田舎道のサナトリウム
「確かにそうですね。『明日』という日が、本当に一日なのかどうか、私は疑問なんですよ。そもそも、ある日、私の頭の中で、『明日という日は、本当に来るんだろうか?』ということを感じてしまったんです。すると、やってきた『明日』に自信が持てなくなったんです。それが本当に今まで無意識ながら信じていた『明日』というものなのかどうかってですね」
彼女の話は難しかった。
しかし、時間をかければ理解できるような気がしたが、その時間自体、信じられるものなのかどうかということを考え始めると堂々巡りを繰り返してしまい、何を信じていいのか分からなくなってきた。
本当なら一番信じなければいけない自分が一番信じられなくなるという恐怖が襲ってくる。彼女を見かけた時、懐かしさを感じたのと同時に、何か胸騒ぎを感じたのを思い出した。
――これが胸騒ぎの正体だったのか?
と感じていた。
「私があなたを見かけたのは、電車の中だったような気がするんです。私が見かけたというよりも、あなたの視線を感じたことで、あなたを意識したと言った方がいいかも知れません」
と、彼女は言った。
「僕があなたを意識したということですか?」
都会の喧騒とした毎日の中で、通勤時間に乗る電車では、意識する相手もさまざまだ。
毎日、同じことを繰り返していることをマンネリ化というのだろうが、マンネリ化してしまった毎日に嫌悪している自分がいる反面、
――その日一日が、無難に過ぎればそれでいい――
とだけ考えている自分もいる。
要するに二重人格なのだろうが、それは、自分の中にたくさんの考えがあり、人格を形成している中で、どうしても相容れない性格が表に出る時、二つに見えてしまうのだろう。もちろん、二つに限ったことではなく、多重人格だという方が、理に適っているように思う。必ず二つ以下でなければいけないという方が、無理なのではないかと思うのだった。
しかも、一時で複数の人格があるのであれば、時間が増えれば増えるほど、人格も増えるのではないかと思うのは、優柔不断に思えるが本当にそうであろうか?
一人の人間の考えが一つでなければいけないという理由がどこにあるというのだろう?
確かに趣旨貫徹していないと、他人と関わることは難しいし、世の中を形成していくのは難しいだろう。しかし、世の中を形成するためだけに人は生きているわけではない。個性の積み重ねが世の中を活性化させていくという考えは乱暴なのであろうか?
二重人格というのは、世間一般的にあまりよくは言われていないが、それを偏見だと思うことが、その時の白石にはできたかも知れない。
白石は、彼女の雰囲気をずっと想像していた。
真っ赤なワンピースはいかにも目立つ雰囲気で、まわりとのアンバランスからも、余計に彼女を目立たせる。
しかし、逆に冷めた目で見ると、これほど冷めて見れるものもない。赤という色は、背景によって明るさを表現する場合もあれば、暗さを表現するものもある。特に血の色だと思うと、
――真っ赤な血潮が溢れている――
と思うと、明るく見えてきて、
――殺人現場のように血の海に沈んでいる死体――
など、思わず目を逸らしたくなるような惨劇に、これほど陰湿で暗いと思えるものもないだろう。
同じ色でも、シチュエーションやそれを感じる人、そして、同じ人間でもその時の精神状態によって、発想がいかようにも変わってくる。初めて彼女を見た時の白石がどんな視線を送ったのか、それによって彼女の正体が分かるだろう。
そして、もしこの時、彼女の正体を思い出すことができなければ、
――永遠に過去に出会った時のことを思い出すことはできないのではないか――
と感じるのだった。
電車の中で気になった女の子といえば、確かセーラー服を着た女の子だった。気になったのは、
――以前、どこかで見かけたような気がする――
と感じたからであり、今目の前にいるとは、雰囲気は違っていた。
セーラー服と、真っ赤なワンピースではその趣きは違いすぎている。しかし、電車の中で気になった女の子というと彼女だけだった。
彼女は、
――同じ日を繰り返している――
と言ったが、どういうことなのだろう?
話をしていると頭が混乱してきたが、自分の世界を作って考えれば、ひょっとすると何か共鳴できるところがあるかも知れない。
白石は同じ日を繰り返すことができればどうなるのか? 今までに考えたことがあった。同じ日を繰り返すことでのメリットやデメリット、考え始めるとキリがなくなってくる。堂々巡りを繰り返すとはこのことなのだろう。
メリットとすれば、同じ日を繰り返すことで、長く生きられるということだろうか。一度経験した一日なので、ひょっとするとうまく立ち回ることで運命を変えられると思えたのだ。
ただ、それ以外のメリットは考えられなかった。その代わり、浮かんでくるデメリットは結構あるような気がする。それも、一つのことから派生してのことなので、思いついていないことでも、その延長線上には、さらなるデメリットが隠されているのかも知れない。
同じ日を繰り返しているのが、自分だけであるということがすべてのネックになっている。
――今日これから起こることは、自分にとっては過去なんだ――
という発想である。
つまり、自分だけが知っていることで、自分によくないことが迫っていれば、それを回避する方法を知っていることになる。しかし、
――過去を変えてしまうことになる――
という思いがよぎり、歴史を変えてしまうことが未来において、どのような影響をもたらすのか、想像もつかない。
タイムパラドックスの発想である。
そういえば、彼女は白石を見たことがあると言った。それが電車の中であり、白石は気になった女の子を、見た覚えがあると思った。これはタイムパラドックスに反するものではないだろうか。
もちろん、まったくの別人なのかも知れないが、赤いワンピースの彼女を見ているうちに、彼女の言葉を無視できないような気がしてきた。
「あなたも同じ日を繰り返しているという意識を持ったことがあるのですか?」
と、彼女は白石に言った。
「いいえ、同じ日を繰り返しているという意識を持った記憶はありません。でも、夢を見ている時、今見ている夢を二度と見ることはできないと感じたことはあります」
話が飛躍しすぎているように思えたが、白石は彼女にそのことを言わなければいけないと感じた。
「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものでしょう? どうしてだと思われますか?」
目が覚めるにしたがって忘れていくという感覚を持っている人は、白石だけではないかと思っていた。他の人は、夢に対して、「見た見ていない」というハッキリとしたものでしかないと思っていた。
しかし彼女はハッキリと、
「目が覚めるにしたがって」
と言う言葉を口にした。まるで白石の考えていることが目に見えているかのように感じられる。
「僕には分かりません」
何となく見えてはいるが、それを言葉にして表現するのを無理だと感じた白石は、余計なことを言わずに、分からないとだけ答えた。
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次