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田舎道のサナトリウム

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 白石は今までに二度ほどしか会ったことがなかったが、彼女の笑顔には癒しを感じていた。
 実は星野教授は奥さんとは離婚していて、子供は星野教授が引き取った。奥さんと離婚したのは最近で、少しの間、教授は落ち込んでいたが、すぐに立ち直ると、今まで同様に研究に没頭していたのだ。
 最近の教授を、白石は怖いと思っている。それは離婚が原因というだけではないように思うのは、研究に携わっているものにしか分からない何かを、教授は発散させているからではないだろうか。
 教授を見ていると、
――血が通っていないように思う――
 と感じるところが時々あった。
 元々教授には、薬学以外にも心理学的なところで、その考え方に共感できるところがあったのだが、いつの間にかその思いが違う方向に向いてきているように感じられた。
 教授が変わったと思える時があった。
「私は、何か重要な研究に成功しているような気がするのだ」
 と言っていた時だった。
「それは何か根拠があるんですか?」
 と聞くと、
「ない」
 と、ハッキリと答えた。あまりにも即決すぎて、それ以上何もいえなくなってしまったのだが、今までの教授にはあった暖かな部分が消えていたのだ。
 その頃から時々、何かを考えているのか、頭を抱えて苦しんでいるように見えることがあった。何かを思い出そうとして必死になっているのか、その焦りは後ろから見ていても分かるようだった。
――どこか情緒不安定な気がする――
 そう思った時、何か背中に汗が滲んだ気がした。
――まさか先生は、自分で開発した薬を飲んだ?
 自分が実験台になったのではないかという疑念を抱いたのだった。
 そんな疑念を一瞬にして変える一言を、次の瞬間、彼女は語ることになる。
「あなたは、私のことを知っているようですね」
「ええ、もしかしてですが、あなたは星野教授の娘さんではないかと思っていますが、違いますか?」
「そういうあなたは、助手の方ですね。確かお会いしたことがあったように思います」
 そういって、彼女は意味深にニヤリと微笑んだ。
 その表情に怪しげな雰囲気を感じたが、すぐにその思いを顔に出してはいけないと感じ、思いとどまった。彼女にはその様子が手に取るように分かっていたのかも知れない。本当はその時、自分の気持ちを隠すようなことをしなければよかったのではないだろうか。
「覚えていてくれて光栄ですよ」
「私は、星野麻衣といいます。名前までは知らなかったでしょう?」
「ええ、実は教授が離婚されたことも、お嬢さんがおられたことも、知ったのは最近のことだったんです」
「そうだったんですね。あなたは人のプライベートなことにあまり関心を持つようなタイプではないように思えましたが、いかがですか?」
「おっしゃるとおりですね。僕はあまり人間の奥を見ることはしないようにしています。感情が入ってしまうと、研究員としてはあまりよくないような気がしているからなのかも知れません」
 気がつけば、麻衣と二人で、研究所の方に向かって歩いていた。
「麻衣さんは、どこかに行かれようとしていたんじゃないんですか?」
「いえ、いいんですよ。気にしないでください」
 他の人なら、気にするなと言われれば言われるほど気になってしまうものなのだろうが、白石はこの時、麻衣が自分と一緒に歩きだしたことを別に気にすることはなかった。
「僕はこれから教授に頼まれた研究所へ行くんですが、この道でいいんでしょうか?」
「いいですよ。私がご案内しましょう」
「ありがとうございます」
「ところでお名前くらい窺ってもよろしいかしら?」
 自己紹介をしていなかったことを思い出し、
「これは失礼しました。私は星野教授の研究室で助手をしている白石といいます。まだ三十歳になったばかりなので、研究所では下っ端ですね」
「そうなんですか。それで父から『おつかい』を仰せつかったというところなのかな?」
「そうですね。実は私も、いつも研究所の中ばかりにいて、たまには表に出てみたいという思いはあったので、ちょうどよかったと思っています」
「でも、こんな片田舎に来る羽目になるとは思っていなかったでしょう?」
「ええ、田舎だとは聞いていましたが、ここまでとは思っていませんでした。歩きながら『本当に行きつけるんだろうか?』って思ってしまうほどです」
 歩きながら話していると、最初に感じた、
――派手な雰囲気の女性――
 というイメージが少しずつ変わっていった。
 最初は、彼女が電車の中で見た女の子に似ているということと、教授の娘ということで、女子高生の雰囲気に清楚さを感じたが、そこから今度はその清楚さと会話自体に、
――私は何でも知っている――
 というイメージが加わることで、妖艶な雰囲気が醸し出されてくるのを感じた。
 こんなに一気にイメージがいろいろ変わる女性を見るのは初めてだった。確かに女性とあまり知り合ったことがなく、話をするのも緊張している白石なので、どうして自分がそこまで感じることができるのか、少し不思議だった。しかし、それも麻衣の雰囲気が自分の感性に働きかけることで、発想を豊かにしてくれているのではないかと思うと、自分でも納得のいく感覚になってくるのだった。
――そういえば、以前麻衣と会った時に、何となく大人しい女の子だとは思ったが、どこか気になるところがあったように思えたな――
 と思えたが、彼女とどこで会ったのか、最初はすぐに思い出せなかった。
 そこで、勇気を持って聞いて見ることにした。
「麻衣ちゃんは僕とどこで会ったんだっけ?」
「ふふふ、やっぱり覚えていらっしゃらないんですね。あれは二年くらい前だったかしら、私が父の研究室に行ったことがあったんですよ。あれは、まだ両親が離婚する前だったので、母に言われて、父の着替えを持っていったんです」
 二年前というと、ちょうど研究が佳境に入っていた時で、研究所に泊まりこみということも珍しくもなかった。確かに言われてみると、その時に会ったような気がするが、感覚的にはもっと最近だったような気がしていた。
「そうか。もう二年も経っていたんだね」
 としみじみと言うと、
「そうですよ。でも、白石さんは私とどこで会ったのか覚えていなかったことよりも、二年も経っていることの方が気になっているようですね。会った場所は思い出せるけど、二年も経っているという経過した時間に対しての感覚は、変えることができないということなんでしょうね」
「ええ、まさしくその通りです」
 と言ってから、少し考えた。
 二年という月日は、長いようで実は短かった。研究が佳境に差し掛かっていた頃から思えば、この二年間はあっという間だったくらいだ。それだけ何もなかったといえるのだろうが、考えてみれば、何もなかった期間というのは、
――一日一日はあっという間に過ぎてしまうけど、通して考えると、二年前はかなり時間が経っているように感じる――
 と、今までは思っていた。
 しかし、麻衣が現われて、
「二年前に会っています」
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次