師恩
“皆さん、ようこそ我が新聞社へいらっしゃいました!”新聞社の編集長ははじめは丁寧にあいさつしたが、話題が変わると、厳しい表情になり、“我が新聞社は政府の関係規則を掲載するのは、法律に則った行為であり、新聞社が果たすべき責務です。清国留学生の皆さんに何かお考えがあるなら、維新解明のこの時代ですから、我が国政府に直接訴えられたらよろしいでしょう――”
政府の外務官の頭目も、作り笑いで:“そうです、そうですとも!お話があるなら、ここでよく話せばいい。外であんなに騒がなければそれでいい。はは!”
陳天華は率直に意見を述べる。“なんと申したらよいか、取締の対象が我々留学生であるからには、私たちに対しても事の順序があって良いはずです。それなのに、あなた方は事前の連絡も相談もなく、突然新聞で所謂取締規則なるものを公表した。これによって私たちをどんな境地に置こうというのですか?”
外務官の頭目は、ごくりと唾を飲み込み、侮れない相手と気づいたのか、相変わらず笑顔で:“はは、誤解ですよ、誤解! 両国政府の間には、外交ルートがありまして、あなた方留学生の取締――ええと、この「取締」は貴国の漢字と同じですが、意味は違っていまして――つまりその「管轄」ですかな。政府間ではとっくに意思疎通しておりまして、協議も調印済みです!”と言いながら、そばにいた者に目配せをする。この役人は素早くその意を察し、携帯していた公文書鞄から“温泉会談紀要”の写しを取り出した。外務官の頭目は満足げにそれを受け取って、最終ページの署名捺印の目立つところを高々と掲げ、向かいの者たちにはっきり見せつけた。そして、まだ笑顔のまま、“申し訳ないですねえ、私たちの外務規律に基づいて、私は誠意を尽くしましたよ。ははは!”
向かいの席の陳天華は大いにからかわれたと感じ、不愉快な気持ちで、左右の学生代表に目配せしてそれぞれの考えを伺った。
“なんと、政府はとっくに通じ合って、協議も成立していたのか、我々など眼中になかったということか!”
“その通りだ、我々としては、道理を通さなければ……”
“そうだ!来たからには、言うべきことを言わなければ!”
“でも、上手くいくだろうか――?”
陳天華は自らの責任を果たそうと、交渉を持ちかける:“誠意ある対応を感謝します!しかし――”と言って手に持った新聞を叩いて大声で言う。“あなた方の言う取締規則によれば、我々留学生は全く身動きが取れません! 伺いますが、先ほど編集長がおっしゃられた「維新開明」はいったいどこにあるのですか?”
新聞社の編集長は唇を震わせながらも、懸命に冷静を装って“ふん、お若い方、それは違いますよ。この取締規則は清国政府が決定したものです、正確に言えば君たちのものです、わかりますか? 君たちのものですよ!”
陳天華は真っ青になり、両側の学生代表が小声でささやき合うのだけが聞こえた。“屁理屈だ、論理も何もない!”“自分の誤りを棚に上げて、なんて悪辣な了見だ!”
相手は記録用の筆を執り手元を見ながら“おやおや、交渉の場では、私語を慎んでくださいよ!”
外務官の頭目は、反対に寛容さを装ってはぐらかす。“構いませんよ、学生ですからね、まだ子供ですから……こうしませんか、貴国北京の言い方を借りれば「路は路に帰し、橋は橋に帰す」正規の道筋で事を運びましょう。 こうなったからには、我々としてもできる限り面倒を見ましょう。あなた方が自国の政府に交渉できるように。これで満足でしょう!”と言い終わると、席を立って、左右の者と顔を見合わせひそかに会心笑みを交わす。
陳天華は怒りで言葉を失い、学生の代表たちのがやがやは収まらない……
冬の日は薄暗い。吹く風に落ち葉が舞う。
「朝陽新聞」の正門の外には、清国留学生たちが絶えず集まってきている。
周樹人兄弟と許寿裳らは次々と駆け付けて、すっかり葉の落ちたアオギリの木のそばに立って仲間から情報を聞き出すなどして、新聞社の中で行われている交渉の状況に注目している……
人力車があわただしくやって来てアオギリの木の前に停まると、和服姿の秋瑾が下りてきて、落ち着いた様子であたりを見回す。周樹人たちは即座にその周りを囲み、次々と押し寄せる学生たちを遮った。
秋瑾:“このような状況には、どう対処すべきでしょうか?”
周樹人:“陳天華たちはまだ中で交渉しています。もうずいぶん経ちます!”
秋瑾:“無理な交渉をしても、良い結果は望めません。私の考えでは、ここは速やかに会館に戻り、時期を判断し情勢を推し量り、皆で知恵を出し合って、万全の策を立てなければなりません!”
周樹人:“その通りだ!新聞社の前で兵をあげて騒動を起こせば、相手に口実を与えることになる。”というや左右の者に呼びかけて“寿裳、早く行って女仁侠の言葉を伝えるんだ、皆で会館へ戻って相談しよう!作人、君はここで見張って、天華たちが出てきたらすぐこのことを伝え、一緒に会館へ戻ってくるんだ!”許寿裳と周作人はそれぞれ指図に従った。
秋瑾は安心して頼もし気に周樹人を見つめる……
(十六)
新聞社の会議室の雰囲気は突然変わって、寒々とした空気に包まれた。
会議用の長い机に向って座っていた編集長や並んでいた外務官場医務官たちはいなくなり、孔雀の羽飾りの帽子を被った清国の官僚にとって代わられた。首にかけた朝珠は、長いもの短いものがあり、それによって官位の上下がわかる。真ん中の官僚の朝珠はとても長く、その顔も間延びしている……。
机の向かい側はと言えば、一人もいない? 椅子さえも消えてしまったのか?
カメラが引くと、これらの椅子がやっと見えるが、皆遠く壁際に寄せられていた。
椅子に掛けているのは皆先ほどの清国留学生だ。相手の地位が変わって、その差が広がったので、まるで審判を受ける立場に追いやられたように、留学生の代表たちも、さっきまでの勢いを失い、意気消沈としたり、びくびくと不安そうだったり、悔しさを隠しきれない様子である……
新聞社の編集長も机の端に移り、もう一方の端には眼鏡をかけた記録係が控えている。
編集長の椅子の向きはいささかぎこちない。礼儀上清国の官僚をまっすぐ見なければならないが、公務上は学生の代表にも向かい合わなければならない。したがって斜めに座って一挙両得を図るしかない。思わぬ結果として腰椎と頸椎に負担がかかる……要するに、ただきまりが悪いだけではなく、非常に疲れることになった!
“まずは、皆さまのご来社を感謝します!”編集長はそれでも礼儀を重んじる習性は忘れないのか、もっともらしくすらすらと述べ立てる。“本社は、数十年来初めて友好隣国の官僚と民衆がここにおいて自由と平等を共に分かち合う場面を証人として見届ける幸運に恵まれました。これは前例にないことであり、報道価値の高いことでございます……”
陳天華はこれ以上我慢できず、“編集長殿、我々のこの席は平等な位置ですか? それとも、審判を受ける位置ですか?” 清国の官僚たちは顔を見合わせ、意外な反応に驚く。