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短編集23(過去作品)

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 私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。逸子に対しては紳士であると思っていただけに、戒めを受けるなど考えたこともなく、しかもそれが無言であったこと、そして初めて私に浴びせた哀れみの表情、今までなら信じられないことだ。何が何か分からなくなるほど気が動転したのも仕方のないことだ。
 だが、次第に頭が冷えてきて冷静に考えられるようになると、そこには母親のような温もりを持った逸子がいたのだ。何も考えなくとも暖かく包んでくれる。触れるか触れないかの心地よさが逸子にはある。全身の毛が逆立つような興奮さえさりげなく感じることができそうだった。
 それからだったろう、今まで無意識な計算をしていた私が逸子に対してだけしなくなったのである。
 自分に集中力が欠けていることを気にし始めた時、逸子に相談したことがあった。それまでは、誰にも言わずにいたことだったが、逸子にだけは何でもいえるようになったのだ。
 逸子に対して紳士であることを身上としていた私としては、逸子が何でも相談できる相手になるなど考えてもいなかった。気持ちに余裕のできることがこれほど自分を気を楽にしてくれるかということを、初めて知ったのだ。
 きっと逸子といる時に何かすれ違いのようなものがあったとしたら、まず自分に原因があるのではないかと考える。信頼関係があればこその思いである。
 それでも、なかなか整理整頓ができていない私だったが、逸子が来てくれた時は部屋の中がきれいになる。黙って掃除や炊事、洗濯までしてくれるからだ。元々好きじゃないとできないことだと思うが、それにしても手際の良さにはいつも驚かされる。
「たまには掃除もしなさいよ」
 きつく言われると反発心が芽生えてくる私の性格を知っているからか、たまにしか言わない。少しきつめだが、逸子に言われると神妙になってしまう自分がいじらしくもあった。
 お互いがお互いを補えあえるような付き合いを理想としているような気がする。逸子にそれを求めた私だから、
――友達以上、恋人未満――
 だと思っているのだろう。
「どんな男なんだ?」
 聞きながら、逸子の顔を垣間見る。言ってしまったことを後悔しているのだろうか? 顔が赤くなっていて、モジモジしている。そんな逸子の姿など、今までに見たことはなかった。
「うん、何て言ったらいいんだろう? あなたとは少し違うタイプの男性ね」
 私と違うということは、新鮮だと言いたいのだろうか?
「好きなのかい?」
 核心からいきなり切り出してみた。
「好きとか嫌いとかじゃないの。なぜあなたに話そうと思ったのか分からないけど、とにかく聞いてほしかったのね。あなたは、何でも相談できる人だから……」
 その言葉の裏には、私を恋人として見ていないということが含まれている。もちろん私もそうなので、当然といえば当然だが、少なからずのショックがあった。心の底で一縷の望みのようなものがあったのだということを、今さらながら思い知らされたのだ。
「僕がどんな男か見てあげようか?」
 その時の逸子の驚いた顔は、今までに見たことのないものだった。きっと逸子の想像した返事とはかなりかけ離れたものだったに違いない。私はその時の自分の表情も鏡があれば見てみたいと思った。私の言葉に驚いたのか、表情に驚いたのか、どちらか分からなかったからである。
 逸子の目は私の瞳を捉えている。逸子の瞳に写った私の姿、自分で見ることができるが、今までに自分の姿が見えるほどに、相手の瞳を凝視したことなどなかった。趣味の話などで盛り上がり、真剣に話すことはあったが、そこまで必死に話すことはなかったのだ。
 一所懸命に話していると、
「そんなに怒るなよ。いったい何に怒ってるんだ?」
 とよく言われる。
「別に怒ってなんかいないよ」
 というが、中には露骨に嫌な顔をするやつもいる。
 きっと自分の中で勝手に熱くなって、声に出る抑揚が怒っているように聞こえるのだろう。私の性格を知っているやつは一緒になって熱くなって話を続けてくれるが、知らないやつはそこで話を区切ってしまう。
 かと思えば、
「お前はいつも冷静だな」
 と言われることもある。自分の興味のない話には相槌を打つだけで、自分の意見をほとんど言わないからだろう。下手なことを言って、心象を悪くしたくないという思いと、知らないことに口を出す資格がないという思いが交差しているからだ。
 逸子に対しては、冷静に見ている自分を感じる。私の場合、相手がよほど熱くなるか、冷静でいる時、冷静な自分が出てくるのだ。知らない人から見れば、殻に閉じこもって見えるに違いない。
 しばらく口を真一文字に結び、俯き加減で考えていた逸子だったが、意を決したかのように顔を上げると、
「そうね、あなたに見てもらいたいわ」
 と言いながら私の瞳をこれ以上ないというほどに、カッと見開いて見つめるのだ。
 その言葉の裏には、
「彼は君には似合わない」
 という一言がほしいのではないかという思いもある。あまり逸子の言葉の裏を読むことをしない私は、気がつけば額から流れ出る汗を拭っていた。息も荒くなっていて、冷静でいるつもりなのだが、そこまで冷静でいられるのだろう。それは逸子も同じことのようで、お互いに相手の息遣いを感じているかも知れない。
 私は初めて逸子との距離を感じた。今まではそばにいて当たり前、お互いに会いたい時にはいつでも会えるという気持ちがあったが、目を見る限り今までにない距離を感じる。この距離は逸子に告白する男が現われたことによって生じた距離ではない。見つめ合っている中で感じる距離というのもあるもので、それが次第に遠くなっていくように感じるのだ。
 瞳に写った自分の姿が次第に小さくなっていく。それに伴って逸子の瞳、顔、気持ちと徐々に小さくなっていき、見えないところまで行き着きそうな気がしているのだ。
「逸子」
 発声とまでならない声を発し、伸ばした手が余計に届かない距離を浮き上がらせているようにみえる。
「逸子……」
 もう一度叫んでいた。今度は自分の中でも名前を呼んだという意識があり、言葉の余韻が残った。
 きっと声になっていないだろう。逸子は私の声に気付いただろうか? 遠く感じる逸子に聞こえるはずのない叫びを心の中であげた私は、目の前から遠ざかって見える以上に逸子に距離を感じ始めているのかも知れない。
 遠ざかる前にと思い、私は思い切って口を開いた。そして出てきた言葉に自分自身驚いてしまった。
「逸子は僕のことが好きなのかい?」
「ええ、好きよ。でもね、そう考えると不安なの。だからね、なるべく考えないようにしている」
 私もそうである。好きだという意識を持つと、さりげなさが薄れていき、話のきっかけすら分からなくなりそうで怖い。そんな時に無口になってしまったら、きっと息が詰まるほどの切なさを感じてしまう。私がいきなり聞いた「好きか」ということに、素直に「好き」と言ってくれたことは嬉しかった。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次