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後ろに立つ者

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「そうとは限らんよ。もし相手の人間が、今のあなたと同じような気持ちを持っている人であれば、二人でわしを意識するだろう。あくまで彼女は、隠れ家だという意識を今は忘れていることで、わしが見えないだけなんだ。ずっとわしを見えないままだとは思っていないよ」
「彼女にもそれは分かっているんでしょうか?」
「分かっているかも知れないね。わしも、さすがにそこまで相手の気持ちが分かるわけではない。あくまでも、ここを隠れ家として利用しているかしていないかという考えがその人から見られるかを感じているだけだからね」
 と言っていた。
 その日は、老人とそんな話をしているうちに、気が付けば最終電車の時間に近づいていた。その日は、さすがに家に帰るつもりだったので、店を後にして家に帰ったのだが、老人の話の印象が深かったことで、どうやって家まで辿り着いたのか意識がないほど考え事をしていたようだ、
 信義は、帰宅途中気になっていたのは、店を出てから感じたこととして、
――店にいる時はあっという間に時間が過ぎたような気がしたのに、店を出た途端、我に返ったように、時間が長かったように思う。それも扉を出た瞬間に、まるで辻褄を合わせるように頭の中が急速に動いた気がする――
 と思えてならなかった。
 同じ時間を、その時に感じたのと、後から考えたのでは感じ方が違うというのは、今までにも何度もあった。しかし、それを辻褄を合わせるような感覚になるということはなかったことだっただけに、どう解釈していいのかが分からなかった。
――老人の魔力のようなものなのか?
 老人の話を聞いている時は、理解できたつもりだったのに、目の前にいないと、
――どうしてあの時に理解できたんだ?
 と感じるほど、不可解な話であった。
 突飛過ぎる話だからだというだけではない。信義が今まで考えていたことで、どうしても理解できないことを、その老人が理解させてくれたように話を聞いている時に感じたのだ。
 それが一人になると、せっかく聞いた話を、また自分自身で理解はできるが、今度は納得できないと思えてきた。
――話を聞いている時は納得できたはずなのに――
 と思っているのだ。
 会社に行っても、集中できない時間帯があった。仕事をしていれば、一日中集中が途切れないことがしょっちゅうだっただけに自分でも信じられないことだった。
――やはり、もう一度老人に会わないと納得できない――
 と感じていた。
 確かあの時にテーブルに座っていた女の子が、
――隠れ家ではなくなったので、わしが見えなくなった――
 と老人が話していたが、それは隠れ家でなくなったことは、納得できないことを抱えたまま店に行っても、同じように、老人の存在に気付くことができるかということに不安を抱くことになっていた。
 信義は、ほとんどその日仕事が手につかなかったが、まわりの人も気になっているようで、
「石田さん、大丈夫? 顔色悪いようですよ」
 と、事務員の女の子に言われて、驚いて洗面所に駆け込んだが、
「なるほど、顔色悪いな」
 と、自分ではそこまで感じていなかったことを意識させられたのだ。
 洗面所で顔を洗って、事務所に戻ってくると、
「今日は、少し調子が悪いので、このまま帰ります」
 と言って、事務所を後にした。
 元々定時は過ぎていたので、断る必要もないのだが、上司としてのケジメと思って声を掛けた。
「お疲れ様でした」
 と、一斉に声を掛けてくれる。
 このまま帰宅するわけではないので、後ろめたさがあったが、会社を出ると、そんな気持ちは少しずつ失せてきた。
――こんなに早く会社を出るなんて、いつ以来だっただろう?
 六時頃というと、まだ表は日が暮れていない。ビルの窓ガラスに当たる西日が眩しく、身体に気だるさを感じたが、同時に背筋に汗を掻いているのも感じた。
――気だるさは、子供の頃の記憶のようだな――
 子供の頃の記憶として、西日を全身に浴びる時というのは、公園で遊んでいた時に感じた空腹感を思い出させる。
 まわりから匂ってくるおいしそうな匂い、それは今から思えばハンバーグの焼ける匂いであった。
 子供の頃の一番のごちそうというと、ハンバーグだったのを思い出した。日が暮れるまで遊んでいた公園の近くにある団地からは、絶えずハンバーグの匂いがしていた。きっと自分以外にもハンバーグが大好きな子供がいて、毎日、どこからかハンバーグの焼ける匂いがしても無理のないことだった。
――ハンバーグが好きなのは、匂いに感じていた気持ちが強かったんだろうな――
 とも感じていたくらいだった。
――ハンバーグが食べたいな――
 ファミレスに入ると、二回に一回はハンバーグを食べるようになったのは、その頃からだったように思う。それまではハンバーグよりステーキの方が好きだった。
――年を取ると子供の頃を思い出すというが、ハンバーグが気になり始めたのも、そのせいかも知れないな――
 子供の頃に好きだったハンバーグとファミレスのハンバーグでは、かなりおもむきが違うが、それでもどうしても気になってしまう。
 元々好きなものは何回続けてもなかなか飽きが来ないタイプだったので、ハンバーグを注文することも気にならなかった。
 まだ、バーが開店するまでには少し時間があるだろう。開店していても、老人が来ているかどうかも分からない。まずは、腹ごしらえをしておくことにした。
 ファミレスはさすがに混んでいた。それでもちょうど席は空いていた。学生の団体が帰ったようだった。席に着くと、空腹感がさっきより増してきたのを感じ、ハンバーグ定食を迷わず注文した。ドリンクバーを付けるのも忘れずにである。
 コーヒーを入れにいくと、身体の疲れが少し取れてきたような気がした。コーヒーの香りが効いたのかも知れない。普段から嫌いではないコーヒーの香りだが、ほんのりと汗を掻いてきたことで疲れが取れた気がしてきたことに気が付いた。
 遠くの方で人の声が聞こえてくる。店内はざわついているので、もっと近くで聞こえてきそうなものだが、耳鳴りがしているようで、疲れは取れているものの、根本的な解消にはなっていないように思えた。
――まるで潮騒のようだ――
 貝殻を耳に当ててみた時に感じたことだった。
 元々潮風が苦手な信義は、子供の頃に行った海岸での出来事を思い出すことはほとんどなかった。
 海水浴に出かけた次の日は必ず熱を出していた小学生の頃、湿気た空気が嫌いになったことで、身体にほんのりと汗を掻く時は、体調が悪くなる前兆だと思っていた。だが、それも学生時代だけのことで、社会人になってから、そんなことを感じたのも、久しくなかったことだった。
 ただ、潮騒自体は嫌いではなかった。潮風さえなければ潮騒は好きで、映画やテレビで見る分には、心地よささえ感じるほどだ。実際の感覚と、目や耳だけで感じるものに開きがあることを感じたのは、潮騒が最初だった。
 老人と会わないと納得できないと感じていたが、潮騒をイメージしていると、そのような感覚が薄れてくるようだった。それよりも、昨日店で感じた隠れ家のイメージをもう一度味わいたいという気持ちが強くなっていた。
作品名:後ろに立つ者 作家名:森本晃次