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師恩

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この瞬間、周樹人の瞼に母のふらふらとよろめきながら小股で歩く姿や、女たちが恥じるようにきまり悪そうに歩く往来の情景が浮かんだ。そして涙をこらえ、心の中で叫んだ:“纏足を廃止し、愚かで無知な行為を排斥し、封建制度を打ち破るほかはない! まさに藤野先生のおっしゃる通りです。これはわたしたち中国人自身こそが言うべきことです!”

(七)
山々や野辺一面に火のように燃える紅葉が、一陣の強風に吹かれてざわざわと音を立てる。目の前の木々の枝が揺れて赤い波がうねるように見える……
仙台の郊外、楓の林の中に古い街並みの低い建物が見え隠れする。藤野先生と周樹人が肩を並べて、雑草もまばらな石だたみの道を散策している。
藤野先生:“早いものだね、あっという間に寒い季節になった。仙台は東北地方だから寒くなるのも早い……”と言いながら横を向いて傍らの学生を見ると、薄着なので、手を伸ばして触りながら: “君、着る者が足りないのでは?”と聞く。
周樹人:“お気遣いありがとうございます。若いから大丈夫です。”
藤野先生:“おお……このあたりの古代武士は、戦いに明け暮れて、奔放に暮らしていたようだ。秋冬には、よく温泉に浸かって暖を取り、養生していたというが、それもなかなか楽しそうだね。”
“温泉? 聞いたことがあります――、とても気持ちがいいと。”周樹人はあこがれるように言う。
“そうだよ!よし、今回の期末試験で君の「倫理」の試験、とても成績が良かった、知ってるかい、倫理は医学の基礎なのだよ……”
“あ、私は何点だったんですか?”
“八十三点、クラスで一番だよ。今日はそのご褒美を上げなきゃならんな、一緒に温泉へ行こう!”
“わあ! すごい、先生、ありがとうございます!”
“それより、君はなぜ倫理がそんなにできるのかね?”
“私は小さいころから私塾に通い、孔子、老子、孟子、韓非子を頭に叩き込まれたんです。ですから、仙台に来ても、倫理は一番楽な授業です……はは!”
“おお、なるほど、そうでしたか、道理で君の古文と書は驚くほど優れているはずだ、それに、あの四肢の骨格を答えられたのも頷けるね、はは!”
“お恥ずかしいです。学んだことは知ってはいますが、まだまだ知らないことだらけです……”
二人は話しながら歩いているうちに、ふと見上げると《仙池神湯》という温泉の看板を見つけた。藤野先生がいそいそと入っていくと、周樹人も嬉しそうに続いた。

露天の温泉は、四方を山に囲まれている。
屋外の冷たい空気のせいで、温かい水面に幻のように乳白色の湯気が浮かび上がる。
藤野先生は湯気の中で湯につかり、頭だけを出している。湿った白いタオルを頭のてっぺんに乗せ、湯なのか汗なのか顔に滴るままに任せて、満足気な様子だ。突然、湯気で曇った眼鏡をはずして、目を細めて周りを見回し……
“周君、周君――、どこにいるのかね?”
“先生! 先生の向かい側のそう遠くないところにいますよ。ここの湯はあまり熱くないです。”
藤野先生は曇りをふき取った眼鏡をかけると:“さあ、さあ!こっちへ来なさい。私のこのあたりが泉源だ、湯は熱いが、効能も更にいいから。”
周樹人は先生のお許しを得たので、近づいてきて:“先生、温泉はなかなかこだわりがあるものなんですね。あそこの壁に「五五八健康法」と書いてありますが、どういう意味ですか?”
藤野先生は驚き喜んで:“よお、君はなかなか勉強熱心ですね。あれは温泉で入浴するときの時間と順序で、まず五分浸かってから、頭を洗い、また五分浸かってから、身体を洗い、その後八分浸かったら出てもいいということだ。温泉へ来て休暇を過ごすときは、こうやって繰り返し浸かるのだよ。まあ、科学的温泉入浴法と言ったところかな。”
周樹人はちょっと考えて:“では……それではどの人もみな同じなのですか?”
藤野先生は顔を挙げると:“うん、君は面白い質問をするね。――それは条件の違いに応じて変わってくるはずだね。例えば、温泉の違い、年齢の違いによって合理的に調整してこそ、科学的と言えるからね。あっと! ほら、もう時間だよ、頭を洗わなくちゃ……はは!”
“はは……!”先生と生徒は打ち解け合って愉快に笑う。

            (八)
汽笛が長く鳴り響き、白い蒸気が天を衝いて立ち上る。
動き出した汽車が、ゆっくりと“仙台駅”を出発する。周樹人は車両の中の窓際の席に掛けて、窓の外で次第に加速して遠のいていく木々を眺めている……
(魯迅の独白)“あっという間に冬休みになった。私はしばらく仙台を離れ、大多数が東京にいる清国留学生たちと共に正月を過ごすのだ。それに、もう知っていたことだが、私の弟周作人も、日本へ留学していて、東京で私を待っているのだ!”

汽車が高速で走るリズムと、時折けたたましく鳴り響く汽笛はいつしか、子供たちが互いに追いかけてふざけ合う楽しそうな歓声に変わる――
子ども時代の周家の三兄弟が紹興東昌坊口で遊んでいる。纏足の母がぎこちなく世話を焼いている。
兄弟三人がおばあさんの家“皇甫荘”の川で釣り糸を垂れ、なかよしの農家の子供たちがやり方を教える。
周樹人と周作人が私塾の年取った先生の前で頭を振り振り古文を暗唱している……

汽車のスピードが次第に緩み、“東京駅”の標識がはっきり見えてくる。ホームの一角に黒い制服の学生がひしめいている。特に目を引くのは学生帽のてっぺんが皆高く盛り上がっていることで、一目で清国留学生だとわかる(彼等の帽子の下にはぐるぐる巻いた辮髪が隠されているのだ)。そんな中、ただ一人他とは違って平らな帽子を被っている者がいる。しかも、その顔立ちは周樹人にそっくりなのだ。
遅れてきた許寿裳は大急ぎで、ホームに集まっている留学生の群れに向って走って行ったが、この周樹人そっくりな青年にはっとして、力ずくで人込みを押し分けて近づいて行く。どんどん近づき、話しかけしようとするが躊躇する……
“失礼ですが、誰をお探しですか?”周作人は上品な口調で尋ねた。
“ああ、私は周樹人さんを迎えに来たのですが、遅れてしまいました、申し訳ない!”許寿裳は申し訳なさそうに言う。
周作人はすぐに興奮して:“あ!周樹人はわたしの兄です。わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます……見てください!来ましたよ――”

汽車の車両から降りたばかりの周樹人は、すぐさまやってきた留学生たちに囲まれてしまった。
周樹人は“やあ!なにもこんなに大げさにしなくても”と申し訳なく感じて戸惑う。
“豫才君よ、君が仙台ですらすらと問題に答えたと聞いてみんな誇りに感じているんだよ!”許寿裳はそう言いながら、すぐに後ろにいる周作人を“ほら、来ましたよ”と前へ押し出す。
“兄さん!会いたかったよ!”周作人の口から懐かしい紹興訛りが飛び出した。
“やあやあ、皆さんこんにちは!”周樹人と留学生たちの歓声や笑い声は、汽車の汽笛にかき消された。みんな手に手を取って歩き出し、徐々に駅の出口へと移った。

清国留学生の一団が大通りを足並みをそろえて歩いている。
作品名:師恩 作家名:芹川維忠