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田舎道のサナトリウム

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 と感じるのだが、それは気のせいだと思えば思えなくないほど薄い感覚だった。その思いを知ってか知らず過、麻衣は相変わらず、笑みは妖艶に溢れていた。
「研究所はもうすごそこになります」
 と言って、彼女は指を差した。彼女の前に立って、はやる気持ちを抑えながら前を見て歩いていると、その向こうに怪しげな建物が見えてきた。
「ありがとう。助かったよ」
 と言って振り向くと、そこに彼女の姿はなかった。
――あれ?
 まるで夢でも見ていたかのような感覚に陥ったが、考えてみれば、この街に入った時から、
――まるで夢でも見ているようだ――
 と感じていた感は否めなかった。
――頭の中をリセットしよう――
 彼女がいたということを頭の中でリセットはしたくなかった。彼女がいたということを前提にリセットすることにした。このリセットはかなり難しいが、やってできないことはない。今までに何度も教授の下で、薬学を研究していて奇跡だと思えるようなことを見てきた。
 中には公表できないものもあった。
 それは半分非合法のものもあったからで、ただそれ以上に現代の科学では誰も信じてもらえないことだっただけに、
「下手に公表すると混乱を招くだけだ。だから公表はできない」
 と教授は言っていた。
 その研究は、非合法であるという前に、臨床試験が困難だった。それだけに発表してもそれを証明することができない。それが発表できない一番の理由だった。
「これほどの研究が発表できないなんて」
 教授よりもまわりの研究員の方があからさまに残念がっていたが、本当に残念に思っているのは教授だということを、きっと誰もが分かっていたに違いない。
 その研究が発表されれば、今までの薬学界の歴史を根底から覆すものになったのではないか。
 教授はそのことを分かっていた。他の研究員も分かっていて、
「この研究が公表されれば、教授はノーベル賞だって夢じゃないんじゃないか?」
 と口々に噂されるほどのものだった。
「この研究は、とりあえず保留にしていきましょう」
 教授は、この研究が、
――両刃の剣――
 であることを分かっていた。
 もしこの研究が途中でどこかに漏れれば、大変なことになる。保留しておくということは、それまで調べた研究資料をどこか厳重にしまっておかなければいけないということを示していた。
 一旦、研究を保留にすると、そこでリズムが狂うのはしょうがないことだ。それまで他の研究を犠牲にしてまで、時間と労力、そして知力を尽くして研究を続けてきたのだ。
 当然、それまでに費やしたお金もかなりのもので、研究を中断するとなると、それなりの理由が必要だった。
 そのことにかなりの間教授は悩んでいたようだが、何とか上を説得して、研究の中断を丸く収めていた。
――先生はどうやったのだろう?
 と思ったが、ひょっとすると、教授には奥の手と呼ばれるようなものがあったのかも知れない。
 教授たるもの、不測の事態に陥った時にどのように対処すればいいか、絶えず考えているもののようだ。それは、一般社会人の勤める会社と同じで、上に立つものが持ち合わせていなければいけない技量というものだろう。
 教授にはその技量があった。溢れているといってもいいだろう。
――それくらいでなければ、教授になんかなることはできないんだろうな――
 と考えた。
 実際には年功序列のような感じで、助教授から教授へと昇進していくが、教授になれる器ではない人は、その途中で道半ば、研究員から離れていってしまうのではないだろうか?
 今までに自分が知っている教授と名のつく先生は、皆それなりの技量を持ち合わせていた。しかしその中でも一番の技量を持った先生は星野教授ではないかという思いは、今も昔も変わりない。
 星野教授と初めて会った時は、センセーショナルな気がした。
――この人についていきたい――
 と最初から感じた。
 自分がそこまで人に対して第一印象を持ったことなど一度もなかった白石だったが、
――慕っていける人を見抜く力を自分が持ち合わせているのではないか――
 と感じたのはこの時が最初だった。
 らだ、それ以上に星野教授に感じた第一印象の中に、
――この人とは初対面の気がしない――
 という思いがあったからだ。
 どちらかというと、初対面の人に対して、
――本当にこの人と初対面なのか?
 と思う方であった。
 その理由は、
――自分は、人の顔を覚えられる方ではない――
 と思っていたからで、人の顔を覚えるのが致命的に苦手だったのだ。
 そういう意味で、研究員になったのは正解だったかも知れない。一般企業に入社して営業にでもなっていたら、人の顔を覚えられないことは致命的だったからだ。
 人の顔を覚えられないことに自分なりに疑問を感じていた。
 あれは小学五年生の頃だっただろうか、友達と待ち合わせをしていて自分では自信があったつもりだったが、遠くから見えた友達に、
「おーい」
 と言って声をかけたが、相手は返事をしなかった。
 その頃の白石は視力には自信があり、見間違えるはずないと思っていた。少々遠くても相手が誰だか分かると思っていたが、その時の友達はまったく気づいてくれなかった。
 しかし、近づくにつれて、相手が似ても似つかない人だと分かり、実に恥ずかしい思いをした。しかも、その様子を友達が見ていたのだ。
 普段は気さくな友達だったが、その時は明らか表情は違っていた。ぎこちなさからその日は全く会話ができず、それから疎遠になるきっかけを作ってしまったのだ。
 その日からというもの、人の顔を覚えることができなくなってしまった。それまではそんなことがなかったのに、急にである。
 精神的なものだろうから、それが癒されれば元に戻るはずではないかと思っていたのに、元に戻るどころか、もっとひどくなっていくようだった。それから友達であっても、二人きりで待ち合わせをすることができなくなってしまったのだ。
 そのおかげで友達が急に減ってしまった。研究員の道はその時から開けていたのかも知れない。学校では浮いてしまったことで、一人コツコツとすることしか自分には残されていないことを自覚した白石は、勉強に勤しむようになったのだ。
 しかし、何が幸いするか分からない。勉強が白石には向いていた。
――やればやるほど成果が出るんだ。勉強をすることは決してこの僕を裏切ることはない――
 と感じるようになった。
 最初は徐々に成績が上がっていったくらいだったが、ある時点から飛躍的に成績が伸びた。
――何かのきっかけを掴んだのかも知れない――
 そう思ったのもタイムリーだったようだ。
 それからどんどん勉強は面白くなり、完全に自分の生活の一部となった。
――きっかけというのは、自信なんだ――
 ということが分かると、それまでの自分を思い返し、
――果たして自分に自信が持てるといえるようなことが一つくらい今までにあっただろうか?
 と考えた。
 考えれば考えるほど思い浮かんでこない、昔から自分がどんなことを考えてきたのか思い返してみた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次