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田舎道のサナトリウム

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 その男性は、まだ二十代前半くらいであろうか。白石よりも若かった。見舞ってくれている麻衣の姿をいとおしく見つめながら、笑顔で話している姿は、いつもの研究員としての星野教授とは明らかに別人に感じられた。
「麻紀さんのお話をしていると実に楽しいです。もっといろいろなお話をしてください」
 と言っている星野氏であった。
――麻紀さん? さっきここまで道案内をしてくれた麻衣さんとは別人なのか?
 と、最初に感じた。
「星野さんのお話を聞いているのも楽しいですよ」
 と麻紀と呼ばれた女性が答えると、
「そうですか? 僕のような研究に没頭している男の話のどこが面白いというんでしょうか?」
 と星野氏がいうと、
「いいえ、私には面白いんです。同じ年頃の男性のくだらない話を聞いているよりも、よほどためになりますわ」
「そう言っていただけると嬉しいですよ。でも、麻紀さんのようなお嬢さんが、僕のような一介の研究員とお付き合いをしているなどというのは、あまりにも釣り合っていないような気がします」
「何をおっしゃってるんですか? 星野さんは結構古風なことにこだわるんですね」
「ええ、だから、麻紀さんのような清楚な女性に憧れたんだと思います」
「じゃあ、私はそんな純粋なあなただから、私も惹かれたんですわ。お互いが惹き合っているというのは、これほど美しいものはないんじゃありませんか? 私は星野さんを尊敬しているんですよ」
「ありがとうございます。僕も早く病気を治して、人様の役に立てるような研究を続けていきたいと思います」
 と、そこまでいうと、心なしか、麻紀の顔が少しうな垂れたように感じられた。
 それを見た星野氏は少し訝しそうに、
「どうかされたんですか?」
「え、いえ、何でもありません」
 と言って、その場を取り繕おうとした。
 その雰囲気にぎこちなさが感じられ、それまでの二人の間の空気に水が差したようだった。二人の会話はそこで少し中断し、
「お手洗いに行ってきますね」
 と言って席を立った。
 麻紀はトイレに行くといいながら、トイレの前を通り越して、そのまま非常口から表に出た。その様子はいかにも尋常ではなく、背中から溢れる悲哀は、今まで感じたことのない切羽詰ったものが感じられた。
 心なしか肩が揺れているように見受けられた。
――泣いているのか?
 震える肩が小刻みなのは、明らかに泣いている証拠であろう。
 その様子を最初は他人事として見ていたはずなのに、いつの間にか感情移入してしまっていたのか、ふいに麻紀はこちらを振り向き、涙を堪えようと必死の様子だった。
 どうしていいのか分からずにその場で立ちすくんでいると、泣きながら麻紀はこちらに頭を下げた。様子を見ていて驚愕の表情になっているはずの白石に対して何も感じていないのだろうか?
「失礼ですが、白石さんですよね?」
「えっ?」
 彼女がふいに自分の名前を呼んだことよりも、その表情が助けを求めているように思えたことにビックリした白石だった。
「大学で星野教授の助手をされている白石さんですよね?」
「ええ、そうですが、どうしてあなたは僕のことをご存知なんです? それよりもこの状況は一体どういうことなんでしょう?」
 と白石が訊ねると、
「私もすべてを把握しているわけではありませんが、少なくともあなたよりは、この状況を分かっております」
「どういうことなんでしょう?」
「白石さんは、大学の研究所から、この場所に研究所があるからと言われて、資料を言付かってこられたんですよね? でもおかしいと思いませんか? 今の時代であれば、FAXはおろか、パソコンを使えばメールもできる。わざわざご足労願う必要もありませんよね?」
「確かにその通りです。でも、教授は学者のくせにおかしなところがあって、あまり文明の利器を使うことはないんです。むしろ嫌っていると言った方がいいのか、結構お使いを言われることもあったりするんですよ」
「そうですか」
 それに対して麻紀は何も反応を示さなかった。
「あなたが持ってこられた資料は、誰に渡すように言われたんですか?」
「誰ということを明言されませんでしたので、所長さんに渡せばいいのかと思っていました」
「そうですね。教授は相手を指定しないことが多いので、あなたも別に気にされていたわけではないんですね」
「その通りです。それにしても、私もこんな田舎に来るのは初めてだったので、少し面食らっていますが、どこか懐かしさも感じているんですよ。いわゆるデジャブのような感じなんでしょうかね?」
「それは以前、夢に見られたことを思い出したからかも知れませんね。夢に見たことは目が覚める間に忘れてしまうことがほとんどですが、思い出す時というのは、本当にいきなりだったりするんですよ。そのくせ、それが夢だったという意識が持てない場合が多い。そんな時にデジャブとして片付けてしまうんでしょうね」
「そうかも知れません。でも、私はここにあるのは研究所だと言われてきたんですが、存在していたのはサナトリウムだというじゃないですか。まず、それがおかしなことだって思っています。ここにサナトリウムができる前は、研究所があったんですか?」
「白石さんは、本気でそう思っていますか?」
 麻紀の表情は変わらない。相変わらずの無表情なのだが、時折見せる目力の強さに、圧倒されていた白石だった。
 白石は麻紀から真剣な表情でそういわれると、自分が訝しく思っていることを正直に言わなければいけないと感じるのだった。
「いえ、本気で思っているわけではないです。確かに研究所の跡の建物を改良してサナトリウムにするというのは、さほど難しいことではないと思いますが、研究所とサナトリウムというと、目的は一緒でも、まったく方方が違っているものに感じるので、簡単にはうまくいかないような気がします」
 と白石がいうと、
「じゃあ、逆だったら、どう思いますか?」
 と麻紀が間髪入れずに、聞き返した。
 それはまるで最初から答えが分かっていたかのようであり、畳み掛けるような言い方に完全に緩和の主導権を握られているようだった。
「逆というと、サナトリウムの跡に研究所ができたということですか?」
「ええ、それだと理屈としてはどうですか?」
 麻紀が何を言いたいのか、ここではまだ分からなかった。
「理屈としては、こちらの方がスッキリするような気がするんですが、それは考えられませんよね?」
「どうしてですか?」
「あなたの理屈だと、今ここに建っているサナトリウムは、研究所ができる前のものであり、僕の知っている現代から比べて、過去の世界ということになりますからね。そんなことは信じろという方が無理ではないですか?」
 と言ってはみたが、何となく胸騒ぎを覚えた。
 目の前にいる麻紀の表情はニンマリとしたからである。
「その通りです。ここはあなたの知っている世界から比べると、三十年以上も前の『過去』になるんですよ」
「じゃあ、さっきの星野さんというのは、僕の知っている星野教授の若い頃だと思っていいんですか?」
「ええ、その通りです」
 まるで狐につままれたような気分だが、麻紀の表情を見ていると、まんざらウソではないような気がしてきた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次