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田舎道のサナトリウム

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 元々は怖がりだったはずの白石なのだが、怖がりだという意識を持ちながら、以前であれば、怖くてできなかったことでも、ワクワクという感覚を持つことができるほどに変貌していた。それがいつ頃からのことなのかというと、意識としては教授と出会ってからではないかと思うようになっていた。
 その教授から命じられた田舎の研究所への出張なのだが、一度も行ったこともない研究所がどんなところなのか、自分なりに想像してみた。
 寂れた今にも潰れかけている、幽霊屋敷のような場所ではないかという印象が深かった。そこには、今まで自分が接したことのないような人たちがいて、「よそ者」である自分を見て、どんな顔をするのか、何となく分かるような気がする。そんな時に今度は自分がどんな顔をすればいいのか、そちらの方は想像がつかない。
 きっと同じような怪訝な顔をしているのだろうが、まだ見ぬ相手に想像はできても、自分に当てはめることはできない。
 自分に当てはめたくないと言った方が正解ではないだろうか。
――こんな連中と一緒にされたくない――
 と思うことだろう。
 後ろを振り向きたくないという理由の一つに、子供の頃、父親が黙ってついてきてくれたという思いが残っていて、そんな父親に感謝の気持ちがよみがえってくるのだが、今回は今まで自分に関係のなかった知らない人が後ろからついてきているのを想像してしまったのだ。
 前だけを向いていると、ワクワクした気持ちになる反面、後ろは恐怖を感じさせるものであると思えた。前がワクワクするだけに、後ろの恐怖もハンパではないように思える。
 しかし、後ろに気配を感じるようになるまでには、もう少し時間が掛かった。それでも振り向くことは許されない気がしていた。気がつけば早歩きになっていて、背中に滲む汗が、早歩きから来るものなのか、それとも後ろの圧迫感から来るものなのか、分かっていなかった。
 少し歩いていくと、さっきまで誰ともすれ違うことのなかった道で、前から一人、誰かが歩いてくるのを感じた。その人の歩は、さほど早い気はしていなかったが、あっという間に近くまでやってきていた。
 その人は真っ赤なワンピースに、白い帽子を被った二十歳代の女性だった。まわりの田園風景には似合わないその姿は、しばし見とれてしまうほどであった。見とれていると歩くスピードも自然とゆっくりになってきて、
――いつ、目が合うだろう?
 という思いが次第に強くなってきた。
 彼女は、白石のことに気付いていないのか、前だけを見て歩いていた。意識していれば、少しはこちらに視線を移すであろうと思っているのに、なかなかこちらに気付いてくれそうな雰囲気はなかった。
――わざとなんだろうか?
 こちらを無視されているように思うと、意地でもこちらを意識させたいと思うものだ。熱い視線を浴びせるように、凝視していると、歩いているのに、立ち止まっているかのような錯覚に陥ってしまった。
「こんにちは」
 すると、たった今まで視線をこちらに移すことすらしなかった彼女が急にこちらを向いて、挨拶してくれた。
――こっちをいつ向いたのだろう?
 いつの間にかこちらを見ていたことに、まず驚かされた。
 ふいをつかれて、ビックリした白石だったが、
「こんにちは」
 気を取り直して返事をしたが、その挙動は、不審だったことだろう。
「このあたりの方ではございませんね?」
「ええ、この先の研究所に向かっています。そこにある研究所を保有している大学から来ました」
「そうなんですね。それはご苦労様です」
 と言って頭を下げた彼女の雰囲気は、笑顔というわけでもないが、怪しげな人を見ているというような怪訝な表情でもない。
 どちらかというと、無表情と言っていいかも知れない。
――無表情というのは、あからさまに怪訝な表情をされるよりも、冷たさを感じさせるものだ――
 と、以前から感じていたが、今回の彼女に感じた冷たさから無表情だと感じさせられたことに何か不思議な感覚を覚えた。
「いいえ」
 と、それ以上のことを口にできなかったのは、白石自身、金縛りに遭ったかのように感じたからだった。
 その時には完全に歩みは止まっていた。彼女の方も歩みを止めて、身体を白石の方に向け、正対していた。
「私、あなたとどこかで会ったことがあるような気がするんです」
「えっ、僕とですか?」
「ええ、でも、会話をしたという記憶はないので、見かけたという記憶が残っているだけなのかも知れませんけど」
 と、言って彼女は考え込んでいた。
 白石も彼女を正面から凝視したが、言われてみれば、確かに見覚えがあるような気がした。
――いったい、どこで見たというのだろう?
 意識としては、彼女の顔を見ている限り、その顔に覚えはない。
 しかし、どこかに面影のようなものが残っていて、
――だいぶ前に見たのかも知れない――
 と思い、学生時代から、もっと以前の子供の頃に遡ってまで、必死に思い出そうとしていたのだ。
 記憶を遡って思い出すというのは、結構難しいことのように思えていたが、一つのことだけを探そうとして遡る場合は、案外と早く遡ることができる。それがどれほどの時間だったのかハッキリとはしないが、思ったよりも短時間で、学生時代のことを思い出していた。
 しかも、過去に遡れば遡るほど、そのスピードは速くなってくる。同じ距離でも、近くであれば、それなりの距離に感じるが、その延長線上に、さらに同じ距離の何かを見つめていると、小さくなっていくものが、それほど距離を感じさせないで存在しているように思えるのだ。
 それが、過去に遡って思い出すスピードに反映している。古くなればなるほど、記憶が曖昧なので、余計なことを思い出すことはないのではないかと感じていた。
「私ね。同じ日を繰り返しているように感じることがあるの」
「えっ」
 白石が奇しくも先ほど思い出していた感覚ではないか。
 白石がそのことを思い出したから、彼女が自分の前に現われたのではないかと思うのは突飛な発想だろうか?
 元々、同じ日を繰り返しているなどという発想自体、突飛過ぎるくらいのものではないか。
「僕もさっき、以前に同じ日を繰り返しているという発想を思い浮かべたことがあったのを思い出していたんですよ。あなたも、同じような感覚になったことがあるということなんですか?」
「私は本当に、同じ日を繰り返していると思っているんです。今ここでこうやってあなたと話をしている自分が、明日もここであなたとお話をしているというイメージなんです」
「じゃあ、昨日はどうだったんです?」
「昨日は、あなたとお話をした意識はありません」
「じゃあ、今日初めてお話したということになる。あなたが明日も僕と話をするのであれば、僕も同じ世界にいることになるんでしょうか?」
「いいえ、私が明日話をするあなたは、今のあなたではないんです。もっというと、明日話をしている私も、きっと今の私ではないと思うんですよ」
「あなたのいう『明日』という言葉の意味が、普通一般に言われている『明日』という言葉とは違っているような気がします」
作品名:田舎道のサナトリウム 作家名:森本晃次