいるだけで、近い将来自分で理解できたように思う。
それを立証してくれるのが、マスターの雰囲気だった。
もし、信義がそのことに気付くと、マスターはそれまでと雰囲気が変わってくるのではないかと思えた。