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短編集23(過去作品)

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 社会に出て、余計なことを考えてしまう原因が分かったような気がした。
 小さい頃から親や先生言われていたことなのだが、これがまさか影響しているなど考えもしなかったので、そこまで気付かなかったのである。集中力が欠如するのは、きっと自分が頭の中が整理できていないからだろう。元々整理整頓には無頓着で、散らかっていても気にならない。いや、綺麗に整理された部屋ほど、却って落ち着かないと思っていたくらいであった。
「大人になってから、そんなことじゃあ困るわよ」
 口が酸っぱくなるほど親からは言われていた。しかも遠慮気味ではあったが、先生からの連絡票に、
「もっと整理整頓をしましょう」
 などと書かれているから大変、
「あなた、こんなこと書かれて恥ずかしくないの? あんた親の顔に泥を塗る気? あれだけいつもいってるでしょう。整理整頓しなさいって」
 親からすれば、自分たちの立場が大切だという言い方になってしまう。子供心に、その理不尽さが分かるのか、いくら正しいことを言っているのが分かったとしても、
――意地でも言うことを聞くもんか――
 と、こうなるのも仕方ないことだと思っていた。
 しかも整理整頓するとしても何から手をつけていいか分からないので、結局そのままにしてしまう。あまりいい傾向とはいえないだろう。特に人に聞けることでもなく、自分の意地を通すことを正当化するのだ。
 そこまで考えてくると、逸子の気持ちが分かったと思っていた自分の考えが信じられなくなった。逸子の気持ちが決まっていると思えば思うほど、自分の中で考えが纏まらなくなっている。
 今までの逸子だったら、私にそんなことを相談するだろうか?
 逸子のそばには自分だけがいるんだという自負のようなものがあったから、恋人と思わなくてもよかったのだ。そこに他人が踏み込んでこようなどと考えたこともなかったから落ち着いていられたのだが、ひょっとして心の奥では予期していたことかも知れない。それだけに、パニックになってしまっているのだろう。
 最近の対人恐怖症の原因はそのあたりにもあるのかも知れない。心の奥では納得しながら、それだけに許せないということもあるだろう。皆文句を言いたいのだろうが、下手に注意しようものなら逆ギレされて、何をされるか分からないと思う。誰にも注意されないと思うのと、自分だけがしているんじゃないという集団意識が働いて、マナーを守らない連中のしたい放題になっている。実に嘆かわしいことだが、それが現実である。
 悲しい現実を目の当たりにして、何もできない自分が歯がゆく、注意できないのであれば、近づきたくないという思いが大きくなってきて、結局誰に対してでも、色眼鏡を使うようになる。嘆かわしいことだ。
 自分の心の奥を覗くこと、これほど嫌なことはない。集中力を欠く余計なこととは、ひょっとして自分の心の奥底を覗いているのではないかと思うようになったのもごく最近のことである。
 大切なことなのかも知れないが、怖いと思うあまり、どうしても一歩踏み込むことができない。そんな思いを逸子に対して抱いていたから、彼女にしたいと思わないのだろう。しかし、逸子と一緒にいて気持ちが燃え上がってこないのも事実で、それが怖がっていることにつながるのだ。
 逸子に感じる怖さとは、対人恐怖症の怖さとはまったく違うものだ。失いたくないという思い、それが逸子に対しての思いなのだ。もちろん、その他大勢という目で見ているのなら失いたくないなどと思うはずもなく、余計な感情が入り込む余地もないはずだ。
 そこまで分かっているのに、自分が分からなくなっているのである。逸子に対して感じる懐かしさが前面に出てくるのだ。いったい何が懐かしいというのだろう? そばにいてただ見ているだけでもいいような時もあるくらいで、そんな時は決まって気持ちに余裕のある時だった。
 小学生の頃から算数が好きで、物事をすべて割り切って考えようとする癖のようなものが私にはある。どうしても損得勘定がすぐに頭に浮かんできて、お金を使うのでも、損得勘定抜きには考えられないようになっていた。
 逸子と一緒にいる時にはそんな感情はあまりない。恋人同士でもないのからワリカンでいいはずなのに、ついつい自分からお金を出しているのだ。
 恋人であっても、大体デート費用は計算して使うであろうから、予定以上のお金を使ってしまえば、きっと後悔するだろう。後悔をしたくない私にとって、それは自己嫌悪に陥る要因になってしまうかも知れない。
「反省はするが、後悔などしたくない」
 といっていた友達がいた。まさしくそのとおりで、友達のそのセリフを聞いたことで、自分が後悔を最も嫌う性格だということに気が付いたといっても過言ではない。
 逸子といる時の心地よさは“さりげなさ”から繋がってくるものだ。気づかなければ、ただのそよ風のように通り過ぎるだけだろう。しかし、心地よさとして認識できることで、他の人との空気の違いを感じるのだ。
 逸子独特の匂いというのも感じることができる。軽い香りは、乳製品のような甘さを含んでいて、それが懐かしさを運んでくる。小さい頃に母親に感じた香りに近いものがあることから、母親のような包容力も感じる。逸子を恋人として見れない理由の一つに、母親のような魅力を感じるからである。
 従順で、あまり私に逆らわない逸子だったが、一度私を怒ったことがあった。約束していた時間に初めて遅刻した時であって、それは後にも先にもその時だけだった。逸子が前から欲しがっていたものを買うために、少し遠くまで行かなければならず、そのために遅れてしまったのだ。本当なら、理由を説明しておけば問題なかったのだろうが、喜ぶ顔が見たい一心で、悪いとは思いながら、遅刻したのである。
 最初は少し声のトーンをあげて私を怒った。
「どうして、あなたは、遅れたの?」
 そういって怒られた時、私は黙ってプレゼントを渡した。きっと喜んでくれると思いながらである。しかし逸子は喜ぶどころか、悲しそうな顔をするのだ。なぜそんな顔になるのか、その理由が分からなかった。
 怒っているのなら、罵声を浴びせられる方がまだマシだった。黙って悲しい顔をされると、どうしていいのか分からなくなってしまう。しばらく重たくなった空気に窒息しそうになりながら、胸の鼓動だけを感じていた。耳鳴りのように響いていたのである。
 何が何だか分からなくなっていて、どうして怒るのかということも、そんなに悲しそうな顔をするのかということも一生懸命に考えていた。悲しそうな顔というのは、相手を哀れんでいるような目で、今までの逸子からは信じられない表情だった。
 逸子は自分のことよりもまわりのことを気にする女性であった。その時の私は、
――逸子の喜ぶ顔が見たい――
 ただその一心だけだった。そのためにまわりのことや彼女の立場など考えることもなく、自分の考えが正しいと思い込んでいたのだ。そのことに気づかない私に逸子は悲しい顔を向けたのだろう。
 戒めだとは最初から感じていなかった。だがその理由が分かった時、私は初めて逸子の無言の戒めを感じたのだ。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次