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短編集22(過去作品)

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 それには間違いないのだ。
 その証拠といっていいのか分からないが、部屋の前に黒い傘が置かれている。男がやってくる前には間違いなくなかったもので、たとえ、その日が晴れだったとしても、毎回同じように黒い傘は必ず置いてあるのだ。
――そういえばいつ帰るのだろう――
 いつも不思議だった。来た時は表を見ていて歩いてくるのが分かるのだが、帰りの気配を感じたことはない。しかし、翌日学校に出かける時部屋の前を見ると、黒い傘はいつもなくなっていた。なくなるのは深夜なのか早朝なのか分からないが、気がつけばなくなっている。時々受験勉強で徹夜をすることもあり気をつけていたのだが、結局朝まで男の気配を感じることはなかったのだ。
 深夜というとさすがに二時を過ぎた頃からシーンと静まり返ってくる。それまでは木造の哀しさか、テレビの音が漏れてくることもあり、完全な静寂を迎えることは皆無に近かった。それは仕方のないことだと割り切ってはいたが、急に訪れる静寂というのは、本当の意味の静寂ではないのかも知れない。
 耳に残ったキーンという音、普段の喧騒とした音がまるで凝縮されたかのように耳鳴りとなって残っているのからである。
 しかも男が彼女の部屋に訪れるという事実だけでも私は平常心ではいられなくなる。勉強で溜まった疲れがあるのか、気がついたら彼女のことを思い出して恍惚に身をゆだねていることもしばしばであった。多感な時期でしかも受験生の私には、あまりにも刺激が強すぎるのだろう。
 深夜の耳鳴りは、それだけでは収まらない。キーンという音は聞こえようによっては色々な音に変化可能であり、所詮擬音など、聞いた人が適当につけたもので、ただそれを当たり前の習慣のように感じているだけなのである。
 風が強い日など、木造のどこからか聞こえる軋む音に反応して連鎖的に聞こえてくるので、何がどこから聞こえてくるのか分からない時がある。耳鳴りや軋む音がどちらとも判断できない深夜の夢うつつな意識の中で、時折聞こえてくる切ないような声は、私をドキリとさせるのだ。
――まさしく女性の喘ぎ声――
 友達の部屋で見たアダルトビデオ、ワクワクしながら見た記憶があるのだが、その時の女優の声が耳の奥に残っている。しかし、撮影用の声だと割り切って見ていたためか、興奮はするが、その場で次第に冷めてくる興奮だった。
――なぜなんだろう?
 心の中で自問自答するが分からなかった。今は何となく分かるのだが、
――そうだ、切ない気持ちが表れていないんだ――
 耳鳴りに紛れて聞こえてくる切ない声に、やっと今までのつっかえていた疑問が解けたような気がしていた。
 その切ない声は初めて聞いたものではない。あの時、唇を重ねた時に感じた声は甘えたような声であったが、少なくとも切なさを与えられたものではなかった。だが今ここで聞こえる切ない声にははっきりと聞き覚えがあり、しかも最近感じた声だったことを頭の中で理解していた。
 アダルトビデオで見た光景はそれなりに興奮を与えられたが、それと同じはずはないと思うあまりか、神経を集中させ、声の主の醜態ともいうべき姿を思い浮かべようと試みるが、不可能に近かった。
 女性の顔を思い出せないことが、私には最初口惜しかった。しかしよく考えてみると、思い出せないことで、却って頭に浮かんでくるシルエットが淫蕩な雰囲気を醸し出していて、想像力を無限のものにしてくれる。
 真っ暗な部屋で蠢く二匹のオスとメス、お互いに無造作に貪りあっているようでも、しっかりとお互いのツボを捉えている。抑えようとしても漏れてくる切ない声や、時たま起こる歓喜にも似た声が、それを物語っているような気がする。部屋中に生暖かく湿気を帯びた空気が甘酢っぱい香りを伴って充満しているのが見て取れる。
 その時にそこまでの想像力があったかどうか、はなはだ疑問ではあるが、少なくとも自分が初めて女性を相手にした時に、この時の光景が鮮烈なものとしてよみがえってきたことを思えば、中学生の私に初体験の時の雰囲気だけは、前から味わったことがあったような気がしていたことも無理のないことだった。
――センセーショナルな初体験――
 私にとってどうだったのだろう。
 あれは大学に入学してからだった。サークルで知り合った女性で、他にも女性の友達はたくさんいたのだが、彼女とだけは軽い付き合いをしたくないと、最初見た時から感じていたのだ。
 名前を美奈子と言った。
 確かに好きな人が現れ、彼女も私と普通の付き合いを望んでいた。次第にお互いのことを話すようになって、お互いに惹かれていったのも事実である。
 私の初体験に何ら支障はなかった。初めて会ってから数回のデートでキスをして、お互いに気持ちを確かめ合ってからの私にとっての初体験であった。美奈子は私が初めてではなかった。しかし、美奈子の素振りからそのことは容易に想像できたし、それが付き合っていることに一切の不都合はないのだ。経験のない私が意識してしまってはぎこちなくなるのではとも思ったが、逆にそのことを表に出すことで違和感なく“儀式”が終わったような気がしてくる。
「やっぱり、あなたは私が思っていた人だったわ」
 “儀式”が終わり、美奈子が最初に言った一言だった。
――一体、何をどう思っていたのだろう?
 もし他の女性に言われたのであれば、それほど気にならないにもかかわらず、
「どう思っていたんだい」
 と笑いながら聞き返したであろう。
 しかし美奈子に対しそれができなかったのは、はっきりと分からないまでも、美奈子が私に感じた思いがおぼろげに分かっていたような気がしてならない。
 身体を重ねることによってすべてを知ったなどとは思わない。却って女性の身体のさらなる深さを知ることに繋がったような気がしてくるから不思議だった。
 私が美奈子と身体を重ねていた時、もう一人の私が他にいて、それを静観している気がしていたのは、後になって気がついたことだ。しかもその湧いてきたイメージが、過去に想像したことがあるものだということに次第に気付き始めていた。
 真っ暗な部屋に目が慣れてくるにしたがって次第に現れるオンボロアパートの懐かしい間取り、鼻をつくような酸味を含んだ匂い、かつて勝手に想像した中学時代の思い出が完全に繋がった気がした瞬間だった。
――私は本当に美奈子を抱いていたのだろうか?
 恍惚とした気分の中で、私は何度も美奈子の名を呼び続けていた。必要以上に呼び続けていた気がしたが、それは自分が抱いているのは美奈子だということを自分に認識させるために意識していたことだと思っている。そうでなければ、中学時代の思い出に頭が錯乱させられるからだ。
 すべてが終わり、おぼろげな意識の中で見ていた天井の模様だけが、頭に残っている。後のことはすべてが夢幻ではないかと思えるほどで、意識としては残っていない。その他のことは後から考えて付け加わったもののような気がして仕方がないのは、きっとその時を冷静に見つめている遠くにいる自分を意識していたからかも知れない。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次