田舎道のサナトリウム
と言われてそれからの二年を考えると、確かに何もなかった二年間であり、かなり時間も経っていると思えるのだが、麻衣と会った時のその時だけを切り出して考えてみると、まるで昨日のことのようだった。
その日のことを思い出してみた。
前の日から、徹夜での研究。気がつけば夕方くらいになっていた。前の日から徹夜をしていると、夜が明けてからというのは、あっという間に過ぎてしまう。気がつけば昼になっていて、そのまま日が沈むのを感じるようになると、その頃には完全に時系列への感覚は失せてしまっているようだ。
麻衣が「陣中見舞い」に訪れたのはちょうどそれくらいの頃で、時系列以外の感覚もマヒしかけていた。
――こんな状態で研究を続けていても、効率悪いんじゃないか?
と感じられ、それを教授も感じたのか、
「今日は午後六時で皆上がろうじゃないか」
と声が掛かっていた。
ただ、それを言われたのは、麻衣がやってくる少し前で、日が沈みかけている時間だった。
――あまりに前から言われていれば、きっとこれくらいの時間には本当に緊張の糸が切れてしまって、せっかくの早く過ぎ去っている時間が、また元のスピードに戻ってしまうかも知れない――
と感じた。
――まだなのか?
と、時計ばかりを気にするようになり、効率の悪さに拍車を掛けることで、時間というものが研究を妨げることになる。
自分に関わることを言われると、緊張の糸が切れてしまうこともあるのだが、麻衣の出現は自分にとって良くも悪くもない状況なので、ただ環境を変えるという意味では時間の活性化にはなるだろう。
その時の麻衣は、今日最初に感じた麻衣と、そして、一緒に研究所に歩き出した時に感じた麻衣とでは、そのどちらとも雰囲気が違った。セーラー服を身に纏い、
――徹夜明けの意識が朦朧とした中での輝ける一輪の花――
それがその時の麻衣だったのだ。
しかし、今日目の前に現われた麻衣は、その時の面影などどこにもなかった。最初に思い出せなかったのも無理もないことで、そういう意味では電車の中で見た女子高生を意識していなければ、麻衣のことを思い出すこともなかっただろう。
ただ、今ここで高校時代の麻衣を思い出すことがプラスなのかマイナスなのか、白石には分からない。思い出したということに何か意味があるとすれば、それはこれから分かることではないだろうか。
「何かの出来事には、必ず意味がある」
というのは教授の口癖だったが、その話に関しては白石は同調しかねた。
――まったく無意味なことだってあるんじゃないか?
と考えたのは、いい悪いという概念を外せば、
――無駄という言葉の存在意義がなくなるんじゃないか?
という思いがあったからである。
それはまるで禅問答のようであり、
――出来事には必ず意味があるのは、無駄という言葉の存在意義を否定することになるーー
ということであり、矛盾していることにならないだろうか。
――マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる――
それこそ、矛盾を肯定する考え方ではないかと考えるようになっていた。
マイナスとプラスという考え方が、何となく不思議だということは小学生の頃から感じていた。
元々、算数が好きで、算数のことをいつも考えていたような少年だった白石は、同じ頃、考え方の矛盾について、漠然とした考えを持っていた。それがマイナスプラスの発想に行き着かなかったのは、中学に入り算数が数学になってからだった。
数学というのは、何でも公式に当て嵌めて答えを求めるもので、理論に裏付けられた公式を覚えることで、たいていの問題は解けてしまうということを、中学に入ると教えられる。
しかし、
――算数は想像力だ――
という考えを持ったことで、算数に興味を持ち、小学生のある時期には、
――数字で、何でも解決でき、自分を納得させる考えも生まれるのではないか――
と真剣に考えていたことがあった。
数字こそが科学であり、自然なものだと思っていた。数字は何と言っても規則的に並んでいるものだ。特に整数には規則性しかない。
だからこそ、いろいろな発想が生まれてくるというもので、数字への果てなき妄想も生まれてくるのではないかと思っていたのだ。
数学になると、白石は急に数字が嫌いになった。小学生の頃には、公式など知らないこともあり、数字の規則正しい配列があればこその法則を、自分で発見するのが好きだった。
放課後には担任の先生を捕まえて、自分が発見した法則を黒板に書き、先生に対して得意げに発表したものだったが、それを見て先生は苦笑いをしていた。
てっきり、
――先生の仕事の邪魔をしていたんだ。だから、苦笑いをしていたんだな――
と思っていたが、中学に入り数学に出会うと、それが間違いであることを悟った。
その時に発見し、満面に得意げな表情を浮かべていた内容が、数学ではいとも簡単に公式に代入するだけで答えが生まれることを教えられる。
公式を発見した人も、きっと得意げだったのだろうが、何といっても、最初に発見した人には、逆立ちしても適わないということを感じていた白石は、次第に数字に対して冷めてきた。
「あんなに算数が好きだったのに」
と友達からそういわれるほど、数学の点数は最悪だった。
――意地でも公式なんか覚えて溜まるものか――
という頑なな思いがあり、学問に対して憤りを感じてしまった時期だったのだ。
それが、どうしてまた学問に目覚めたのかというのは、正直ハッキリとはしない。あまりにも算数から数学への考え方の移行がセンセーショナルな形で崩れ去ったショックが大きすぎたのだろう。学問に対しての感覚がマヒしてしまっていた。
しかし、感覚がマヒするほどのショックを受けたのは、自分の中に創造する気持ちが強く、何もないところから生み出すことの素晴らしさを知っているという気持ちは、自分の中で何ものよりも強かったのだろう。
きっかけなどどうでもよかった。創造する気持ちを思い出すことさえできれば、学問がそもそも嫌いというわけではないので、スムーズに研究員の道を志すことができたのだろう。
サナトリウム
そんなことを思い出していると、自分の中学高校時代よりも、小学生の頃の方が、ついこの間だったかのように思えてきた。
中学高校時代が自分にとって暗黒の時代だったとは言わないが、もしやり直すことができるとすればその時期からやり直すに違いない。
もっとも、いまさら人生をやり直したいとは思わない。今の自分を最高だとは思わないが、最高に行き着くだけの位置に、今はいるのではないかと思えることで、前を見ることができるのだと思っている。
目の前にいる麻衣を見ていると、女子高生のイメージが強かったはずなのに、妖艶な雰囲気を醸し出している麻衣は、
――出会うべくして出会った相手なのではないか――
と感じるようになっていた。
妖艶な雰囲気の麻衣に対しても、
――前にも、どこかで会ったことがあるような気がする――
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次