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田舎道のサナトリウム

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 赤レンガだとは分かっているのに、よく見ないと赤い色を確認できないほどである。どうして赤レンガだと直感したのか、それはきっとそこにあって一番不思議のないものという発想が頭の中にあったからだろう。
――レンガといえば赤い色――
 いわゆる思い込みというやつである。
 この建物の中で見る女性の白衣は、同じ白い色でも、路傍の石とは違っている。眩しい色を感じないのに、路傍の石でもないということは、暗黒星を見ているかのような発想があった。
――確認できるはずのないものを確認できている自分は、どうなってしまったのだろう?
 という思いを抱いていた。
 何しろ、研究所だと思ってやってきた建物で、雰囲気はどう見ても病院だった。それも近代的な病院とは程遠い、まるで昔の昭和の病院のようではないか。
 白石の年齢で、昭和の病院の印象が残っているはずもない。それなのに、どうしてそう感じたのかといえば、匂いからではないだろうか。
 建物の正門をくぐってすぐに感じた薬品の匂い。どこか懐かしさがあった。
 自分の研究は薬物なので、薬品の匂いに違和感を覚えることなどないはずだ。それなのに、匂いに懐かしさを感じるというのはおかしなことだ。
 ただ明らかに自分の研究所で毎日のように感じている薬品の匂いとは違っている。その原因がどこにあるのかということは簡単に分かりそうなのに、なぜかすぐに気付くことはなかった。
――建物の性質が違うんだ――
 鉄筋コンクリートを改良し、匂いをあまり充満させないように工夫された壁を持った建物でいつも研究しているので、匂いが残るのは仕方がないとしても、不快な匂いではなかった。
 だが、ここで感じる匂いは、他の匂いと重なり合って、過度の匂いを放出しているのだった。
――いろいろな薬品の匂いが入り混じると、こんな匂いになるんだ――
 と感じた。
 初めて感じるはずの匂いなのに、どこか懐かしさがあるのは、子供の頃、怪我をして運びこまれた病院で感じたものだったからなのかも知れない。
 その時の記憶としては、薬品の匂いよりも、血の匂いの方が強く印象に残っている。その血というのはもちろん自分の血であり、身体がゾクッとしてしまい、痙攣を起こしかけていたのを思い出した。
――怪我をした時って。こんな匂いなんだ――
 臭いという思いよりも、鼻につくこの匂いを、
――病院にくれば、匂いがしなくても、思わず思い出してしまうんだろうな――
 と感じるような匂いだった。
 この匂いはその時に感じた匂いを、数十年経ってから思い出した懐かしさなのだろう。
 すぐに思い出せなかったのは、ここが研究所だと思い込んでいたからで、普段感じている匂いとの違いを誰というわけでもなく、同じ思いを感じている人がいて、その人を探すのが先決だと思ったからだ。
 しかし、そんな人がいるわけもない。結局匂いに関しては懐かしさというイメージが残っただけで。次第に曖昧になっていった。
――匂いに慣れてきたからに違いない――
 この思いは、当たらずとも遠からじであった。
 そういえば、先ほど、
――何かの感覚がマヒしたような気がする――
 と感じたのを思い出した。
 もし、その感覚が匂いに対してのものであるとすれば、その理屈が分からなくないものに思えてきた。
 感覚というと、いわゆる五感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚であるが、最後の嗅覚が麻痺しているのだろうと考えた。
 しかし、本当にそれだけだろうか?
 それぞれが単独でマヒしているのであれば、自分の中で、
――マヒしている――
 という感覚が分かるというものだ。
 しかし、もし、五感すべてがマヒしていたのだとすれば、マヒしているという感覚を感じることもないだろう。少なくともどれか一つがまともだからこそ、マヒしているという感覚が残るのだ。
 白石は、その時、
――五感すべてがマヒしているのではないか?
 と感じた。
 だが、匂いは感じることもできるし、色も感じることができたはずだ。それなのに、そのどちらもマヒしていると感じたのは、
――感じる力を持っているのが自分ではない――
 と思ったからだ。
 誰かの手によって感じさせられていて、感じさせられたことを自分なりに解釈して考えてみる。自分にとっての矛盾を解決させるには、何か他の力に頼らないと、何もできないのだ。
――では、誰の力だというのだろう?
 自分にまったく関係のない人の力であれば、最初から自分に力が作用していることが分かるはずである。しかし、感覚がマヒしてしまわなければ、そのことに気付かないというのは、よほど自分に近い相手でなければいけないはずだ。
――もう一人の自分が存在する?
 そう考えるのが一番自然だった。
 だが、その人は決して自分の前に現われることはない。もし現われるとすれば、この世界でではなく、別の世界でしかありえない。そう思うと考えられるのは夢の世界であって、時々、
――夢は、もう一人の自分によって作られる、別の世界の話なのではないか――
 と思うのだった。
 白石は、
――さっきまで麻衣と一緒にいたのは、本当に僕なんだろうか?
 という疑念を持っていたが、ここで登場してくる、
――もう一人の自分――
 という発想を考えた時、その発想が何かを証明してくれるような気がしていたのだ。
 そんなことを考えながら、白石は暗黒星に見えていた看護婦の女性に、
「ここは一体どこなんですか?」
 と訊ねてみた。
 たった今まで忙しそうに振舞っていた看護婦は、呼び止められると、今度は急に動きを止めて、じっと白石を見つめた。
「何を言っているの? この人は」
 声になっていない言葉を吐き捨てたような気がした。
「ここはサナトリウム。いろいろな患者さんがここにはおられます」
「サナトリウム? こんな環境でサナトリウムなんですか?」
 白石は、サナトリウムというと、気候温暖の土地で、長期療養が必要な患者が、健康になるための環境を与えることによって、病気治癒を目指した場所であることを知っていた。この場所は先ほど感じたように、湿気が最初に考えられる場所で、療養に適しているとはお世辞にもいえないだろう。
「ええ、そうですよ。このご時勢、こんなところしか、サナトリウムを作れる場所はありませんからね」
 と言われた。
 確かに今は自然破壊が進んでいて、実際にサナトリウムとしての場所を確保しようと思うと、かなりの時間と労力、そして金銭を費やさなければいけないだろう。
――それでも、これよりもマシな場所は、他にいくらでもあるのではないか――
 と思えてならない。
 しかし、白石の目的地はここではない。研究所なのだ。
「あのすみません。このあたりに研究所があるはずなんですが、ご存知ないですか?」
 と聞くと、看護婦は訝しそうな表情で、
「研究所なんてこのあたりにはないですよ。何の研究所なんですか?」
「薬学の研究所なんですよ。大学が管理している研究所があるはずなんですが……」
「聞いたことがありませんね。確かにこのあたりならそんな研究所があっても不思議はないですが、私の知っている限りでは大きな建物はこのあたりでは、このサナトリウムくらいのものですよ」
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次