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田舎道のサナトリウム

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 実際に矛盾を考えていれば、いくらでもあるような気がしていた。
 表から見ていて見える人には見えるであろう矛盾とは違っているものではないかと思うのだが、中に入ってしまうと、その矛盾を見逃しがちになってしまう。
 それは、職人が矛盾を感じることなく、自分たちの信じた「気質」だけを信じて前だけを見て進んでいるのと同じに見えるからで、実際に見えている職人たちの行動は、時々だが、
――本当に気質だけなんだろうか?
 と感じることがあった。
 ひょっとするとこの発想は、自分が研究員だから感じることなのかも知れない。
――職人たちと自分たち研究員とでは、そもそもの出発点が違うんだ――
 と思っている。
 そう思うことで、見えていることも見えていないように思い込もうと無意識にしていることが、余計に職人を意識させているのかも知れない。
 白石は研究員になろうと思う前、職人になるかも知れないと考えたことがあった。
 高校時代のクラスメイトに、家が畳職人をしているやつがいた。時々遊びに行っていたが、その時見た、彼の父親の真剣そうな目を見た時、
――なんてすごい目をしているんだ――
 と感じた。
 しかし、同時にその人は完全な亭主関白で、息子にも容赦のないところがあった。白石が遊びに行っている時でもお構いなしに、奥さんに対して罵声を浴びせているところを見たことがあった。雇っている職人に対しての罵声は日常茶飯事で、
――そこまで怒鳴らなくても――
 と、人間的に疑問に感じることもあった。
 その時は、自分の中に矛盾を抱えていることに気付かなかった。ただ、疑問が払拭できないだけである。ただ、この矛盾が分からなかった時期というのは、彼の家から離れてから、彼の父親を思い出すと、浮かんでくる発想は、職人の目だけであった。
 人に罵声を浴びせている父親は、職人とは違うという発想が頭の中にこびりついているのだ。それはまるで父親が情緒不安定なのか、それとも二重人格なのかと考えるのが普通なのだろうが、白石の発想では、
――罵声を浴びせる人は、自分にとっての職人ではない――
 と思えた。
 ただ、それは友達の父親にだけ言えることであった。
 実際の白石の頭の中にある職人気質というのは、罵声を浴びせるような人の方が職人にふさわしいと思っていた。
 そこで考えたのは、
――自分だったらどうだろう?
 という思いだった。
 自分なら職人になったとしても、自分独自の気質を持つことができて、決して人に罵声を浴びせたりする旧来依然とした「職人気質」を持った職人になることはないのだと思った。
 だが、友達の家に行けば行くほど、職人に対しての気持ちが冷めてきた。それは、一瞬にしてピークを迎えてしまったことで、あとは気持ちが萎えていくだけという尖がった山をイメージさせるものだった。
――どうして職人になんか憧れたんだろう?
 と思ったが、それは錯覚だったといえばその一言で終わってしまうのだろうが、どうにも納得できない部分でもあった。
 後にも先にも、ここまでいきなり思いをピークに持って行ってしまったことで、あとは気持ちが冷めるだけになってしまうなどということはなかった。
――やっぱり俺は学者の道を志していればいいんだ――
 と感じた。
 ただ、職人と学者がこのことがあって、決して交わることのない平行線を描いていることに気付いたのだが、それは、限りなく交わるに等しいほど近い距離にいることをも示していた。少しずつ遠ざかっていくと、途中でその線が一本であるかのような錯覚に陥るが、さらにそれ以上離れると、今度はまた線が二本あることに気付く。つまりは一瞬だけ交わる部分が存在しているということであり、平行線ではないということを思わせたのだ。
――じゃあ、永遠に交わることのない平行線などという発想は、本当はありえないことなんじゃないだろうか?
 と思わせた。
 それが職人と学者の間で自分の中の錯覚を感じさせたのではないかと思うと、平行線という発想が本当に今後の自分を左右するのではないかと思えてならなかったのだ。
 学者を目指すようになって、薬学の星野教授と出会った。
 この出会いには、
――まるで身体に電流が走ったのではないか?
 と思えるほどのものがあった。
 それは、大げさに聞こえるが、そうではなかった。なぜなら、白石助手が教授を見た時に、
――この人とはどこかで会ったことがあるような気がする――
 と感じたからなのだが、どこで会ったのか、想像はできた。
 しかし、もう一つ疑問に感じたのは、
――出会った場所を想像はできるのだが、その場所に自分が行ったことはない――
 という思いだった。
 だが、次に感じたのはさらに不思議な感覚で、
――これから将来において、行くことになる場所ではないか――
 と感じた。
 それは錯覚なのだが、ただの錯覚だとして笑い飛ばして終わることのできないものだという思いが強かった。その思いはこれからも永遠に続くものだと思ったからで、もちろん四六時中感じているものではないのだが、忘れることのできないものとして、ひょっとすると自分の中のトラウマになって残ってしまうという思いを抱いていた。
 星野教授がそんな白石に心を開いてくれたのは、結構早い段階だった。
 それが払い段階だったのかどうだったのか、最初は分からなかったが、
「教授は白石君に心を開いたようだね」
 と、呑み会で先輩に言われたことからだった。
「そうなんですか?」
 と口では言ったが、教授が心を開いてくれているということは白石本人にも分かっていることだった。
「ええ、そうなんですよ。こんなに早く心を開くなんて、今までにはないことかも知れませんね」
 その時、研究員ではまだ白石が一番の下っ端だった。
「教授は、下に誰かが入ってこないと、その人に心を開くことは今までにはなかったんだよ」
 と言っていたが、
――ということは、教授が心を開くタイミングというのは、時間ではなく、その人の立場によって変わるということか?
 と感じた。
 もし、後輩が入ってこなければ、そのまま心を開いてもらえず、距離も縮まる気配などまったくなかったことだろう。しかし教授が自分のこだわりのようなものを捨てて、なぜ白石に心を開いたのか分からない。
「時間的にも早いんじゃないかな?」
 と先輩も言っていたが、その話を聞いたことで、教授が自分に心を開いてくれたと感じてから少しして、まわりの自分を見る目が少しずつ変わってくるのを感じた。
 その理由に関しては、すぐには分からなかったが、話をしてみると、
――なるほど――
 と感じさせられた。
――今まで心を開いていない相手に心を開くというのは勇気がいることだ――
 と白石は感じた。
 特に相手が年下であったり、立場的に下の人であったりすれば、なおさらのことだと思う。
 自分も大学時代にサークルに入っていたので、一年生の時に上を見た時の上の人の距離と、上になってから下を見た時の距離とが微妙であったことを思い出していた。
 一年生から見れば、最上級生は、
――まるで雲の上の人のようだ――
 と感じていた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次