田舎道のサナトリウム
「そうですか、ありがとうございます」
ここで、知らないといっている人を相手に結論の出ない会話をしていても仕方がない。まずは事実関係をハッキリさせなければいけない。白石は一度建物を出て、塀と平行に少し歩き、そこで携帯電話を取り出した。
――大学に電話してみるしかないな――
まずは研究室への直通電話にかけてみる。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
お馴染みの内容が聞こえてきたが、
――そんなバカな――
としか思えない。
それでは、研究員の電話にかけてみることにした。すると今度は、
「おかけになった電話は、電波の届かないところにおられるか、電源が入っていないかで掛かりません」
というアナウンスが流れた。
――どういうことなんだ?
せっかくここまで来たのに、目的地が見つからず、しかも、確認しようと思って研究室に電話をかけても掛からない。まったく理解のできないことであった。
元々、駅を降りたあたりから、どこか別世界に紛れ込んでしまっているような気がしていたので、いまだその感覚が続いていると思うと、いつになったら覚めるのか、そもそも覚めてくれるのか、まったく今後の想像がつかなかった。
すると、急に目の前に白い閃光が走ったのを感じた。
――眩しい――
と感じたのが早かったのか、今度はテレビの液晶が急にプツンと音を立てて消えてしまった時のようなブラックアウトを感じた。
――パチンコの演出のようだ――
と感じたような気がしたが、その時には完全に意識が飛んでいた。
――このままでは気を失ってしまう――
そこまでは意識があったが、そこから先は分からない。
あれは中学生の頃だっただろうか。全体朝礼があり、授業の前に校庭に全校生徒が集められ、校長先生の訓話があった。ちょうどその時、生徒数人が他校の生徒と喧嘩になり、暴力事件を起こしたということで、全校生徒を集めての訓話だった。
「何も炎天下、立って訓話を受けなくても」
と、皆生徒は口々に話していたが、学校側としては、警察や父兄の手前、講堂で座ってなどできるわけはないと思っていたようだ。
校長先生の話に始まって、風紀委員の先生、そして学年主任の先生と、時間は一時間をゆうに超えていた。
そのうちに立ち眩みを起こして倒れる生徒が続出した。さすがに十人近くになると、先生の方も、
――いけない――
と思ったのだろう。
訓話を中止して、解散してからすぐに授業に戻ったのだが、急に教室に入って、間髪入れずに授業に入られると、そのギャップからか、授業が始まってからも数人が気分を悪くしてしまった。
白石もその中の一人だった。
目の前が一瞬明るくなり、次第に暗くなってくる。その時に目の前に蜘蛛の巣が張ったかのように見えたのは、毛細血管だったのだろうか?
薄れいく意識の中で、毛細血管をイメージしたことだけが今でも記憶に残っている。そして、あの時にも確かに、プツンという音がしたような気がして、目の前がブラックアウトしたのだった。医務室で目を覚ました時、倒れた他の生徒は皆回復し、教室に戻っていた。
中には回復がおぼつかず、父兄が迎えに来て、帰った生徒もいたようだが、それを含めても、医務室にはもう誰もいなくなっていた。
――いったい、どれくらいの時間、気を失っていたんだろう?
医務室の時計を見ると、すでに午後二時を回っていた。少なくとも四時間近くは気絶していたことになる。
「うーん」
と言って、気がついたという意思表示をすると、医務室の先生が見に来てくれた。
医務室の先生は若い女医さんで、白衣がよく似合い、その下の黒いタイトスカートを眩しく眺めていたものだ。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
そういって、身体を起こそうとしたが、まだ少し頭がしっかりしていないようだった。
「もう午後の授業もあと一時限だけなので、ここでゆっくりしていってもいいんじゃない?」
「そうですね。分かりました。そうします」
そう言って、ベッドに仰向けになり、天井を眺めていた。
天井には、黒い点が点在していた。じっと見ていると、まるで天井が落ちてきそうな錯覚を覚えたのだが、その錯覚が様々な異変を短時間で自分に与えたのだ。
まず、じっと見ていると、しばらくすると、一瞬身体が跳ね上がったような気がした。足が攣りそうになっているのを感じ、そのまま身体が硬直してしまい、気がつけば、金縛りに遭っていた。
足が攣りそうになった時、それを阻止しようと反射的に呼吸を止めてしまう。止めた呼吸が身体を硬直させて、硬直状態が足を攣りを抑えようとするのだ。
そんなことを最初から分かっていたはずもない。きっと本能が成せる業なのだろう。もし分かっていたとしても、その時の状況ですぐに思い出せるとも思えない。やはり本能というのは自分が考えているよりも、無意識感覚が強いのだ。
無意識だと素直に身体が反応する。下手に意識してしまうと、できるものもできなくなってしまう。それが人間であり、本能とは正反対の何かが作用しているのではないかと思えたのだ。
それまでも実は何度か受けたくない事業があった時などは、医務室に来て、
「気分が悪いんです」
何度も来ているので、担任の先生も医務室の先生も、
――どうせわざとだ――
と思っていることだろう。
しかし、それでも戒めるような言葉は今までに一度もない。
――おかしいな――
と思って、クラスの一人に聞いてみたことがあったが、
「お前、医務室に行く時、本当に顔色悪いんだぞ。顔色が悪くなかったら当然のごとく疑われるんだろうが、顔色が悪いんだから、疑う余地もないというものだよ。逆に俺の方が聞きたいよ。本当に医務室に行く時、何ともないのか?」
と言われると、何ともなくとも、気になってしまい、
「言われてみれば、確かに気分が悪いとも言える気がするな」
と言うと、
「何とも漠然とした返事だよな」
と言われた。
しかし、校庭から教室に戻ってきて気分が悪くなった時は、自分でも吐き気がしそうなほど気分が悪いのを分かっていた。しかも、医務室で意識を失っていたようで、気がついたら二時を過ぎていたなど、今までの白石からは信じられなかった。
決していつも健康で、元気に満ち溢れているというわけではないが、少々の病気も怪我もしたことはない。身体が丈夫ではないと思っていたが、それでも人並みだと思っている。誰が最初に白石の身体に気付くのか、白石自身もよく分かっていなかったのだ。
医務室で金縛りに遭った時、
――これが金縛りっていうんだ――
と、初めて感じた。
それまで金縛りというのは、オカルト話に出てくるくらいで、自分とは関係のない話だと思っていた。それだけに金縛りに遭ってしまうと、どうしていいのか分からなくなってしまう。
まず、どこを見ていいのか分からない。金縛りに遭っているのは首から下であった。首から上は動かそうと思うと動く、首は回るし、口も動くのだ。
口や鼻が動くのは当たり前だろう。呼吸をしないと人間は死んでしまうのだから、首から上が動くのは当たり前のことだと理解できる。
その理解は、金縛りに遭っている最中に感じた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次