短編集23(過去作品)
しかし、一縷の望みがないわけではない。運命の出会いなるものはどこに転がっているか分からないというのが私の持論である。そんなことを考えているから、思わず苦笑してしまったのだろう。
苦笑している自分の顔がなぜか思い浮かぶ。
あまり私は鏡を見ない方た。それは学生時代までのことで、就職してから鏡を見る癖がついてしまった。ネクタイの具合や、着こなしなどを気にしてのことだったが、そのうちに自分の表情も気にするようになっていた。
別にナルシストというわけではない。今まで自分の顔を想像したこともなかったのだが、相手の心を読むためには、己を知らなければという気持ちになったのは、やはりプロジェクトの仕事に入ってからであろう。それまでは気にしたことなかった自分の顔だが、一度気にし始めると、ずっと気になっているものである。
学生時代は自分の顔が嫌いだった。特に小学生の頃から中学になるまで、鏡を見るのさえ嫌な時期があったくらいだ。
少し大人びたい自分がいる。しかし親や、まわりの大人たちの言いなりになって生活している自分が嫌で嫌で仕方がなかったのだ。
「大人しくて、聞き分けのいい子」
というイメージだったのだ。
子供心に、
――大人のあやつり人形――
とまで思っていた自分が好きになれるはずもない。
子供の頃から私は、どちらかというと打算的なところがあったのかも知れない。まわりから、
――よく見られたい――
と思っているのも、計算ずくだったような気がして、損得勘定にすぐ頭を切り替える自分が嫌であったにもかかわらず、何も考えていないように見えるまわりの友達とくらべ、
――俺はお前たちとは違うんだ――
と、もう一人の自分がほくそえんでいるのを感じていた。
私にとっての少年時代は、自分では消してしまいたいくらいのだった。思い出したくないにもかかわらず、なぜか夢はその頃のことが一番多い。
――何か忘れてきたのだろうか?
そんな感情さえ浮かんでくる。
「もう一度人生をやり直せるとしたら……」
そういうキャッチフレーズのCMを見たことがある。それも考え方が二つだろう。
まず、「どんな人生にしたいか」ということであるが、こちらはある意味漠然としていて発想が浮かんでこない。「生まれ変われれば」というニュアンスの方が強いからである。
もうひとつの方は、「どこからやり直せばいいか」ということで、こちらの方がまだ考え方としてはしっくりくるのではないだろうか。私は最初にこのCMを聞いた時に感じたのは後者の方で、迷わず、
――小学生からやり直したい――
と感じたものである。
もちろん、やり直してもまた同じような人生を歩むかも知れない。きっと人生にはいくつかの節目があって、そのターニング・ポイントを掴んでいなければ、また同じことを繰り返すものなのかも知れない。小学生を最初からからやり直すとしても、それが最初のターニング。ポイントを自らで変えられなければ、人生を変えるなどできっこないのだ。
また、そこで人生が変わってしまうと、それ以降のターニング・ポイントも違ってくるであろう。今までの中には自分のためになってきたターニング・ポイントもあったはずなにに、人生を変えることでそのポイントを逃してしまうのも辛いことだ。
もし、自分でそれを意識していなければいいのかも知れないが、少なくとも今そのことを感じている私に、人生をやり直す勇気はない。
たった一冊の文庫本を読みながらでも、それだけのことを想像していた。もちろん、本の内容はまったく違うもので、読みながらの私の発想なのだが、それも喫茶店といういつもと違う環境での読書が、発想を豊かにしたのかも知れない。
本は読みながら気がつけば主人公に自分を置き換えていて、他のことを考えているなど希であった。それだけに、今日は何かいつもと違う心境だと、最初から感じていた気がする。
「あの、こちらよろしいですか?」
「えっ、あ、どうぞ」
首の疲れを感じ、一瞬顔を上げた時だった。それを待っていたかのように、目の前に立っている女性が私に話しかけてきたのだ。
――私が顔を上げるまで待っていたのだろうか?
それほどタイミング的には、バッチリだった。目が合う前から、相手の気持ちが分かってしまったような気がするのは、後から考えてのことだった。
あたりを見渡してみる。無意識の行動だったのだが、よく見ると、窓際の席にこだわらなければ他の席は空いている。しかも窓際の席でも合席できるところは他にもあった。
「失礼します」
そういって座るなり、ロータリーを見渡している。人探しだろうか?
私は顔を彼女に向けたままジッと見ていたが、その表情はハトが豆鉄砲を食らったように、半分口をポカンと開けたような状態だったかも知れない。
そんな彼女に話しかけるわけもいかず、さらには表を見ている彼女と一緒に表を見るもの、何となく恥ずかしい気がした。とりあえず、先ほどの本の続きを読んでいるのだが、目の前の彼女のことが少し気になり始めたのか、集中して読むことができなくなった。
白いワンピースが似合っている。表が暗いせいもあって、明かりの目立つ店内に、さらに彼女の白は映えていた。
先ほど感じた少し暗めだと思っていたことは、彼女の出現で完全に解消された。表を見つめる横顔を見ていると少し潤んで見える眼差しに、一瞬釘付けになりそうな予感すらあった。
チラッとではあるが、私も表を気にして見ている。相変わらずまだこの時間は乗降客も多く、駅構内から電車が到着するとドッと人がはじき出されてくる。
――まるでところてんのようだ――
実際にところてんを作っているところを見たことがあるが、本当にねじり出されるという表現がピッタリである。しかし、木の筒に濡れたところてんが搾り出されるのを見ると気分的に涼しく感じ、「納涼」という言葉と、「氷」という旗を思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。
最近は暑さも増してきて、ところどころで聞かれるようになった「納涼」という言葉、浴衣に花火の時期ももうすぐである。
「ふぅ」
女性が溜息をついたような気がした。ハッキリと声が聞こえてきたような気がするのだが、あまりの一瞬だったため、本当なのか信じられない。表を見ていた彼女は、もう表を見ていない。すでに運ばれていたアイスコーヒーにガムシロップを浮かべ、ストローをつきたてる。美味しそうに飲んでいる姿は、完全にアイスコーヒーに集中していることを示していた。
「ふぅ」
もう一度溜息をついた。しかし今度の溜息は、アイスコーヒーを堪能しての溜息ではあるまいか。一息ついて目を見開いたかと思うと、気持ちよさそうにアイスコーヒーをすすっている。
片肘をついて、ストローを弄んでいる。どこかの本で読んだことがあるが、女性であれば欲求不満の現れだというようなことを書いてあった。
「待ち人来たらず」
これが今の欲求不満である彼女の心境なのかも知れない。
とすると相手は男だろう。勝手な想像ではあるが、それも友達以上の相手……。ただの待ちぼうけであれば、溜息では済まないはずだ。少なくとも、じっと見ていてイライラが感じられないからである。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次