短編集23(過去作品)
「実は私、ずっと前にあなたに付き合ってほしいって言われたことがあったの。あなたは覚えていないかも知れないんだけどね」
今までで一番私を驚かせた言葉だった。確かに私は覚えていないが、言われた瞬間、本当に言ったことがあるのを思い出したような気がした。
「それはいつの頃だい?」
「ずっと前よ。あなたが結構いろいろな人に声を掛けていたのも知っていたし、ちょうどその頃私も情緒不安定だったから、ひょっとしてあなたにひどいことを言ったかも知れないわ」
「でも、今は僕と一緒にいてくれるんだね」
「ええ、あの時は私もあなたも、まだ恋愛について分かっていなかったのよ。今も分かっているかどうか分からないけど、でも少なくとも今のあなたは信頼できる人よ」
「ありがとう、僕も君を大切だと思っているよ」
「きっとその言葉を待っていたのかも知れないわ。今ならハッキリ言えるわ。あなたと一緒にいないなんて信じられない。きっと後悔することになると思うの」
いつになく真剣な顔で話す逸子の表情を見つめていると、安心感が生まれてくる。それは今までの安心感とはどこか違うようで同じものではないだろうか? まるで自分の気持ちも一緒に代弁してくれているような気持ちになってくる。
「今まで一緒にいなかった時間を飛び越えたみたいだね」
「そうね、一緒にいなかったとはいえ、私の心の中にあなたはいたのよ。私がそれを感じたのは、あなたのキョトンとした顔を見た時、あれはあなたがあの時告白して、私があっさり断った時にあなたが見せた顔そのものだったのよ」
逸子をその他大勢の女性と違うと感じていたのは、逸子が私のことをずっと見ていてくれていたからだ。さりげない付き合いだからぎこちなさなどなく、素直にお互いの気持ちを受け入れられる。
私はずっと逸子に対して不安がなかったわけではない。
私より以前に逸子とずっと知り合いだった人がいて、その人の影が気になるからということだったのだ。その気持ちがあるから、何となく落ち着かなくて対人恐怖症に陥っていたのかも知れない。しかし、それがまさか過去の自分だったとは……。
店を出る時、逸子は晴れやかな顔になっている。自分の気持ちに気付いた二人、お互いにお互いを見つめ合う。キョトンとした表情が思い出させたお互いの気持ち、時間よりも深かった惹き合うお互いの気持ちの中にこそ、真実があったことを知った瞬間だったのだろう……。
気がつけば雨は上がっていた。水溜りに写るネオンサインがさわやかな風に揺れて写っていた……。
( 完 )
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次