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短編集23(過去作品)

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 そう考えると、まるでパラドックスのようである。気付かなければ気付かないまでも自分が知らないだけで術中に嵌まっているかも知れない。だが、気付いてしまったから感じることであって、気付かない時にも自分にとって不吉なことが起こるとするならば、それは「知らぬが仏」である。
 では、一体何が自分にとって不吉なことなのだろう? 気付かないだけで通り過ぎてしまえばそれでいいのかも知れないが、本当にそうなのだろうか?
――夢なんて所詮いい加減なもの――
 として割り切れるかどうかだけではないだろうか?

 あれは私の癖が幸いして、いや災いした時のことであった。
 その日の私は時間的には余裕があったにも関わらず、精神的にはイライラしていた。いつもであれば精神的にイライラしている時というのは時間的にも追い詰められていたりすることが多く、逆に時間的なことさえ解決すれば、精神的なことも解決するタイプだった。
 変な正義感を感じる時以外の私は、どちらかというとあまり細かいことを気にするタイプではない。それだけに友達からの信頼も厚く、また女性とも付き合い始めは印象がよかったりするのだ。
「お前の一番いいところは、変な先入観がないところかも知れないな」
 よく話をする友達はそう言っている。私も自分のことをそう思っているので、自己分析に間違いないことを自覚できる。
「だから、いつも相談役になるんだろうな。だがな、気をつけないと『いい人』だけで終わってしまうぞ」
 それは私も熟知していた。女性と付き合って、いつも一定の時期で別れることになるのは、
「あなたを友達以上に思うことはできないの」
 と言われ、
「どうしてなんだい?」
 言われる答えは分かっていながら聞いてみると、
「何となく重荷に感じるの」
 と、予想したとおりの答えが返ってくる。
 私から言わせれば、
「最初に私を本気にさせたのは君たちじゃないか」
 と言いたい言葉をグッと堪えるしかないではないか。あまり最初から乗り気でなかった私に中途半端な優しさを示し、私をその気にさせて、私がその気になったら、
「重荷に感じるの」
 それでは、あまりにも私が可愛そうだ。完全に悲劇のヒーローを感じている。気持ちを置き去りにされた惨めな悲劇のヒーローである。
 だがこれはあくまで私の私見である。まわりがどう思っているか分からない。だから、逆にあまり深く考えないようにもしている。
 それがいいのか悪いのか分からないが、そのため一時期だけ少し落ち込んでも立ち直りが早い方だった。
「お前が羨ましいよ」
 失恋したら半年近くも悩むようなやつが私のまわりには数人いる。きっと真面目な性格なのだろう。そんな連中は決まって、
「出口のない袋小路に迷い込んだみたいなんだ。気がつけばいつも同じ事を考えている」
 という。それが本音なのだろう。
 そんな私がその日は失恋したわけでもないのに、珍しく精神的にイライラしていながら、時間的に余裕だけはあったのだ。
――時間が経つのがこんなに遅いなんて――
 こんな感覚は久しぶりであった。
 季節は暑い夏が終わり、半袖から長袖へと変わりかける十月上旬のことであった。夕方になるとあっという間に日が暮れるのが分かり始める頃、朝晩の気温の変化を一番感じる時期であった。
 営業が終わり、私は直帰しようとしていた時のことである。
 本当なら会社に戻っても、まだ終礼に間に合うくらいなのだが、中途半端に戻るくらいなら直帰ができるのが営業の役得というものだ。
 その時間までは精神的にまだ余裕があった。
 精神的に余裕がある時、特に最近のことなのだが、急に目の前に浮かぶ光景がある。
 その光景は毎日見ているものなのだが、ほとんど漠然としてしか見ていない。なぜならば、猛スピードで走る電車の窓から垣間見る光景で、しかも毎日見る同じ光景なので、私の中ではマンネリ化した中の一つでしかなかった。
 それは赤い屋根の工場みたいなところである。それほど大きな工場ではなく、個人経営の日配関係の食品加工場のように見える。きっと豆腐屋さんか、納豆工場のようなものではないだろうか。あくまでも私の想像に過ぎないのだが……。
――なぜその場所だけが目に浮かぶのだろう――
 私としては不思議で仕方がない。場所的には都会でも、それほどのど田舎でもない中途半端なところで、他にはこれといった特徴のない場所である。それよりももっと都会には雑踏の中に目敏いところがいっぱいあるではないか。漠然と動く車内を横目に走り去る時の光景を気がついたら思い浮かべているのである。
 そこに何かがあるのだろうか?
 昔住んでいたということもない。友達が住んでいて遊んだことがあるというのでもない。何しろ頭の中に浮かんでくるのは間違いなく車窓からの動いている景色、静止した景色ではないのだ。
 そういえば時々考えるのだが、
――もし、この景色を止まって見るとしたら、どのように私の目に写るのだろう――
 走り去る景色と比べて大きく見えるのだろうか、それとも小さく見えるのだろうか?
 はたまた、色は鮮やかに見えるのか、それとも褪せて見えるのか、などと考える。
 特に電車の中から見ていて鮮やかに見える赤である。降りて見たらきっともっと鮮やかではないかと感じるのも無理のないことだろう。
 工場のすぐ横に流れている川が、朝日に照らされて光って見える。それが屋根の赤をさらに鮮やかにさせているような気がしてならない。
 喫茶店で私が読んでいる本の内容は、ちょうど同じように、思い浮かぶ光景が瞼に残ってしまい。それが気になってどうしようもないという主人公の心境に差し掛かっていた。
――本の世界に入り込んでいるのかな?
 と感じたが、本の主人公も私と同じように瞼に残っている光景があるのだった。しかもカバーに書いてあった内容を見ると、主人公が普段感じている内容が後半のストーリーを暗示させる重要な内容であると書いていた。
 主人公に自分をダブらせて本を読むことは私の読書の仕方でもあり、その方がより自分の世界を作り出すことができる。
――小説というのは人間物語だ――
 という内容の本を読んだことがある。エッセイなどのノンフィクションと違い、小説は作者が自分の中だけで作り上げる世界なので、どうしても他の人が馴染めるようにするには、ヒューマンタッチな物語にしないと読者を掴むことができないと書いてあった。
 それからの私は本を読む時は、人間個人や、人間関係を中心に読むようにしている。そこには自分と結びつく部分が多少なりともあるもので、経験が想像を呼び起こし、自分の世界の形成をよりたやすくしてくれるに違いなかった。
 本を読みながら我に返ると、最近はいつも喫茶「ユニーク」にいる。
 そして目の前を見ると、そこには必ず一人の男性がいるのだ。
 最初だけ男性でその後は女性である、その人も本を読んでいる。しかも私と同じ本なのだ。
 何とも不思議な気持ちである。
――喫茶「ユニーク」では私の時間は進まないのだろうか?
 いや、それよりもいくつかパターンがあって、その中の一つに偶然いつも遭遇しているのかも知れない。
作品名:短編集23(過去作品) 作家名:森本晃次