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後ろに立つ者

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 信義は、半分信じていたが、半分は信じていない。自分のこと以外で、すべてで信じられることはないと思っている。
 ただ、自分のことが本当は一番信じられないのであって、
――もしすべてを信じられることがあるとすれば、それは自分のこと以外にはありえないんだろうな――
 という気持ちを、漠然としてだが感じていたのだった。
 康子がトロンとした目になったのは、少しの間だけだった。それもじっと見ていて感じたことだったので、それがまわりから見れば長いのか短いのかは、想像もつかなかった。
「ちょっと、一休み」
 と、康子は本にしおりを挟み、バタンとわざと大きな音を立てるようにして、本を閉じた。それは眠気を覚ますための行動なのか、それとも、気合を入れなおすための行動なのか分からなかった。だが、本を目の前に置いた康子が信義の顔を見た時、それまで康子が本当に正面から自分と向き合っていたわけではないということに初めて気づいた信義だった。
 バタンという音とともに、静かだと思っていた店内に、ざわめきが戻ってきた。
 それは今まで自分が集中していたからなのか、耳の奥で音が籠っていて、まわりのざわつきに気付いていなかったのだ。
 大きな音は、まるで耳の近くで風船でも爆発したかのようで、本当なら、そこから耳鳴りがして、音が籠ってくるものなのだろうが、今回は逆であった。大きな音とともに、今までしていた耳鳴りから、現実に引き戻されたのだ。
 耳鳴りに陥る前に、大きな音を感じたわけでもなかった。いつの間に耳鳴りが響くようになったのか分からずに、しかも、耳鳴りであることすら意識することもなかった。そんな状態に気付かなかったのは、会話が一つもなかったからである。
 もし会話があったなら、自分の発する声を感じた時に、初めて耳鳴りがしていることに気付いたかも知れない。会話がないことが、こんなところに影響してくるとは、まったく考えてもいなかった。
 康子は、手にコーヒーカップを持つと、もう一杯のおかわりを注ぎに行ったのだ。その間、彼女が帰ってくるのをじっと待っていたが、自分がこの店に入ってから、すでに一時間以上経っていた。さすがに店内は落ち着いていて、明るさだけが目立っていた。
 さっき食べたハンバーグだが、やはり全部食べなくてよかった。一時間も経てばお腹が膨れてきて、あれ以上食べていたら、胃が持たれていただろうと思う。コーヒーも二杯飲んだので、これ以上飲む気もしなかった。
 康子が戻ってきて、カップの中を見ると、半分ほどしか入っていなかった。
 文庫本を開くことなく、コーヒーを少しずつ飲んでいたが、その様子を見て信義は、
「バーにでも行きませんが? 朝までやっているバーを知っているので」
 と、ダメ元で誘ってみた。
 康子は少し考えていたが、
「いいですね。ワインでも飲みたい気がしていたんですよ」
 と言って、ニッコリと笑った。
 その時にはもうすでに信義の頭の中からビジネスホテルの選択肢はなくなっていた。
「康子さんはいいんですか? 明日、いや、もう今日ですね。お仕事は大丈夫なんですか?」
「ええ、お仕事はお休みです」
「僕も休みなので、ゆっくりとできますね」
「ええ、お互いに英気を養えるというものですよ」
 と、やっと砕けた表情を見せた康子の表情にあるものは、笑顔と言えるかどうか、見ていて複雑な感覚だった。

                   ◇

 ファミレスを出た二人は、無言で歩いた。信義の背中を見ながら何も言わない康子は、不安など欠片もないといった雰囲気だった。
――それにしても、深夜にしては思ったよりも明るいな――
 明るく感じられたのは、本当に明るさに感じるものがあったわけではなく、思っていたよりも人通りが少ないことで、人通りのわりには、明るさだけが目立って感じただけのことであった。
 少し風があることで肌寒さを感じたが、もうすぐだと思うと、それほど寒さは感じなかった。それは場所を知っている信義だから言えることであって、ただ黙って後ろをついてきているだけの康子には、寒さは身に沁みていたかも知れない。
――この娘は、何の疑いを持たない性格なのだろうか?
 さっきファミレスで初めて会って、少し話をしただけの相手を、こうも簡単に信じるというのも驚きだが、相手が信義だからだと思えば、これほど嬉しいことはない。深夜に自分の娘くらいの女の子を誘いだすなどというのは、妄想をしたことはあったが、本当に行動に起こすなどという暴挙に走るなど、信じられないことだった。
 その時の信義は平常心ではなかったかも知れない。自分が四十過ぎの中年であるということを忘れてしまったわけではないはずなのに、気持ちは若返ったような気がしていた。もちろん、康子が自分のような中年を本気で好きになんかなってくれるはずもないという思いが頭にはあるが、誘ってしまってからは、余計なことは考えないようにした。
 大通りから少し入ったところに目指すバーはあった。そこを見つけたのは偶然で、普段は目立たないようにひっそりと佇んでいるのに、初めてこの店を訪れて一年くらいが経つが、その時もゆっくり歩いているつもりでも、寒さからか、自然と早歩きになっていた。
 今日のような深夜だったが、その時は、今日のように明るさが感じられた。やはり、人通りが疎らだったからだろう。ただ、あの時との違いは、今日は後ろを女の子がついてきてくれているということだ。彼女がいるだけで、感じる明るさもあるのかも知れない。
 早歩きで歩いていたので、まわりを気にすることなどなかった。それなのに、ここまで来ると、ふと立ち止まった。何がその時信義を立ち止まらせたのか分からないが、立ち止まった原因を考える間もなく、寒さが身に沁みてきたのだ。
――どこかで暖まりたい――
 と思いあたりを見渡すと、目指すバーの明かりが目についた。決して暖かさを感じさせる明かりではなかったが、勝手に足が向いて、中に入ってしまったのだ。
 バーなどは常連がほとんどなのだろうが、少し怪しげにも見える外観で常連が本当にできるのかと思ったが、結構、こういう雰囲気が好きな人もいるだろう。ただ、その日の信義のように、急にバーの明かりが気になってしまう人もいるかも知れないと思った。それは常連ぼ客を見ていれば分かったことだが、
「結構、皆性格は違っても、不思議とすぐに気心が知れてしまうんだよね。やっぱり、類は友を呼ぶってことなのかね」
 と、マスターが話していた。
 信義もその話を聞いて納得し、同じように頷いていたが、以前から馴染みの店を持ちたいという思いが強かっただけに、
――やっと腰を落ち着けることのできるところを見つけたんだ――
 と感じた。
――いつも一人でしか行かない俺が、娘くらいの女の子を連れていったら、どんな顔をするだろう?
 と思っていたが、深夜のこの時間、客がいるとしても、一人か二人だ、気にすることもないと思った。
 客の中には、いつも一人で来るのに、たまに女の子を連れてくる人もいた。そんな客を羨ましいという目で見ていたのは信義だけではないだろう。そういう意味で、客が誰もいなかったら寂しいという思いもあり、複雑な感覚もあった。
作品名:後ろに立つ者 作家名:森本晃次