短編集23(過去作品)
しかし、ハッキリと好きだと言われて私は少し複雑だった。もし私が逸子から同じ質問をされて、ハッキリと好きだと答えられるだろうか? 好きは好きなのだが、恋愛感情の薄い好きという気持ちをハッキリと口にできないかも知れない。
逸子はハッキリと口にした。しかも不安があるということは、完全に恋愛感情を持っている証拠ではないだろうか。私にはやはり複雑な心境である。
「不安というとどんな?」
「あなたが遠く感じてくるのよ。好きだと思えば思うほどね。そうね、遠近感がなくなって、遠くなるというよりも小さく見えてくるって感じかしら」
今の私と同じようなものだろうか? もしそうだとするならば、私の今の感情は、逸子への恋なのだろうか?
「好きだ」というにも段階があるだろう。好感が持てる「好き」から、一時でも離れるのが嫌だと思う、燃えるような思いまで……。今の私はまだ好感が持てるという感情に近いかも知れない。何しろ「恋人未満」という思いが頭の奥にはあり、あくまでも至ることのない、「未満」なのだ。それが私を包む切ない想いとなっているに違いない。
恋愛というものにはいくつかの段階があり、それに伴った節目があるものだ。それが無意識のものであったり、意識しなければ訪れないものであったり、意識しないと何もなかったかのように通り過ぎるものだったりするのだろう。何もなかったように通り過ぎても、そこは潜在意識が働いて、自分の性格によって導かれる方へと、無意識に向かっているに違いない。
男にとっては、無意識というのが多いかも知れない。女性は理想を求めるあまり、しっかり意識して行動し、意外と計算高かったりする。それだけに熱しやすく冷めやすいところがあり、主導権を握られっぱなしということもあるだろう。すべての女性に言えるわけではなく、男性との相性によっても変わってくることなので一概には言えないが、少なくとも、一般論として私が認識している女性像である。
その点、私は相手のことを先に考えてしまい、相手が考えていることを探ろうとする。そのために嫌いなタイプの女性はすぐに分かり、考えれば考えるほど、情けなくなることもあった。そんな時の私は客観的に見つめる自分になっていて、傍観を決め込んでいるかも知れない。相手の女性は抜け殻の私に一生懸命に話そうとするが、キョトンとしている私に気付いていない。実に滑稽である。
私が告白してすぐに断られることの多かった学生時代に、そのことが分かっていれば、もっと相手の顔を観察しただろう。そして相手の心ここにあらずという表情に気付いていたかも知れない。そんな表情が自分にもあるのだと思うと、実に皮肉な思いである。
「不安になるとは、どんな時だい?」
「あなたがキョトンとした顔をした時、あなたがそこにいないような気がして、一生懸命に探しているの。でもね、そんな自分を見ていると、きっとあなたのことをいつも探しているんじゃないかな? って思ってしまうのよ」
聞きようによっては、逸子からの告白のようにも聞こえる。私はドキリとしていた。
そんな逸子の表情は子供のようで、可愛いという言葉がピッタリだ。
私を一生懸命に探している逸子の姿を思い浮かべることができる。妄想なのだが、しかし目を瞑れば自然に映像となって見えてくるのだ。それも鮮明にである。ごく最近、夢で見たのではないかと思えるほどで、夢というものが目が覚めると消えてしまうものではなく、頭の奥に封印されるのだということを再認識できる。
暗い世界の中で、どこから漏れてくるのか分からない明かりがあり、シルエットのように逸子を浮かび上がらせている。テレビで見る夢のシーンが、潜在意識を映像にしてくれるのだろう。最初は顔も確認できない。
逸子にとって私とは、私にとって逸子とは何なのだろう?
逸子の前に現われた、付き合いたいという男性の出現が私にそのことを気付かせてくれるような気がする。今まで焦りなどなく、そばにいるだけで安心していたつもりだったのだが、本当に安心していたのだろうか?
どこか自分の中で、勝手に納得させていたところがなかったとは言えない。一緒にいるだけで満足するなどということは今までにはなかったからだ。とにかく結論を急いで、ダメなら仕方がないと割り切るところがあった私である。割り切っているつもりで割り切れるものでもなかったのにである。
きっと焦っていたのだろう。その焦りがどこから来るものか、ずっと分からないでいたこともその理由のひとつである。
そんな時に知り合った逸子だった。だが、最初に焦りを感じさせないような考えに至ったのは、皮肉にも逸子のキョトンとした表情を見た時である。何を考えているか分からなくて、ジックリと見つめるのだが、見つめているたびに安心してくるのだ。それは、ずっと前から逸子と知り合いだったように思えることで、遠い昔に好きだった女の子の表情を思い起こさせる。
逸子も前から知り合いだったような印象を持ってくれているということは、同じようにキョトンとした表情をその時逸子に見せているのだろう。
女性は思いこむまでに、いろいろ自問自答を繰り返しながら試行錯誤の中、ひとつの答えを見つけていくものだと思っている。最初はなかなか心を開かなくて、男の側から積極的に見えても、いきなり気持ちが盛り上がることもある。逸子にはそんなところがなかった。ずっと落ち着いていて、私よりも落ち着いて見えるくらいである。それはきっと、お互いに何でも話ができる相手だと思っているからであろう。
そんな相手を捜し求めていたような気がする、気持ちに余裕の持てる付き合い方、そんな付き合い方に憧れていたのだ。確かに一気に燃え上がるような恋もいいのだが、自分を見失ってしまうのが怖い私としては、どうにも信じられない。それが知らず知らずのうちに逸子に惹かれていた理由かも知れない。
私の今の気持ちは後悔をしたくないと思う感情が強い。それはすぐに告白をして玉砕していた頃と少し違うかも知れない。
――失いたくない――
という思いがある限り、後悔することはないだろう。
「あなたはあまり人に気を遣っていないと思っていることが気を遣っている証拠なのよ。それが私にはよく分かる。だからあなたには何でも話せるのね」
「そうなのかな?」
言いたいことが少しずつ分かってくるのだが、いちいち確かめてみたくもなる。
「そして何よりも、あなたのことをずっと前から知っていたような気がすることから、あなたに惹かれるのかも知れないわ」
初めて私に対しての気持ちをハッキリ口にした瞬間だった。その言葉をずっと待っていたように思う。それは付き合い始めてからではなく、そのまだずっと以前からのことである。
言葉を一言一言かみ締めながら聞いている。
前から知り合いだったと思えるということ、これが私にとって一番心に響いたことだった。心の中に鐘があるとすれば、その鐘を鳴らす言葉であっただろう。そしてその鐘が呼び起こす私の記憶、それが逸子のキョトンとした表情だったのだ。懐かしさを含んだ顔、知り合う前から頭に浮かんでいた顔、知り合うべくして知り合ったのだ。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次