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短編集23(過去作品)

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 紳士的な振る舞いができた理由は、きっと逸子のことがよく分かっていて、自分の考えている逸子の行動パターンにそれほどの違いがなかったからであろう。なぜなら逸子は私の感情を逆なでするような行動がなく、いつも私の後ろについていてくれるようなそんな女性である。彼女にしたいと思う感情がないのが不思議なくらいだった。
 逸子も私のことが手に取りように分かると言っていたことがあった。他の人が分かるのだから逸子に分かっても当然だと思っていたが、それを言うと、なぜか寂しそうな顔をしていた。
 私が逸子を他の人と同じように見ていたことが寂しかったのかも知れない。決して私を恋人という目で見ない逸子であったが、その他大勢として見られることを嫌っている。それが寂しそうな顔をする時の本心なのだろう。
 逸子は私を独占したいのだろうか?
 独占したいなら恋人として見るだろう。独占したいくせに恋人として扱ってくれないのはただ相手を束縛したいだけのように思えるのだが、逸子に限っては束縛されているなど感じたことはない。
 私は会いたいから会うのだ。それだけのことである。
 いつもの喫茶店に入り、いつもの席に座る。スローモーションのように腰を下ろす逸子を見ていると、思わず表情を見つめている自分に気付く。少し寂しげな表情は相変わらずで、目の焦点が合っていないように見えるのは気のせいだろうか?
 しかし虚ろに見える目も腰を下ろすまでで、お互いに座って目と目が合えば、私を見つめていていた。ホッと胸を撫で下ろしたような気分になるが、逸子はすぐに上着を脱ぎながら私から視線を逸らし、そして再度こちらを向いた時に、余裕のある顔に戻っていたのである。
 だが、それはいつもの逸子の表情とは少し違っていた。何かを言いたい表情になっていることに気付いた時、私は逸子の顔から目が離せなくなっていた。
 思わず私は目を逸らした。唇をかみ締め、目は完全に下を向いてしまっている。何か悪いことをして母親に叱られた時の子供の顔になっていたことだろう。
 次の瞬間、逸子の目つきが変わった。
「私、今ね、ある人からお付き合いしてほしいって言われてるの」
 とまで言って言葉を区切ったが、意を決したような視線になっているのに最初から気付いていたのかも知れないとその時に感じた。
 私にとって逸子は、その他大勢ではない。女性の友達も多いが、その中でも逸子は特別だった。
――友達以上、恋人未満――
 という言葉が似合うのか、それより、
――限りなく恋人に近い友達――
 と言った方がいいのだろうか? 恋人未満であって、決して恋人にはなれないという意味で限りなく恋人に近いのだ。
 その他大勢という言葉が頭をよぎる。特別な人である逸子は、私にとって「大切な人」なのだ。その逸子から、自分以外に特別になってしまうかも知れない人が現われたことを告げられたのである。どういうリアクションをとっていいのか分からない。
 苛立ちのようなものを感じた。それが誰に対してのものだか分からなかったが、きっと逸子を恋人として考えられなかった自分に苛立っているのだと思う。自分が煮え切らないから、横から現われた積極的な男に、さっさと奪われてしまうといった、そんな発想をしなければならない自分が嫌なのだ。ひょっとして逸子は私が付き合ってほしいという言葉を待っていたのかも知れない。
 もしそうだとすれば、何と私は愚かな男なのだろう。いや、その前に本当に私は逸子のことを好きなのだろうか? いきなりライバルの出現で舞い上がってしまっているだけではないのだろうか? 自分でも分からない。
 逸子の言葉が嘘であってほしいと思うのは、自分が最初から逃げ腰だからだろうか?
逸子という女性を知っているようで、よくよく考えると何も知らない。このことを私に告げたのだって、ひょっとして私の気持ちを探ろうとする意志があるのか、それとも、ただの友達として相談を持ちかけただけなのか。そこまで見抜く力のない自分に苛立ちを覚えている。
「逸子、君は何だって私にそれを言うんだい? 君は自分ではどう考えているんだい?」
 そんな私の言葉に怯むことなく、
「あなたに相談するといい結論が出そうな気がしたの」
 という、その言葉を聞いた時、
――逸子の気持ちは決まっているんだ――
 と思った。私に相談したのは、やはり私の気持ちを確かめたいからなのだ。そうでなければ、まともに目を見て言える言葉ではないような気がする。
 だが、いきなりの結論はとても危険な気がした。思い込みが激しいのも私の悪いくせで、なるべく平静を装っているように心掛けているのも、思い込みから状況判断を失うのが怖いからである。逸子に対してもなるべく思い込みを少なくして、見たこと聞いたことをそのまま鵜呑みにしないようにと思ってきたのだ。
 しかも元々がすぐ顔に出るタイプである。相手の気持ちを確かめる前にすべてを見透かされないようにしようと考えるようになるのも仕方ないことで、自分なりに無理をしているのかも知れない。
 いろいろなことを考えているうちに、結局自分の考えが纏まらないことに気がついた。袋小路に入り込んでしまい。纏めようとすると、結局また最初のところに戻ってきてしまう。
 これも私の悪いところだ。考えすぎるのかも知れない。それとも、雑念が入りすぎて、自分で意見を纏められないまま、また次のことを考えているのだろうか?
 学生の頃から感じていたのは、自分が忘れっぽい性格であるということだった。特に人の顔を覚えるのは大の苦手、よく営業が勤まっていると思うくらいである。
 最近特に人の顔はおろか、時間の感覚まで麻痺していて、何かあってもいつのことだったかをすっかり忘れていたりする。ついさっき考えていたことまで忘れている始末で、病気ではないかと悩んだこともあった。
 メモを持ち歩いていて、メモをするのだが、それでもその時の心境が思い出せない。何を思って書いたのか、それを思い出せなければ埒があかない。
 余計なことを考えてしまうのではないかというのが自分なりの結論である。集中しているつもりでも余計なことを考えているために、しっかり記憶として残らないのだ。頭の奥に残っていたとしても、思い出そうとする時に他の余計なことが頭に残っているので、引き出すことができないのだろう。
 皮肉なのはその余計なことが記憶にないのである。きっと覚えなければならない記憶を消してしまうのだから、それなりにインパクトのあることなのだと思うだけに実に口惜しい。
 覚えようとするあまり、頭に血が昇って、却って焦ってしまって覚えきれないのではないかと考えたこともあった。焦りがあるのは、やはり何か余計なことを考えているという自覚があるからかも知れない。集中すれば覚えられないわけがないと思っているからで、まだ二十歳代やそこらで、記憶がしょっちゅう飛ぶというのも考えにくい。
 そういえば学生時代など試験前というと、勉強が手につかないことがあった。なぜなのか最初は分からなかったが、余計なことを考えていることが多かったからだ。それに気がついた時、なぜか音楽が頭から離れなくなり、リズムをとることで何とか勉強が進んだものだ。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次