短編集22(過去作品)
――昔見たバスガイドさんの面影があるんだ――
気がついたら言葉を飲み込んでいた。そしてかすみをじっと見つめている自分に気付いた。
――好きになってしまったのだろうか?
出張が比較的多い私は、その土地でよくスナックに入ったりすることが多かった。それも一人でフラリと出かけるのである。一晩だけの楽しいひと時を夢見ている自分もいるが、当然、そんな甘いことがあるはずもない。しかし、酔うほどに気持ちよくなり、開放感を味わうだけでも、出張の醍醐味としては合格なのかも知れない。
「あなたのような雰囲気の方、どこか懐かしく感じるんですよ」
最初はセールストークかと思った。しかし、あまりにも私の考えていることと同じことだったので、聞き流すわけにもいかず、
「え? 私も同じようなことを思ってました。さっき話した修学旅行の時のバスガイドさんの面影があるんですよ」
「奇遇ですわね、でも私はあなたのイメージが誰だったかまでハッキリとはしないんですけどね」
本当だろうか。思わず疑ってみたくなった。しかし、疑ってもそれでどうなるものではない。気になる程度に抑えていた。
その日のピッチは私にしては早かった。
というよりも時間を感じさせないほど、気持ちよい酔いが私を包んでいたのかも知れない。
その店は相変わらず客が来なかった。もちろん私にとっては都が合よく、ゆっくり話をしながら呑めるというものである。しかし、店の人間は彼女一人で、他に誰も現れようとしないのも不思議なことだった。
この状況について聞きたいのも山々だった。しかし、出張先でフラリと寄った飲み屋のこと、別に聞くまでもないように思えた。
かすみは広島についてかなり詳しい知識を持っていた。どうやら地元の大学で、広島についての研究をまとめた卒業論文を提出するらしく、今まさに資料収集中だということである。それだけでも話題性に事欠かなかった。
私が大田川に特別な感情を抱いていることを話すと、彼女の口が少し重たくなった。
なるべく話を逸らそうとしているらしく、最初こそそのことに気付かなかったが、さすがに気付いてしまうと話ができなくなってしまった。
それまで彼女を意識しているようで、結局自分の話にのめりこんでいて、態度の細かいところまで見ていなかったことに気付かされてしまった。
少し会話がぎこちなくなった。
時計を見ると、私が店に入ってからすでに三時間が経過していた。
――まだ一時間くらいしか経っていないと思っていたのに、よほど話に花が咲いていたのだろう――
そう感じれば感じるほど、かすみに対して申し訳ない気持ちが強かった。私はそれから話を半分に、かすみの様子を窺うことに集中していた。
するとどうだろう。
それまで気付かなかったが、癖なのだろうか。かすみが数秒に一回、カウンターの奥を見ていることに気がついた。虚空を漠然と見ているのではなく、一点に集中している。
しかし不思議なのだが、アゴを突き上げるようにしているその姿は、さらに遠くのものを見るかのように感じる。どう見ても一点を見つめている目ではないように感じるのだ。
その場所とは一番奥のカウンター席、誰もいないはずのカウンター席だった。
私も意識し始めてから時々覗くが、そこには薄暗がりに不気味に浮かび上がる椅子があるだけだった。
「そろそろお暇しますかな」
次の日は仕事もいよいよ本番、その日は適当なところで切り上げないと辛いのは自分である。
「あら、そうなの、残念だわ」
声だけを聞いていると、社交辞令のようにも聞こえる。しかし、その時なぜか明かりが妙に暗く感じ、声だけしか確認することができなかったのだ。一生懸命にかすみの表情を盗み見ようとしているから、余計にそんな風に感じるのだろうか。肝心なところが分からないのである。
「明日から仕事が本格的になるからね。今日はいい気分転換ができたよ。ありがとう」
私が微笑んでいるのが、かすみに確認できたであろうか?
「あなたとは気が合いそうな気がするわ」
「どうしてそう思うんだい?」
「あなたの今の顔には余裕が感じられるから」
どうやらかすみには私の顔が確認できるようだ。できないのは私だけなのである。
さらにかすみは続ける。
「そして何と言っても、今日初めて会ったような気がしないからかしら」
「でも、この土地に私のような雰囲気の人はいるのですか?」
先ほどの話で、どうしてもその土地にはその土地の人間がいて、私はよそ者という感じがしていたのだが、かすみの言葉でそのわだかまりが解け、さらに彼女と親密になれた気がしてきた。
しかし、彼女の答えは、
「いえ、この土地では感じたことはありません」
思わず頭を傾げた。
「他の土地にいらしたことは?」
「旅行程度ならありますが、生まれも育ちも広島です」
「どういうことなのでしょう?」
「夢で見たのかも知れませんわ。それも最近よく見る夢のような気がしますの」
予知夢というのを聞いたことがある。彼女の場合もそうなのだろうか?
「店の客としてなのかい?」
「そうじゃないみたい」
そう言って彼女ははにかんで見せた。明らかに恥らっているように見える。
もう明かりは私に戻っていて、顔の表情も見ることができる。完全に暗がりに慣れてしまったようだ。
彼女の顔が一瞬「苦虫を噛み潰した」ような、何とも言えない表情に変わったことを、私は見逃さなかった。
「でも、そこから先の記憶がないんですよ」
かすみは最近よく見る夢だと言った。ということは、いつも同じところでその夢が終わるということだろうか?
夢というのは、いつも肝心なところを見ることができない。それだけに記憶のある夢というのは、「肝心なところが見れなかった」という気持ちが強く残っている。
それがいつも同じところというのも印象的で、誰かに話したくて仕方のないような話だったのかも知れない。
しかも私が夢に出てきたその男にそっくりというのも、何かの縁のような気がしてきても仕方ないだろう。
私でさえ不思議な気持ちである。実際にその夢を見ているかすみは、もっと変な気分に違いない。
「かすかに残っている記憶は……」
かすみが話し始めた。
「願望なのかも知れませんが、どこかの部屋にあるベッドのシーツの白さだけが、やたらと印象に残っているのです」
「白さですか?」
「ええ、暗がりの中に浮かび上がるとでも言いますか。目が覚めた時にその反動なのか、今度は暗がりに真っ赤な色が瞼の裏に浮かび上がっている気がしてくるんです」
不思議な感覚が私を襲う。
普通夢というものは「色」を感じるものではないというのが、私の考えだった。もし、色を感じていたとしても、目が覚めてから色のことを思い出すということはありえないとさえ思っている。実際に夢で色を感じたことはないし、色を感じるところで夢から覚めるものだろうと思っているからだ。
――個人差ということで片付けられるのだろうか?
とても無理な気がする。確かに人それぞれ違うだろう。だが、色や匂いに関しては、夢で感じないものだということは、友達の意見でも一致してのことだったことが頭に浮かぶ。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次